Japanese Translation of EVOLUTION NEWS & SCIENCE TODAY

https://evolutionnews.org/ の記事を日本語に翻訳します。

「そう、誰にでも誕生日はあるはずです」— デイブ教授はいかに確率についてしくじっているか

This is the Japanese translation of this site.

 

ウィリアム・A・デムスキー

2023/5/23 6:39

 

この前の金曜日 (2023年5月19日)、ライス大学のジェームズ・ツアー教授が、YouTuberでインフルエンサーのデイヴィッド・ファリーナ (通称「デイブ教授」) と「討論」(私はこの言葉を使うことに慎重です) しました。議論の対象となった質問は、「我々は生命の起源について無知なのか?」というものでした。ツアーは、生命の起源は完全に未解決問題であるという立場を取りました。ファリーナは、生命の起源の研究は順調に進んでいるという立場を取りました。ツアーは化学に焦点を合わせました。ファリーナはツアーの信用を失墜させることに集中し、彼のことを何度も繰り返して嘘つき、病的な嘘つきとさえ呼びました。彼はツアーとその支持者を無知と呼ぶこともしました。(誰かを病的な嘘つきと偽って呼ぶことは、病的な嘘つきにならないのでしょうか?人を無知だと偽るには、どの程度無知でなければならないのでしょうか?)

 

ファリーナのふざけた態度はうんざりするほどで、私は討論の全体を見ることができませんでした。実際、私はこれを討論とは呼びません。一方では、前生物化学についての本質的な質問に取り組もうとするツアーがいました。そして彼のことを、生命の起源を取り上げる資格のまったくない人間として、また科学的な論点について信頼できないほど宗教的信条に偏った人間として、個人的に攻撃するファリーナがいました (ツアーはクリスチャンの信条を遠慮なく肯定しています)。

論文タイトルの引用

このやり取りの中で私が見た、ファリーナから出た科学と呼べそうなものは、ツアーが提起した問題を取り除いていると彼が主張する生命の起源についての論文のタイトルを引用することのみでした。しかしこれらは、彼の人格攻撃的論議を適宜補足するような、無関係な参照による論議に過ぎないように思えました。ファリーナは、自分が引用している論文を理解しているという証拠は何も与えませんでした。まるで、ツアーに敵対する生命の起源の研究者たちが、ファリーナにこのやり取りのための弾薬を提供しただけのようでした。

 

私の意見はそういうものですので、結論はご自分で決めてください。以下がそのやり取り (「討論」) です。もし全部見ることができたら、忍耐した自分にブラウニーポイントをあげましょう。

 

 

このやり取りでのファリーナのパフォーマンスには驚きませんでした。彼がYouTubeチャンネルで無神論を宣伝しているときに見られるものと一致していましたが、今回は特に極端だったと言えるでしょう。彼の辛辣な振る舞いは、彼を支持する無神論者の点数を稼ぐことを意図していたのでしょうか?YouTubeのフォロワー数を増やすためだったのでしょうか?彼のパフォーマンスは、洗脳されていない中間層、つまり生命の起源論争に特に利害関係のない人々にはどう解釈されるのでしょうか。彼は高慢で横柄でした。このことは、彼のサークルの外にいる人々に対して、彼の役には立たなかったと思わざるを得ません。しかし、感性があまりに歪んでしまうこのソーシャルメディアの時代に、誰がそれを言えるでしょうか。

聴衆を統率するために

ツアーはやり取りの冒頭で、これが初めての討論であることを認めました。私は彼が生命の起源だけでなく、彼自身の研究についても講演するのを見たことがありますが、彼はその知識だけでなく、その風格でも聴衆を統率することができます。私自身、マイケル・シャーマーやマイケル・ルースといった無神論者と討論したことがありますが、そうした討論は常に礼儀正しいものでした。次々に侮辱を浴びせるファリーナのような相手には、当惑せざるを得ません。そして、議論すべきことの本質から、参加者の信頼性へと焦点が移ってしまいます。ツアーはファリーナを、彼の限定的な化学の経歴について、つまり化学の学士号と、化学そのものではなく化学および科学教育の修士号しか持っていないという点を攻撃すべきだったのでしょうか?ツアーはノーベル賞に匹敵する化学者です。

 

ツアーは本当にファリーナの絶え間ない嘲りを忍耐しなくてはならなかったのでしょうか?ファリーナはツアーの招きでライスに来ていたのだから、ツアーは当然、丁重なホスト役を務めるつもりだったはずです。彼はファリーナへの贈り物でやり取りを始めることもしました。しかしそれでも、ファリーナは抑制すべきでした。ツアーに、彼が遭遇した暴言に対する準備ができていたかは疑問です。ファリーナが恥知らずな態度を示し続けた責任の一部は司会者にあると私は思います。司会者は早い段階で、ファリーナがツアーを「病的な嘘つき」だと考えていることはもう聴衆に伝わっているのだから、討論の議題であった質問に集中するようにとファリーナに告げるべきでした。司会者は、ファリーナによるツアーへの絶え間ない妨害にも終止符を打つべきでした。

情報と確率

2年前、私はツアーのYouTubeチャンネルで、情報と確率に関する私の仕事についてインタビューを受けました。私にインタビューするようにツアーを促したのは、彼に反対したファリーナの確率論議でした。ツアーから私へのインタビューはこちらです。

 

 

私にインタビューするようにツアーを促したファリーナのYouTube動画はこれです。31分のところで、ファリーナはデザイン推論における小さな確率に否定的な確率論議を展開しています。私がファリーナの生命起源化学の議論を拒絶するのは、情報通の素人であって、専門家でもない者としてのことです。しかし、私が専門とする確率の議論でファリーナがしくじっているのを見ると、彼が混乱しているか、無神論アジェンダ固執するあまり、そのアジェンダのためにどんな論議も曲げてしまうかのどちらかであることがわかります。ファリーナはツアーのことで頭がいっぱいのようで、ツアーに反対するビデオをYouTubeに9本も投稿しています。

 

31分のところで、ファリーナは小さな確率に基づいてデザインを推論することに反論するために、次のようなアナロジーを提示しています。

 

10人が集まり、みんなの誕生日が何日なのかを知りたがっているとしましょう。彼らは一列に座っています。ある人は6月13日と言い、別の人は11月21日と言い、以下同様です。各人が、その特定の誕生日を持つ確率は365分の1です。では、その部屋にいる10人がその10個の誕生日を持つ確率はいくらでしょうか?そう、それは365分の1の10乗、あるいは4.2×10の25乗分の1で、この分母は42兆の1兆倍です。考えられない確率なのに、彼らはあの部屋に座っているのです。では、どうしてこんなことがあり得るのでしょうか?そう、誰にでも誕生日はあるはずです。

 

しかしここでファリーナは、デザイン推論の鍵となる2番目の要素を見逃しています。それは、デザイン推論はありそうにない確率だけではなく、特定性 (すなわち、独立に与えられたパターンへの適合) も要求するということです。ファリーナの誕生日のパターンはまったく特定されていません。その代わりに、この10人がそれぞれ自分の誕生日を1月1日と報告していたと想像してください。そのような偶然の一致は、「全員が同じ誕生日である 」とか、「全員が元旦生まれだった」といった短い記述によって、独立に与えられるでしょう。したがって、それは特定性を構成します。小さな確率と特定性の組み合わせによって、この偶然の一致は偶然以外の説明を要求することになるでしょう。その場合、ファリーナが言ったように、「そう、誰にでも誕生日はあるはずです」と言うだけでは十分ではありません。

 

ファリーナは深い知識や理解がないのに自信を滲ませています。実際、彼の専門知識はかなり限られています。しかし、彼は「業界」の話題を押さえて素早く習得できる人です。そして、彼が断言したいことは何でも、実際に確立されているか、確立されようとしていると示唆するため、研究論文に関連するタイトル、要旨、著者を並べ立てることもできます。しかし、YouTubeインフルエンサーとして、彼の主な動機は大衆に迎合することです。そして、無神論の弁証者としての彼の関心は、科学の進歩ではなく、歪んだ唯物論的な科学概念を、宗教や宗教の信者を叩くための棍棒として使うことにあります。

 

このやりとりの余波がどうなるのかに私は興味があります。昨日の時点で、YouTubeの動画には11,000件以上のコメントが寄せられています。つまり、神経に障ったということです。