Japanese Translation of EVOLUTION NEWS & SCIENCE TODAY

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ダーウィンとアガシ: 架空の描像

This is the Japanese translation of this site.

 

ロバート・シェディンガー

2023/3/18 7:41

 

私は一連の投稿で、エイドリアン・デズモンドとジェームズ・ムーアの著書『ダーウィンが信じた道 進化論に隠されたメッセージ』についてコメントしてきました。今回はシリーズの第3部です。第1部第2部はこちらをご覧ください。

 

ルイ・アガシが南部の奴隷制支持派と密接な関係を築いていたことから、デズモンドとムーアはダーウィンアガシの関係に大きく焦点を当てています。もしダーウィンが、デズモンドとムーアが信じているように、奴隷制廃止論者としての衝動に駆られていたとしたら、きっとアガシに甚だしく難色を示したことでしょう。ここでは、デズモンドとムーアがこの関係について架空の描像を作り出しているいくつかの箇所について考慮してみましょう。

単なる観察

まず、デズモンドとムーアは、ダーウィンアガシについてライエルに言ったとする苦情を引用しています。

 

アガシアメリカでの講義」が支持しているのは、「人間にはいくつかの種があるという信条で、あえて言えば奴隷を所有する南部人には満足なことでしょう」とダーウィンはライエルに語っている。(388ページ)

 

巻末注は、書簡集第4巻の3通の手紙を参照しています。最初の手紙は、1850年9月4日、従兄弟のフォックスへの手紙で、ダーウィンは次のように書いています。

 

人間の種族の具体的な区別についての疑問は、アガシアメリカでの講義で、彼が人間にはいくつかの種があるという信条に固執していることから反映されたものでしょうか。その信条は、あえて言えば奴隷を所有する南部人への慰めになるでしょう。

 

デズモンドとムーアが言うところの、ダーウィンアガシについてライエルに告げた「苦情」は、実際にはフォックスに言った何気ないコメントに過ぎません [訳注: デズモンドとムーアはここのダーウィンの言葉を「苦情 (complaint)」とは表現していないようです。ただし文脈では、ダーウィンアガシの見解に反発を覚えるあまり体調が悪化したと述べた後でライエルに言ったとされるこの言葉が引き合いに出されており、「苦情」として扱われていることは明らかです。]。そしてここには、ダーウィンがフォックスへのこの手紙の中で苦情を述べているという感覚はありません。彼は単なる観察をしています。

 

しかし、事態はさらに悪化します。デズモンドとムーアはこう続けます [訳注: 続けるとありますが、正確には同じ段落の直前の文になります。]

 

奴隷港のチャールストンでは、アガシダーウィンのためにフジツボ採取もしていた。そのフジツボとともに届いたのが彼の最新の本『スペリオル湖 (Lake Superior)』だった (ダーウィンはライエルに「優秀な(スペリオル)とはなんと名誉なことか!」と皮肉まじりに言っている)。

 

1850年6月8日、ダーウィンはライエル宛の追伸に、まさしく「アガシが著書の『スペリオル湖』を送ってくれました。なんとも名誉なことではありませんか!」と書きました。しかし、ここには皮肉など微塵もありません。このことは、ダーウィンが6月15日にアガシに送った手紙でも確認できます。

 

私は、あなたからの最も親切な贈り物である『スペリオル湖』を受け取ったときほど、深い満足感を覚えたことはめったにありません。この本のことは聞いていましたし、読みたいと大いに願っていましたが、あなたの署名とともに、献本として私の所有するところになったという非常に大きな名誉が、私にこれほど生き生きとした心からの喜びを与えてくれたのだと告白します。

 

アガシの本を受け取ったことへのダーウィンの態度は、感謝と謙遜といったものであり、デズモンドとムーアが捏造したような皮肉ではありません。

辛辣な態度?

次に、デズモンドとムーアは、ダーウィンがジョセフ・ダルトン・フッカーに書いた1854年3月26日の手紙を引用して、ダーウィンアガシに抱いていたとする辛辣な態度が証明されると主張しています。デズモンドとムーアはダーウィンの言葉を引用して、次のような趣旨としています。

 

ダーウィンはフッカーにこう漏らしている。「このようなたわごとを書けるとは、さぞかし卓越して賢明な男なのだろうな」。(394ページ)
[訳注: この日本語訳では、以下の批判が分かりにくくなります。より原文に忠実に訳すと、「(アガシを指して)『非常に卓越した賢明な男』が、これほどの『彼のようにくずやたわごと (stuff & bosh) 』を書くとは、『なんと奇妙なことだろうか』」のようになると思います。このように訳せば、デズモンドとムーアがダーウィンの言葉の引用を3つに分割していることがはっきりします。]

 

デズモンドとムーアが、資料からの直接の引用を3つの部分に切り分けていることに注目してください。彼らは何を省いたのでしょうか?以下は、フッカーへの手紙に現れる全文の引用です。

 

博物学の多くの分野においてこれほど莫大な知識を持つ、非常に卓越した賢明な男が、彼のように素晴らしいことやたわごと (wonderful stuff & bosh) を書くとは、なんと奇妙なことだろうか。

 

デズモンドとムーアは、アガシの持つ博物学の膨大な知識をダーウィンが肯定したこと、およびstuffの前にwonderfulという形容詞をつけたことを都合よく省いています [訳注: stuffには「こと、もの」や「くず、がらくた」という意味があり、どちらの意味になるかは文脈によります。この場合、ダーウィンはstuffの前にwonderfulを付けているので、前者の意味と解釈できます。デズモンドとムーアはwonderfulを引用しないことで、このstuffを後者の、boshと同じような意味であるように見せかけているということです。])。彼らは引用の完全な文脈も提供していません。というのは、 ダーウィンはこう続けているからです。

 

アガシの信条に影響されていない北米の動物学論文はめったにない――この男がいかに偉大かという証拠ではあるが。
[訳注: この文章はデズモンドとムーアも引用していますが、上記の引用の3つ前の段落に置いており、一見すると別々の資料から引用しているように見えます。訳文は日本語訳をそのまま使用しました。ダーウィンの手紙の原文を見ると、実際にはこの文章は、上記の引用のすぐ後に出てきます (ダーウィンの手紙のテキストはこちらです)。デズモンドとムーアは、この文章は「ダーウィンのいつもの皮肉な書き方だ」としており、訳文もそれを反映して冷淡な感じになっているようですが、本当に「皮肉」と解釈する必要があるかは疑問です。ダーウィンアガシの影響力を素直に認めただけとも取れます。]

 

明らかにダーウィンは、人種が別個に創造されたというアガシの著作を「たわごと」と思っていました。それは共通系統についての彼の見解に挑戦するものだったからです。しかしそれにもかかわらず、地質学や氷河の研究へのアガシの貢献には大きな敬意を払っていました。デズモンドとムーアが一次資料から想起させようとするアガシへの皮肉や軽蔑は微塵も感じられません。

怒りの証拠なし

最後の例として、デズモンドとムーアは、王立農業大学の教授S・P・ウッドワードがアガシについて述べたコメントに対するダーウィンの反応に注目しています。ウッドワードは1856年7月15日にダーウィンに手紙を書き、貝殻の地理的変異についてダーウィンが要求した情報を伝えました。専門的な分類学的詳細の長いリストの後、ウッドワードは手紙の最後に次のように付け加えました。

 

あなたはピカリング博士の『世界の人種』をよくご存知だと思いますが、その中の章では、人間の創造の起こり得た場面について議論する際に、アガシが「われわれの黒い同胞」について語るよりも多くの敬意を持ってオランウータンとゴリラについて語っています。祖先を尊敬し、ニグロの血による汚れを拒む人々は幸いである――アガシの言うように、転成主義者と闘うのです。

 

デズモンドとムーアはこの一節の最後の文章を引用し、次のコメントにつなげています。

 

ダーウィンには耐えがたいことだった。「これ以上の好意」は求めないと返事を出した。(436ページ)

 

デズモンドとムーアは、その手紙でウッドワードがアガシの人種差別主義に同意しているように見えたことで、ダーウィンが彼との文通を断ち切ったかのような印象を与えています。ですが、7月18日のダーウィンからウッドワードへの返事は、異なる物語を語っています。デズモンドとムーアは、ダーウィンがウッドワードへの手紙を次のように始めていることを記していません。

 

このような長文の手紙を書いてくださったあなたのご親切にとても感謝しており、私がこれ以上のご好意を求める必要はないことを、あなたのために喜んで申し上げます。

 

それからダーウィンは、ウッドワードが送ってきた分類学的詳細のいくつかについての議論に進んでいます。ダーウィンがウッドワードからの「これ以上のご好意を求める」必要が無かったのは、彼が要求した科学的情報をウッドワードが彼に提供したからです。ウッドワードがアガシの人種差別に同意したことに怒って、ダーウィンがウッドワードを切り捨てていたという証拠はありません。ダーウィンは常に、奴隷制についての意見の相違を自分の科学的興味よりも下に置いていました。またしてもデズモンドとムーアは、彼らが引用した一次資料には無い態度をダーウィンに負わせていました。

 

そして、まだ他にもあるのです。