Japanese Translation of EVOLUTION NEWS & SCIENCE TODAY

https://evolutionnews.org/ の記事を日本語に翻訳します。

自然選択: 蜃気楼の進化

This is the Japanese translation of this site.

 

ニール・トーマス
2023/3/7 6:26

 

アメリカの科学教育者ジョン・A・ムーアは、知的歴史上最も皮肉なエピソードの1つが起こったのは、ダーウィンが進化のアイディアを支持するために自然神学者が蓄積した、まさにその知識のデータベースを利用したときだと指摘したことがあります。

 

[自然の] 美しい適応を否定することはできず、必要なのは説明仮説を神の意志から自然の原因へと切り替えることだけであった。1

 

この純粋に唯物論的な仮説は、非宗教化する時代によりよく響き始めたと、デイヴィッド・ハントケは述べています。

 

この理由の一つは、創造的デザイナーの納得できる新しい顔として、自然選択が創造者の場所に滑らかに入り込んだ態様にある。2

 

言うまでもなく、ダーウィンや他の誰かによって発せられたいわゆる知的な命令によって、民主主義社会のすべての人々の精神が変えられるわけではありません3。地球上の生命が、突然変異の僥倖とそれに続く母なる自然の「選択的」とされる奉仕による不思議なほど恵み深い連鎖によって無計画かつ誘導されずに進化したというダーウィンの理論は、あらゆるものに対して唯物論的説明を (論理と確率をいくら犠牲にしてでも) 呼び出すことを決意していない多くの人にとって、あり得ないとは思えなくはならなかったのです。ダーウィン自身さえも、時とともに疑念を抱き、次のように自問自答するようになりました。自然選択は本当に自分が主張してきたような膨大な変革力を発揮できるのだろうか?この晩年の神経衰弱は、彼が後にある形の「補足的」ラマルク主義になびいたことを説明するのに十分かもしれませんし、進化は「創造主によって物質の上に刻まれた法則」によって生じたという趣旨の『起源』の有名な結びさえも多少は説明するかもしれません。

 

後者の声明は見かけ上は、現在有神論的ダーウィニズムと呼ばれているもの以外の何ものでもないでしょう。というのも、それは専ら自然な過程とは明らかに食い違うからです。ダーウィンの考え方が変化したことで、より伝統的な (英国国教会の) 意見を持つ同輩たちは、究極的にはすべてのものは自然の秩序を超越した力にその存在を負っていると推論することが容易になりました4ダーウィンが『起源』の出版を20年に渡り延期したのは、同僚や批評家の助言により、後の5回に及ぶ『起源』の改訂でかなり大きく修正することになったいくつかの考えについて自身を納得させるのが難しかったことに何らかの原因があると推測することさえできるかもしれません。

文字通りのレベルでのダーウィン

文字通りのレベルで要約すると、『種の起源』は、地球の数多くの種の発生を説明する新鮮な唯物論的神話を提供することを求めています。しかし、それが伝えるものは、ダーウィンの深い直感と霊的衝動から生じる、どうやら根強いサブテキストからの干渉によって損なわれています。この要因が、「自然選択」の存在論的・定義的状態を再考するように私たちに命じるのです。この至る所にある比喩が、アルフレッド・ラッセル・ウォレスや他の多くのダーウィンの専門的同輩の双方が評するところでは、ダーウィンをひどく迷わせました。

 

不自然な比喩、遠いアナロジー、および人々の想像力に深く根ざす、広く分散した物語パターンから生じる概念への干渉は、長い間、人類の文化圏全体で議論されてきました5。科学的な報告という文脈においても、ミーシャ・ランドウはフォークロアや神話からの驚くべき干渉を発見し6、科学者は、客観的と思われるデータの提示方法へ意識下で影響を及ぼす既存の物語構造の能力を意識すべきだと警告しています。同じような意味で、より近年にアンドリュー・レイノルズは、ダーウィンの思考において類推が大きな役割を果たしていることに注目しましたが、その要因は必ずしも思考の明瞭化に寄与するものではありませんでした。

 

次いでこの類推は、いくつかの重要な比喩に依存していた。一つは「生命の樹」で、すべての種の血統の共有、あるいは共有祖先という命題を表している。もう一つは彼が仮定した種の変換のメカニズムに関するもので、彼はそれを自然選択と呼んだが、この用語は家畜化された動植物の産出において人間が実践している人工的な選択の過程との類似性に基づいて選択された。7

重要なツール

比喩や類推による思考が、人間が現実の概念を言語化するための重要なツールであることは事実であり、ダーウィンやネオダーウィン主義者がそれに惹かれたのは驚くことではありません。しかし、それは世界にアプローチする方法として本質的に分析的あるいは叙述的ではありません。このことは、王立学会の著名なメンバーであったサミュエル・パーカーが早くも1666年に認識しており、彼は比喩を次のような言葉で記述しています。

 

理性の床に上っていく野放図で豊かな空想、[それは] 淫らで不法な抱擁で汚すのみならず、現実の概念や物事の気づきの代わりに、昔日の [訳注: 原文の "Ayerie" という単語の意味が不明なのですが、スペイン語で「昨日」を意味するAyerに接尾辞のieが付加されたと解釈しました] 風が産み出す空想に他ならぬもので心を孕ませる。8

 

パーカーは明確に、比喩的思考が誤った幻想的な類推につながると見て、「本当の概念」と、焦点の定まらない奔放な想像力から生じる不自然な (「淫らで不法な」) アイディアの連想を対比させました。動物繁殖家が目的を持ちつつ人間の創意を用いて行うことと、精神を持たない自然そのものがいかに行動するかは単純に比較にならない、とダーウィンへ指摘した同僚たちの数々の反論には、明らかに長い系譜がありました。

 

それにもかかわらず、ダーウィンは当初、ハト飼育者のような人々の人工的な繁殖方法と、自然そのものが実行すると主張した「選択」との間に密接な類似性があると主張し続けました。彼はこの主張については明確で、人間の選択力との関係を標示するために「自然選択」という言葉を好んだと述べました。恐らくダーウィンは、古来からある活動的で指示的な自然という考え方 (これは今は失われた論理ですが、19世紀半ばに遅咲きを達成した概念です9) から補助的な力を得て、何千年でも無限に自由にできる自然は、大きな生理的変化 (ひいては新種) をもたらす点で人間の繁殖家よりも包括的な仕事をすることができると断じました。この考え方について彼は、『種の起源』の有名な一節で叙情的に表現しています。

 

比喩的にいえば、自然淘汰は世界中で時々刻々、最も些細な変異を詳細に調査しており、悪いものを除き良いものをすべて保存し集積している。機会があればいつでもどこでも、黙々と誰にも気づかれずに、それぞれの生物を生活の有機的無機的条件との関連において改良することに従事している。我々には時間が年代の経過を印すまでは、これらの緩慢な変化の進行について何も見えない。そして大昔の地質時代に関する我々の知識は非常に不完全なので、現在の生命の形態は昔のものと異なっているということを知るだけである。10

 

上記で注意すべきは、1859年の初版には「比喩的に (metapically)」という単語がなかったことです。ダーウィンは、進化的過程について密かに有神論的な概念を促進しているという数多の同僚たちの批判から自らを守るために、後に言い訳がましくこの表現を追加しました。最近、ダーウィンの自然選択の比喩が、「擬人化された、しかし超人的な行為者であり、すべての変異を『時々刻々、詳細に調査し』、ペイリー的デザイナーのように知的で慈悲深い決定を下す」11ものとして解読されたのも、理由がないことではありません。あるいは、ジェリー・フォーダーとマッシモ・ピアッテッリ-パルマリーニがさらに鋭く観察したように、ダーウィンは神、利己的な遺伝子、世界霊といった「機械の中の幽霊」をすべて追い払おうと努力しましたが、「母なる自然やその他の擬行為者は無罪放免となった」12のです。

譲歩

したがって『起源』は、地球の数多くの種の発展を説明する新たな唯物論的神話を人類に提供するとされていますが、その計画は、物質と霊の領域に関するダーウィンの、これまでに十分書かれてきた認知的不協和から湧き出るサブテキストからの干渉によって覆されています13。そのような干渉は、彼が無限の信仰を抱くと述べたものが、他の人々には不可解で完全に予測不可能であるとしか見えない過程の、指示的な力だったことを説明します (そのようにして、繁殖家による造語であった自然選択の本来の意味は、ダーウィンによってその感覚が根本的に変えられました)。ダーウィンにとって自然選択の力は、人間の知性を超越したものであり、インテリジェントデザインの能力を自然選択に帰するのに極めて近い程度まで来ていました。遅ればせながらのことに過ぎませんが、ダーウィンは同僚の多くの反論に屈し、チャールズ・ライエルへの手紙の中で、次のように認めました。

 

「自然選択」について言えば、もし私が新規に始めなければならなかったならば、自然保存を使ったことでしょう。14

 

これは甚大な影響を及ぼす修正でした。ダーウィンができるだけ長く抵抗し続けようと心がけていた理由、そしてついにしぶしぶながら屈服した理由は理解できます。ライエルへの手紙には、実に致命的な譲歩が含まれており、それが当時冷静に分析されていれば、1860年の秋以降のダーウィニズムの前進をそこで止めることができたでしょう (そして間違いなく止めるべきでした)。最近の多くの研究が明らかにしているように、ダーウィンが最終的に同意した自然保存という言葉は、定義上、新しい体の部位 (ましてや全く新しい種) の形成という能動的生産ではなく、受動的にしかなりえません[訳注: ここで「自然保存」と訳した言葉は原文ではnatural preservationです。preservationの意味合いについて、株式会社高橋翻訳事務所の「どう訳す?Environmental Conservation vs Environmental Preservation」によると、現状に近い状態を維持するという考えを伝えるようです。そうであれば、natural preservationに能動的な変化を起こすという概念を含めるのは難しくなるでしょう。]。有機的単純性から複雑性へ — 微生物から人間へ — の進歩というダーウィンの理論は、これほどの大きな意味上の後退の後では、必然的に崩壊せざるを得ません。

求む: 生殖の理論

ティーブ・ラウフマンやハワード・グリックスマン、および他の人々が最近指摘したように、ネオダーウィニズムには単純に生殖の理論がなく、したがって革新能力もありません。すなわち、ダーウィンの理論には、非自明な革新を説明できるものは何もなく15、この点をダーウィンが撤回したことは、マクロ変異的な主張には致命的でした。ニック・レーン教授は最近次のように説明しました。

 

一般的な考え方によると、ひとたび単純な生命が誕生して条件が適切であれば、それはもっと複雑な形態へ徐々に進化するという。しかし地球上ではそのようにはならなかった。(・・・) もし単純な細胞が数十億年をかけて徐々に複雑な生命へ進化したのだとしたら、その中間段階のさまざまな細胞がかつて存在していて、そのうちのいくつかはいまでも生きているはずだ。しかしそのような細胞は存在しない。(・・・) つまり、単純な生命から複雑な生命への進化の道筋は、けっして必然ではない。無数の細菌の集団に何十億年ものあいだ絶えず自然選択が作用しても、けっして複雑さは生まれないかもしれない。細菌はそれに適した構造になっていない。16

 

では、種分化はどのようにして起こったのでしょうか?有能な科学者たちは、「運命」や「機会」という代用語に立ち戻りますが、それらがみな、完全な無知を覆い隠しているのはあまりにも明白です17。フォーダーとピアッテッリ-パルマリーニは爽やかなほどに、より率直です。

 

「では、もしダーウィンが間違っていたのなら、進化のメカニズムとは何だと君たちは思うのか?」短い答え: 私たちは進化のメカニズムが何であるかを知らない。ダーウィンもそうだったし、(私たちが言える限りでは) 他の誰一人として知らないのだ。18

 

今日における要点は、次のようになるでしょう。

 

種分化はいまだに進化生物学最大の謎の一つなのだ。自然選択が大規模な革新につながるという裏付けのない見方は真実ではない。19

もはや疑問の余地がないものではない

このような新しい発見は、かつて真実で疑問の余地のないものとして受け入れられていたダーウィン的物語の諸側面が、我々がかつてそれらが構成していると仮定していた科学的総意の強固な柱をもはや提供できないことを意味します。これは、一部の優秀なダーウィン主義者が、古い確信にしがみつこうとしなくなることを意味するわけではありません。「進化心理学者」のスティーブ・スチュワート-ウィリアムズは、「ミクロ変異は、有り余るほどの時間が与えられれば、結果としてマクロ変異になる」という観念を改めて確言しました。

 

自然選択が短期的に小規模な変化を産み出せるのであれば、長期的には大規模な変化を産み出せるのではないか?説得力のある実例が見つからない限りは、 その可能性があり、実際にそうであるというのが、道理にかなった初期想定であろう。また、間接的な証拠 (化石記録など) が、種が実際に他の種から進化することを示唆していることも忘れてはならない。20

 

スチュワート-ウィリアムズが言及した「道理にかなった初期想定」も、裏付けとなる化石の証拠も、どちらも事実無根です21。それほど教条的ではないジョン・A・ムーアでさえ、進化主義と他の競合理論の間の公正な仲介役を演じようと試みたにもかかわらず、双方の側の相対的な利点を比較すると、大いに争いを呼ぶ裁定を下すことがあります。

 

自然神学者たちは、神による創造という答えから始めて、自分たちがすでに真実だと決めた答えを支持するために自然から集めたデータを使ったのに対し、ダーウィンは適応というデータから始めて、どこであろうとそれが導くところに従った。22

 

この発言は、2つの点で確実に不正確です。自然神学についての点では、ムーアは馬より荷車を優先しています。自然神学者にとって、神についての信条へのコミットメントは、自然そのものが提供する最良の説明への推論の表現だからです (その逆ではありません)。ダーウィンがデータに従って、データが促した方向に進んだという点については、これも (「ベーコンの原理」に基づいて仕事をしているというダーウィンの美徳シグナリング的主張には失礼ながら) 非常に的外れです。ダーウィンは当初から、彼の祖父エラズマス・ダーウィンによって開始された失敗しつつある進化のプロジェクトを、自然選択の仮定によって何らかの経験的で適切に定量化できるかのような裏付けを与えることで復興させようと望んでいました。人口統計学者トーマス・マルサスの人口についての著作を読んだとき、彼はエウレカの瞬間を経験しました。なぜなら、社会科学の検証可能性の概念によって神聖化されていたそれを、祖父の計画の確認としてとらえたからです。自然選択は、メカニズムや真の原因 (と主張されたもの) を提供して、エラズマスが18世紀フランスの雑多な「トランスミューテーション支持者」とともに発展させた進化についての考えを正当化する、まさにデウス・エクス・マキナとなりました。

世俗的神話の鍛造

もしチャールズの助けがなかったら、19世紀後半のヨーロッパにおいて祖父の考えは支持の欠如により忘れ去られ、無視されたまま没落したかもしれないと考える根拠があります。エラズマスが「種のトランスミューテーション」と名付けたものは、歴史的に集団として「レ・フィロゾフ」と呼ばれる18世紀のフランスの思想家のグループがすでに関心を寄せていた主題でした。このグループは、広大な時間を経ると物理的な形態に変化を経験しやすくなる動物の型というアイディアを弄したことがありました。ジュリアン・オフレ・ド・ラ・メトリーは『人間機械論』(1747年) の中で、すべての動物の形態は以前の形態から出現したので、ミミズはやがてかなり大きく、より複雑な動物になるように変わっていくことが期待されると論じました。このような推測は、しばしば空虚で (チャールズでさえ、エラズマスの推測には経験的な基礎がないと不満を述べました)、生理学的に無教養なものになりがちでした。ドゥニ・ディドロが『ダランベールの夢』(1769年) の中で、生物が習慣的な機能によって進化してまったく別の生命体になる可能性を提起し、肉体労働をする必要のない人間はやがてただの頭になるのではないかという奇妙な考えを弄したのもその例に当てはまります。驚くことではありませんが、そのような空想は、フランスでも顰蹙を買うようになる運命にありました。

 

他の人々が、小さな自己言及的なコテリーの風変わりな思索として無理なく見ていたものの内部では、必要なのはそのグループが主張する生理的進化というやや直感に反する現象を証明するような因果的土台やメカニズムを特定することだということが明らかになりました。この理論は、一般の人々からかなり懐疑的に迎えられていたため、自然選択の「科学的」とされる信頼性を示すことがきわめて重要でした。そうすることによってのみ、1859年以前には軽蔑され、最終的には忘却の彼方へと向かっていた進化というアイディアを救うことができたでしょう。したがって、ダーウィンにとって、優秀な祖父エラズマスが始めた偉大な進化のプロジェクトに信仰を持ち、支持し続けるには、自然選択の仮定が真実でなければならなかったのです。それは決して、証拠が導く方向に冷静に従うということではありませんでした。むしろ、生物学の領域を社会学の領域に写像するようにダーウィンを促した類推的思考は、彼の理論がデータに基づく基盤に乏しいことを覆い隠す知的蜃気楼につながりました。

 

多くの科学者が、伝統的に光沢を帯びさせた自然選択に対する疑念を「カミングアウト」している今、自然選択が支持するはずだった進化のアイディアそのものが存続するかどうかは、時間だけが教えてくれるでしょう。マイケル・ルースが最近指摘したように、自然選択は実際に選択することはできず、「真の原因」というよりも、成績を記録する統計として理解した方がいいのです。

 

自然選択は、ダウ・ジョーンズ [工業] 平均と同じように、単に成績を記録している。ダウ・ジョーンズは物事を起こす(原因になる)ことはない。それは、何が起こったかについての統計に過ぎないのである。23

 

自然選択の正体が明らかになっています。それは単独の比喩ではなく、複合的な比喩です。すなわち自然は愚かですが、それでも識別する能力があります。科学的というよりも詩的な概念であり、理性よりも感情や美的感覚に訴えかけるものです。自然選択が提供していた、進化を説明するための原動力要因としての「覆い」が剥奪されたことで、進化のより広い主題自体が再び、ヴィクトリア朝の先人たちにとってそうであったように、私たちにも謎めいたものとなっています。1858年当時と同様、今も進化は「謎の中の謎」のままです。

注釈

  1. ジョン・A・ムーア、『From Genesis to Genetics: The Case of Evolution and Creationism』(バークレー: カリフォルニア大学出版局、2002年)、55-56ページ。
  2. 「Teleology: the explanation that bedevils biology」、『Explanations: Styles of Explanation in Science』所収、ジョン・コーンウェル編 (オックスフォード: オックスフォード大学出版局、2004年)、143-155ページ、147ページからの引用。
  3. ジェームズ・ムーア、『The Post-Darwinian Controversies: A Study of the Protestant Struggle to Come to Terms with Darwin in Great Britain and America 1870-1900』(ケンブリッジ: ケンブリッジ大学出版局、1981年) をご覧ください。
  4. ダーウィンの変幻自在な概念について、サンダー・グリボフが述べているように、「ダーウィンの理論は多くのバリエーションを伴って現れた (・・・)。 ウォレス、フッカー、ライエル、グレイといったダーウィンに最も近い初期の支持者でさえ、その解釈と応用において非常に大きく異なっており、当初から単一のバージョンを特定することは不可能」でした。『H. G. Bronn, Ernst Haeckel and the Origins of German Darwinism: A Study in Translation and Transformation』(ケンブリッジマサチューセッツ州: マサチューセッツ工科大学出版局、2008年)、202ページをご覧ください。
  5. モード・ボドキン、『Archetypal Patterns in Poetry』[1927] (ニューヨーク: Vintage、1958年) をご覧ください。
  6. ミーシャ・ランドウ、『Narratives of Human Evolution』、(イェール: イェール大学出版局、1993年)。
  7. アンドリュー・S・レイノルズ、『Metaphors in the Life Sciences』(ケンブリッジ: ケンブリッジ大学出版局、2022年)、89ページ。
  8. レイノルズによる引用、『Metaphors in the Life Sciences』(上記と同じ)、2ページ。
  9. 半神化されたナトゥラ (Natura) の概念が長期間存在したことについては、バーバラ・ニューマン、『God and the Goddesses: Visions, Poetry and Belief in the Middle Ages』(フィラデルフィア: ペンシルベニア大学出版局、2003年) をご覧ください。ニューマンは、19世紀は自然にとって文学的「キャリア」の最後の偉大な時代であり、ワーズワーステニスンといったダーウィン自身が読んでいた多くの詩人たちによって、自然は強い活力を与えられたと指摘しています。ロマン派の間のある人々、特にワーズワースには、「自然を自然神と融合させる」(52、137ページ) という半ばスピノザ的な傾向さえありました。
  10. 『Origin of Species』、ジリアン・ビア編 (オックスフォード: オックスフォード大学出版局、2008年)、66ページ。(邦訳: 『種の起源 原書第6版』、堀伸夫/堀大才訳、朝倉書店、2009年、71ページ)
  11. サンダー・グリボフ、『H. G. Bronn, Ernst Haeckel and the Origins of German Darwinism: A Study in Translation and Transformation』(ケンブリッジマサチューセッツ州: マサチューセッツ工科大学出版局、2008年)、136ページ。同じ点はすでに1世紀前に、ウィルバーフォース主教や、1840年代のオックスフォード運動の指導的存在であったエドワード・ブーヴェリー・ピュージーによって指摘されていたことを、英国思想史編者のバジル・ウィリーがかつて明らかにしました。「ほかならぬこの形而上学的無自覚がもとで、彼は、ほとんど無意識のうちに、不在の神に代えて〈自然〉を、いや「自然選択」そのものをすら、暗々裏に人格化しもした。確かに、彼もときには自分の矛盾に気づくこともあって、〈自然選択〉が「仔細に観察をおこなっている」とか「誤りない手練を発揮して一層の完全性への到達を期していちいちの改良を発見している」などなどと語るのは、たんなる隠喩を用いているにすぎないのだ、とわれわれに注意を促している。しかし、彼はことあるごとにそうした語り口を再さい用いているので、ダーウィンは自らの作りだした神学的真空の中へ計画にしたがいつつ行為するある力を導入したとして、ピュージーが彼を非難しているのは当たっているとわれわれは感じるのである」(『Darwin and Butler: Two Versions of Evolution』[ロンドン: Chatto and Windus、1960年]、30ページ (邦訳: 『ダーウィンとバトラー―進化論と近代西欧思想』、松本啓訳、みすず書房、1979年))。
  12. 『What Darwin Got Wrong』(ニューヨーク: ファラー・ストラウス&ジルー、2010年)、163ページ。
  13. この点については、ニール・C・ガレスピーの『Charles Darwin and the Problem of Creation』(シカゴ: シカゴ大学出版局、1979年) が最良の説明の一つであり続けています。
  14. チャールズ・ライエルへの手紙、1860年9月。 https://www.darwinproject.ac.uk/letter/?docId=letters/DCP-LETT-2931.xml
  15. ティーブ・ラウフマンとハワード・グリックスマン、『Your Designed Body』 (シアトル: Discovery、2022年)、370ページ。
  16. ニック・レーン、「Lucky to Be There」、マイケル・ブルックス編、『Chance: The Science and Secrets of Luck, Randomness and Probability』(ロンドン: Profile/ニュー・サイエンティスト、2015年)、22-33ページ、引用は28、32ページ (邦訳: 『「偶然」と「運」の科学』、水谷淳訳、SBクリエイティブ、2016年、26、30ページ)。
  17. 「驚くことに、進化の重要なあるステップでは、自然選択はほとんど役割を果たしていないらしい。そのステップとは、新たな種の誕生である。種分化は単なる運命の偶然であるらしいのだ。」(ボブ・ホームズ、「The accident of species」、 マイケル・ブルックス編、『Chance』(上記と同じ) 所収、33-42ページ、33ページから (邦訳: 32ページ)。
  18. 『What Darwin Got Wrong』(注釈12と同じ)、xivページ。
  19. ボブ・ホームズ、「The accident of species」、 マイケル・ブルックス編、『Chance』(上記と同じ) 所収、34-35ページ。[訳注: 邦訳を見ますと、「種分化はいまだに進化生物学最大の謎の一つなのだ」という文章はありますが、2番目の文章はありません。ただし、自然選択による小さな変化の蓄積が種分化につながるという見方に異議を唱えるマイク・パーゲルの言葉と研究が説明されています。この本の初版は2015年ですが、邦訳は2016年の版を参照しているようです。初版には2番目の文章があるのかもしれません。]
  20. スチュワート-ウィリアムズ、『Darwin, God and the Meaning of Life』(ケンブリッジ: ケンブリッジ大学出版局、2010年)、34ページ。
  21. この主張では、種の障壁という克服しがたい困難が考慮されないままです。さらに、もし化石の証拠がダーウィンを支持するものであったなら、スティーブン・ジェイ・グールドとナイルズ・エルドレッジが半世紀前に影響を及ぼした断続平衡理論を推進したことに正当性はなかったでしょう。
  22. Genesis to Genetics』(注釈1と同じ)、56ページから。
  23. マイケル・ルース、『Understanding Natural Selection』(ケンブリッジ: ケンブリッジ大学出版局、2023年)、133ページ。「統計主義」観点の十分に専門的な議論については、『The Causal Structure of Natural Selection』(ケンブリッジ: ケンブリッジ大学出版局、2021年)、特に8-11ページをご覧ください。