Japanese Translation of EVOLUTION NEWS & SCIENCE TODAY

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ダレル・フォークは2016年の英国王立学会の会議から派生した問題を軽視する

This is the Japanese translation of this site.

 

ブライアン・ミラー

2021/6/2 6:28

 

これまでの記事で、ケイシー・ラスキンと私は、ダレル・フォークが『BioLogos』に寄稿した『Return of the God Hypothesis』の書評に応えてきました (こちらこちらをご覧ください)。今回は、彼が2016年の英国王立学会の会議が進化生物学の現状へ及ぼす悲惨な示唆を大幅に軽視したことについて取り上げます。

 

簡単にまとめると、英国王立学会は、多くの主要な進化論者を集めて、ネオダーウィニズムまたは現代統合説として一般的に知られている標準進化モデル (SEM) の限界を議論し、その説明上の欠陥に対処するために「拡張された統合説」をどのように開発するかを提案しました。主催者のゲルト・ミュラーはオープニングトークで、SEMは既存の形質の修飾や複製は説明できるが、以下のような重要な課題は説明できないと述べました (こちらこちら)。

  • 目のような複雑な新しい形質の起源 (こちらこちらこちら)。
  • 化石の記録における、全く新しい生物が突然現れた後、大きな変化のない期間が続くという一貫したパターン (こちらこちら)。
  • 種における遺伝的変異の分布。彼は大規模な変化を可能にするような遺伝的変異が、どの種にも存在しないことを指していました (こちらこちら)。例えば、犬は犬の遺伝子しか持っていないので、雑種の犬からは犬しか生まれません。

歴史的な視点

この驚くべき告白を完全に正しく評価するためには、その示唆するところを歴史的な背景に基づいて考える必要があります。古くから哲学者などは、世界に見られるすべてのものは単なる自然の過程の産物なのか、それとも最高の知性の計画から導かれたものなのかを議論してきました (こちらこちらこちら)。前者の考え方の古代の形式は「原子論」と呼ばれ、神々が世界に影響を与えているという通説へ疑念を呈したいという思いを動機としていました。そうすれば人類が神々から完全に解放されることができるでしょう。現代の形式は哲学的・科学的唯物論と呼ばれています。

 

このような討論は、1世紀のクリスチャンの主だった指導者の一人だったパウロが書いた、ローマの教会への有名な手紙にも反映されています。パウロはこの手紙の冒頭で、「造られたもの」が神の「目に見えない属性、すなわち永遠の力と神性」を現していることを否定する者は、積極的に「真理を抑圧している」と述べています。指導的な学者クレイグ・キーナーの説明によると、パウロは、自然界、特に人間の知性におけるデザインの明確な証拠が、超越的な精神を示していると論じたギリシャ哲学の学派 (ストア派など) を肯定していました。彼は同時に、原子論者の伝統を受け継ぐエピクロス派の哲学者たちにも真っ向から挑戦していました。彼らの中心的な信条の一つは、進化と自然選択の初期の形が、生物学におけるデザインの明確な証拠を無視することを正当化するというものでした (こちらこちらこちら)。

デザイナーの代用品としての自然選択

原子論の伝統は、中世の間は影を潜めていました。しかし、科学革命の時代になって、物理学や化学が自然現象を純粋に物理的な過程で説明することに成功し、再び現れました。また、懐疑的・唯物論的哲学が盛んになってきたことも、この考え方を後押ししました。

 

唯物論の哲学は、チャールズ・ダーウィンが人生の早い時期に受け入れたものです。ダーウィンは自伝の中でこの事実を隠し、誠実な真理の探究者であるかのように装っています。しかし、ダーウィンの日記を読むと、彼が当初から意図していたのは、原子論者の伝統に倣って、生物学から目的論 (デザイン) を一掃することだったことがわかります (こちらこちら)。

 

この目的のために、彼は自然選択に神のような創造力を付与し、生命の創造者として聖書の伝統的な神 — 当時広く受け入れられていた見解 — を、盲目的な無指向性の過程に置き換えようとしたのです。この策略は、生物学者のフランシスコ・アヤラによって明確に記述されています

 

生物の複雑な組織と機能性が、創造者やその他の外部の行為者に頼ることなく、自然の過程である自然選択の結果として説明できることを示したのはダーウィンの最大の功績であった。

 

これにより、古代の原子論者のような懐疑論者は、生命におけるデザインの明確な証拠を無視することができるようになりました。この点は、無神論者のリチャード・ドーキンスによって彼の著書『盲目の時計職人』でよく表現されています。

 

生物体の複雑さは、その外見的なデザインの持つ優れた効率に見合っている。もし、これほどまで多くの複雑なデザインがどうしてできたのかを説明する必要などない、と誰もがいうのなら、私はあきらめる。(4ページ)

・・・無神論はダーウィン以前でも論理的には成立しえたかもしれないが、ダーウィンによってはじめて、知的な意味で首尾一貫した無神論者になることが可能になった。(10ページ)

 

しかし、ここに問題があります。英国王立学会の会議では、指導的な進化論者たちが、自然選択には本当の創造力がないことを認識しているという、大衆からは隠されていた現実が露呈しました。現在の状況は、遺伝学のパイオニアであるユーゴー・ド・フリースの有名な言葉を思い起こさせます。

 

自然選択は適者生存を説明することはできても、適者出現を説明することはできない。

 

ダーウィンのデザイナーの代用品が無力であることが大衆に知れ渡ると、明白な帰結として、世俗的な科学者たちは広報の専門用語の「ダメージコントロール」に取り組むように求められました。この過程では通常、一般的にスピンと呼ばれる、慎重に調整された事実の再構成が必要となります。

 

ダレル・フォークは、彼らの主要な大使の一人として、次のような慎重に作られた声明を忠実に繰り返しました。

 

あの [ミュラーの] 講演の要点は、彼 [メイヤー] はほのめかしていると私は思うのだが、進化論が危機に瀕していると提唱することではない。それどころか、話し手は遺伝子中心ではない進化生物学へのアプローチを求めていたのである・・・。

 

会議の話し手に、進化論に穴があって「知的なインプット」が必要だとほのめかす者はいなかった。実際には全く正反対であり、会議の趣旨が誤解されたり、誤って伝えられたりすることを懸念していた。その意図は、どうすれば進化が機能する方法について進化生物学者がより完全な描像を描けるかという方法論的なものであった。

 

公平に言うなら、フォークや他のダーウィンの公選弁護人たちは、進化に関するすべての議論を科学的唯物論のレンズを通して解釈しているので、これらの宣言を本当に信じています。言い換えれば、彼らは進化論が真実に違いないという信仰を持っているので、理論の欠陥は単なる「未解決の問題」を意味するとみなしているのです。私もこの会議に参加しましたが、発表内容を先に述べたようなより広い歴史的視野において解釈しました。この文脈において、言われたことと言われなかったことの意味合いを考えてみると、かなり異なった話が明らかになります。

真実の話

自然選択は、少なくとも多少の複雑さと精巧さを持つものを創造する知的行為者の活動を、原理的にでも模倣できる唯一のメカニズムです。この結論は、会議の話し手たちが、SEMの説明不足を補う可能性のある、考えられるあらゆる代替メカニズムを紹介したことにより強調されています。しかしどの拡張も、植物の高さを伸ばしたり、動物の手足の指の数を変えたり、既存の形質を少し修飾するような些細な作業を超えて何かを成し遂げられるという証拠は一片も示されませんでした。

 

進化の現状は、天体から1万マイルを超えると重力が働かなくなることを物理学者が発見したとしたときに天文学が直面する危機に例えられます。惑星、恒星、銀河の運動を説明できる唯一の適切なメカニズムが失われたら、絶対的な大混乱と絶望が生じるでしょう。

 

進化論は科学理論としてだけでなく、世俗社会における神聖な創造の物語としても機能しているため、唯物論者である生物学者の多くは、そう簡単には自分たちの苦境と折り合いをつけることはないでしょう。とはいえ、自然選択がデザイナーの代用として考慮できない以上、生物学的システムにおけるデザインの圧倒的な証拠に対して残された唯一の道理にかなった解釈は、生命が現実のデザイナーの産物であるということです (こちらこちら)。