Japanese Translation of "Science and Culture Today"

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ダーウィンの「ビッグ・ブック」は一体どうなったのか?

This is the Japanese translation of this site.

 

デニーズ・オレアリー
2024/9/5 6:26

 

チャールズ・ダーウィン (1809–1882) は、とてつもなく巨大な神話的人物となりました。彼の理論は、驚くほどの量の大衆的な議論を巻き起こしています。私はしばしば、専門家が「進化」について言及するのを聞きますが、それは常にダーウィニズムを意味しています。ほとんどの場合、それが彼らが知りたいと思っている科学そのものなのです。

 

そのような事実から、ロバート・F・シェディンガーの『Darwin's Bluff: The Mystery of the Book Darwin Never Finished』(Discovery Institute Press、2024) を読むことは、普通ではない経験となります。ルーサー大学の宗教学教授であるシェディンガーは、ダーウィンとその仲間たちの膨大な書簡を綿密に分析し、静かにダーウィンの神話を打ち砕きます。彼は、実際の歴史の中でダーウィンが、ランダムな突然変異に作用する自然選択が生命の歴史を説明することを、同僚が満足するような仕方では実証しなかったことを示しています。

聞かされることとは対照的に・・・

ダーウィンの同僚は、彼の理論の宗教への影響を懸念していたわけではありません。むしろ、彼らは頻繁に「彼には論議があるものの、ほとんど証拠を示さず、本質的に何も証明していない」ことに不満を述べていました。(159ページ)

 

非常に類似した理論を概説したアルフレッド・ラッセル・ウォレスの有名な手紙に刺激されて、ダーウィンは、先取りされるのを避けるために、『種の起源』(1859) を要約として出版し、彼の命題の証拠を提供する、はるかに長い本を約束しました。しかし、彼はその長い本を、シェディンガーが語るところでは、当時すでに4分の3が書かれていたのに、出版しませんでした。彼は代わりに、ランや性選択についての著作の出版に進みました。

2つの疑問が生じる

なぜダーウィンは、彼の重大な理論の証拠を出版しなかったのでしょうか?そして、その事実にもかかわらず、なぜ彼の命題は、科学における最も偉大なアイディアの1つとして称賛されたのでしょうか?

 

ダーウィンはしばしば、出版しない理由として病気を挙げていました。しかしシェディンガーは、手稿を読んだ上で、異なる結論を引き出しています。

 

ダーウィンは、自然選択の理論を証明するために必要な種類の証拠を持っていなかったことを知っており、病気という彼の修辞は、約束された証拠を公に提示することについての、終わりのない遅延に対する用意された口実を提供した、と私は提唱したい。それはまた、彼が批判者に直面し、自分のアイディアを擁護しなければならないかもしれない科学会議への欠席に対する用意された口実でもあった。(43ページ)

 

その「ビッグ・ブック」が1975年に最終的に出版されたとき、それは即座に世間の注目から消え去りました。なぜでしょうか?

 

その理由の1つは、その本が約束された証拠を提示していなかったことだとシェディンガーは言っています。ダーウィンは、計画性のない自然選択のアナロジーとして、人間による人為的な選択に頼り続けました。約束された長大な事実のカタログの代わりに、彼は提唱された自然選択の例を10個、想像上のシナリオと共に提示しています。シェディンガーによれば、「自然選択の創造力についての豊富な経験的証拠が並んでいるのを見たいと願っていた読者は、失望したであろう」。(172ページ)

自然選択はどのようにして「先見性」を持てるのか?

ダーウィンの論議にとってのより大きな問題は、その「ビッグ・ブック」が自然選択に先見性の力を賦与し続けていることです。同時代の人々は、当時出版された彼の著作における論理の欠陥を指摘し (77ページ)、彼が自然選択を神格化しているとたしなめました。そしてもちろん、彼らはその大手稿を一度も見たことがありませんでした。

 

しかし、1975年までには、そのような不安はとっくに過去のものとなっていました。シェディンガーは、1975年「ビッグ・ブック」のレビューは「手稿の内容と実質的に向き合っていないほとんど関わっていない・・・」(68ページ) と指摘しています。それはなぜでしょうか?

 

自然選択がウシをクジラに変えることができることを示す確かで具体的なデータを、ダーウィンの同時代の人々が求めていたのに対し、私たちの同時代の人々は、その証拠が圧倒的であると単に仮定しています。シェディンガーは述べるところでは、

 

今日、その名が自然主義的な進化論や自然選択と同義となっている人物は、自身の生涯において、彼の理論を確証する決定的な証拠を見つけ、提示することはできないと分かっていたように思える。彼がそのようにしたとか、彼の死後の数十年間は単なる後始末作業であったという考えは神話である。現実は大きく異なっており、ブラフの達人であったダーウィンが決して手の内を見せなかったことに、その手掛かりがある。(199ページ)

 

そして、彼は本当にそうする必要がありませんでした。

証拠の欠如を信仰が補った

スティーブン・ジェイ・グールド (1941–2002) は、ダーウィンが彼のより長大な著作を出版する必要はなかったと考えていました (167ページ)。もちろんその通りでした。すなわち、その時までに、証拠はもはや無関係になっていました。信仰が証拠の欠如を補い、あらゆる隙間を埋めていました。したがって、生命形態の変化はダーウィニズムによって引き起こされたものだということは、示されるのではなく、仮定されています。他の可能性のある原因は、最善の場合は精査の、最悪の場合は敵意の対象となります。

ハクスリー–ウィルバーフォースの討論で現実に起きたこと

ダーウィンの神話が現実をめちゃくちゃにした1つの分野は、有名なハクスリー–ウィルバーフォースの討論 (1860) です。そこでは、「ダーウィンのブルドッグ」ことトマス・ヘンリー・ハクスリー (1825–1895) が、尊大な主教、サミュエル・ウィルバーフォース (1805–1873) に恥をかかせたとされています。

 

ウィルバーフォースは、ダーウィンの理論を本当に理解せずに反対したと言われてきました。実際にはウィルバーフォースは、シェディンガーが発見したように、「彼がダーウィンの著作をいかに深く理解していたかを記録している」(152ページ)『起源』の14,000語近くの書評を書きました。その書評の中で彼は、証拠が支持するならば、ダーウィンの理論に反対しないことを明確にしました。しかし彼は、同時代の人々の多くと同様に、証拠はそれを支持しないと判断しました。

 

皮肉なことに、ダーウィン自身の著作の一部も、当時彼に不利な証拠となりました。ランが彼の理論への十分な証拠を提供し、批判者を食い止めることができると考えて、彼は「ビッグ・ブック」を遅らせ、ランを研究することに決めました (152ページ)。同時代の人々の間では、その戦略はむしろ、ひどく裏目に出ました。彼らは彼が提供した証拠を「知的デザイナー」の仕事として理解しました。「ダーウィンのランの本の書評は次々と、すべて同じテーマを奏でていた。ダーウィンは、自然選択ではなく、自然神学の証拠を提供したのである」。(182ページ)。

証拠をどう解釈するのか

ダーウィンの時代の大量の書簡や日記を徹底的に没入した後で、私としては、歴史的な論争が完全に崩壊し、全体が神話に包含されてしまったという事実を受け入れなければなりません。その神話は、無神論的自然主義の創造物語を推進することを目的としています。多くの人が、ダーウィニズムは「知的な意味で首尾一貫した無神論者」になるのを容易にしたという動物学者リチャード・ドーキンスの主張を引用します。あるいは、彼の理論は『誰かが思いついたもっとも優れた考え』だったという哲学者ダニエル・デネット (1942–2024) の主張を、です。

 

それは科学ではなく、文化政治です。そして近頃では、情報源の資料を大幅に誤って伝えることが必要な結果を産み出すために要求されたことに気付いている人はほとんどいません。

 

この記事は、『Salvo』69、夏号からの転載です。