Japanese Translation of EVOLUTION NEWS & SCIENCE TODAY

https://evolutionnews.org/ の記事を日本語に翻訳します。

ダーウィンをウィルバーフォースに変える試みの失敗

This is the Japanese translation of this site.

 

ロバート・シェディンガー

2023/3/22 6:30

 

私は一連の投稿で、エイドリアン・デズモンドとジェームズ・ムーアの著書『ダーウィンが信じた道 進化論に隠されたメッセージ』についてコメントしてきました。今回はシリーズの結びとなる第5部です。第1部第2部第3部第4部はこちらをご覧ください。

 

デズモンドとムーアは、ダーウィンの反奴隷制の見解について述べる際に、ダーウィンをハリエット・マーティノーと比較しています。彼女は作家で、女性の平等を唱えており、ダーウィンの兄のエラズマスと一時期交際していました。マーティノーは強力な反奴隷制活動家でもありました。ダーウィンについて言えば、デズモンドとムーアはこのように書いています。

 

ダーウィンの祖父たちはアメリカ革命を支持していた。アメリカ建国の父たちによく知られていた、開明的な非国教徒の血が彼には流れており、マーティノーの反奴隷制への「大きな使命感 [訳注: 原文では"overarching commitment"]」を、同じように感じていた。(214ページ)

 

overarching commitmentというフレーズを引用符で囲むことで、デズモンドとムーアは、ダーウィンの反奴隷制的見解がマーティノーの見解と一致していることを記述するためにこのフレーズを使っている情報源が存在するという印象を与えています。

残念ながら存在しない

このフレーズは、R・K・ウェッブの1960年の著書『Harriet Martineau: A Radical Victorian』(コロンビア大学出版局) から来ています。 ウェッブはマーティノーについて、「彼女には当てはめるべき独自の原則があった。彼女は、奴隷制廃止主義への包括的なコミットメント [訳注: 原文では"overarching commitment"] の下で、志を同じくする友人たちの支援を得て、それを厳密に当てはめた」(163ページ) と書いています。デズモンドとムーアは、マーティノーの見解を記述するフレーズを取り上げ、それがダーウィンの見解を記述しているかのような印象を与えています!ダーウィンがマーティノーほど強く奴隷制廃止にコミットしていたという証拠はありません。事実、ダーウィンは姉のキャロラインに、エラズマスがマーティノーと結婚して義理の姉妹になることへの懸念を (人種差別的な言葉で) 表明しています。

 

ダーウィンはこう書いています。

 

これほど立派な義姉から私たちの保護となるものは、彼女が彼を酷使することだけです。彼 (エラズマス) は、(彼自身の表現を使えば) 彼女の「ニガー」と大差ない存在になるであろうことを察知し始めています。― 哀れなエラズマスが、これほど冷静で精力的なご婦人のニガーになることを想像してください・・・・・・私たちの哀れな「ニガー」のために祈らなければなりません。

 

マーティノーが義姉になることからの保護を求めたことからすると、ダーウィンは彼女の最大のファンではなかったと結論できます!

ライエルとアメリカ南部

最後の例として、チャールズ・ライエルがアメリカ南部を好んだことに対するダーウィンの態度を、デズモンドとムーアがどのように特徴づけているかを考慮しましょう。ダーウィンはライエルに、ライエルがアメリカを訪れている間に読むようにと、ライエルに献呈した『ビーグル号航海記』の改訂版を送っていました。デズモンドとムーアはこう書いています。

 

ダーウィンは改訂した『ビーグル号航海記』を出版社からライエルに送らせた。二度目の旅行では、ボストンへの途上で読み、さらにお守りのように南部までもっていくようにと。本を開いたライエルが見つけたのは、自分への嫌みなほどの献辞だった。しかし、針は本の最後にひそんでいた。五〇〇ページから先に。そこでダーウィンは、怒りを一気に吐きだした。(294ページ)

 

この後に続くのは、ダーウィンがブラジルで奴隷の忌まわしい扱いを観察した経験を語る『航海記』からの長い引用です。しかしデズモンドとムーアは、ライエルに向けたダーウィンの怒りを明文化するために、ダーウィンがライエルに送った手紙も引用しています。

 

ダーウィンは1845年8月25日にライエルに以下のように書いています [訳注: 以下の手紙は本書の292~293ページに部分的に引用されており、その訳文はそのまま利用しています。引用されていない文は私が訳しています。]

 

あなたからの手紙を嬉しく思いました。その手紙であなたは奴隷制度について触れられています。あなたが出版された論考にも同じ感情が現れていたら良かったのですが。― しかし、この主題については書こうとは思いません。あなたをいらだたせるかもしれませんし、私自身は絶対にいらつきます。― 航海記のなかにブラジルの奴隷制の罪について少し書きました。もしかしたら、これがあなたへの答えだとお考えになるかもしれませんが、そうではありません。・・・しかし、私のわずかな文章は、単なる感情の爆発にすぎません。どうしてあなたは、子どもを親から引き離すという考えに対して、それほど落ち着いて意見が言えるのでしょうか、そしてつぎのページでは、白人の進歩が妨げられると書いていらっしゃいますが、私なら正反対のことを叫びたくなります [訳注: この一文の翻訳は本書からの引用ですが明らかに誤訳と思われます。ダーウィンの手紙の原文は、「次のページで (ライエルは)、白人が繁栄していないことに心を痛めたと語っており、あまりに対照的なので叫んでしまったことを請け合います」というような意味になるはずです。つまりダーウィンは、ライエルが親から引き離される奴隷の子どもには冷淡な一方、白人の状況を心配するという対照的な態度を示したことに思わず感情を爆発させたということです。]。― しかし、言わないつもりでしたが、言ってしまいました。この醜悪で恐ろしい話題はこれきりです。

 

ダーウィンは明らかに、奴隷制を公然と非難することへのライエルの抵抗に苛立っていましたが、ライエルとの科学的関係を損なうことを許容するほどには苛立っていませんでした。デズモンドとムーアは確かに、ダーウィンの「もしかしたら、これがあなたへの答えだとお考えになるかもしれませんが、そうではありません」という発言を記しています。しかし、彼らはそれを、ダーウィンが「冷ややかで礼儀正しかった」のだと取り繕っています。そうかもしれませんが、ダーウィンとライエルの間に交わされた科学的書簡の広範な性質を考えれば、ダーウィン奴隷制をめぐる意見の相違を自分の科学的関心に従属させていたことは明らかです。ダーウィンの反奴隷制の見解が、彼の科学的研究の「聖なる大義」のレベルまで高まったというのは、単に事実とは異なります。ダーウィン奴隷制を忌み嫌っていました。このことは文書的にも立証されています。しかし、奴隷制への彼の関心は良く言っても、彼の科学的研究とはあまり関係がありませんでした。

よく研究された修史?

ダーウィンが信じた道』は実際には歴史フィクションの一作であり、そのように読むべきです。真正の歴史に根ざしてはいますが、描かれるダーウィンの肖像は高度な想像の産物です。歴史フィクションを、文学のジャンルとして受容することには確かにまったく問題はありません。しかしこの件に関しては、デズモンドとムーアは、彼らの物語を大量の文書記録で根拠づけることで、彼らの歴史フィクションをよく研究された修史の一作として提示しましたが、語られる物語を裏付けることにあまりにも頻繁に失敗しています。引用された資料がしばしば文脈から外れていたり、主張されている点とは無関係であったり、あるいは異なる資料から単に切り貼りされたものであったりすることは、実際にその陳述がなされたことはなかったような印象を与えます。これは計り知れないほど大きな失敗であり、世界的に著名なダーウィン学者としてのデズモンドとムーアの信頼性 (および学術出版社としてのシカゴ大学出版局の信頼性) に現実的疑問を提起するものです。

 

しかしそれ以上に、『ダーウィンが信じた道』は、より大きなダーウィン神話の特性が深く凝り固まっていることを実証しています。デズモンドとムーアは、学問的に目立つ論点 (反奴隷制と反人種主義) を取り上げ、これをダーウィンに重ね合わせ、可能な限り肯定的に描いたように思われます。奴隷制廃止という聖なる大義に生涯を捧げた男を、誰が批判できるでしょうか?ダーウィンの種の理論が、19世紀の人種差別的言説と闘うことを意図したものだと知りながら、誰がそれを批判するでしょうか?『ダーウィンが信じた道』を真剣に受け止めるなら、ダーウィンの理論を批判することは、事実上、南部の人種差別主義者の側に身を置くことになります。

 

いい試みでした、デズモンドとムーア。しかし、ダーウィン的進化を批判したからといって、人種差別主義者になるわけではありません。現実のダーウィンは、デズモンドとムーアがチャールズ・ダーウィン純然たる反奴隷制の英雄であるウィリアム・ウィルバーフォースに仕立て上げようと試みて描いた人物よりも、はるかに曖昧で葛藤を抱えた人物です。読者にとってより良い本があってもいいでしょう。私は、近刊の拙著『Only an Abstract: Rescuing the Origin of Species from the Grasp of Darwinian Mythology』の中で、より歴史的に妥当なダーウィンの肖像を描こうと試みています。今のところは、デズモンドとムーアの本は単に図書館のファンタジーの書架に並べ直すべきでしょう。