Japanese Translation of EVOLUTION NEWS & SCIENCE TODAY

https://evolutionnews.org/ の記事を日本語に翻訳します。

ツアー-クローニン討論: カリスマが勝利を収めるのか?

This is the Japanese translation of this site.

 

ケイシー・ラスキン
2024/1/12 11:28

 

ジェームズ・ツアーとリー・クローニンの間の、生命の起源に関するハーバード大学のラウンドテーブルでの討論についての議論を、私は昨日始めました。先に進む前に、いくつかの事実を明らかにしておくべきでしょう。私はジム・ツアーを友人だと考えていますし、彼の論議には確かに好意的です。しかし、ジムが非常に情熱的であることも知っています。彼は自分の感情を表に出す人で、ジムの場合、見たことをそのまま受け取ることができます。ジムがこのことを否定するとは思いません。実際、私は彼のそういうところが好きです。彼はとても率直な人なのです。しかし、彼の性格上、重要な論点で自分が正しい側にいると感じると、何らかの情熱が表に出てしまうことがあります。無関心、曖昧さ、混乱によって麻痺した世界において、私はこれを新鮮に感じます。しかし、彼のアプローチは修辞的リスクをもたらします。ジムの反対者たちは、私たちの無関心で曖昧な世界が対立を恐れていることを知っているので、「平和、平和・・・平和なだけでいいではないか」という群衆に訴えるために、ジムの情熱を利用し、それが攻撃であるかのように誤解させようとすることがあります。

 

この原動力が、ツアー-クローニンのラウンドテーブルで如実に表れました。ジムが少し調子を抑えればもっと多くの人々に届くだろうと彼の批判者たちが言うのも一理あるかもしれません。しかし、何かが深刻に間違っているという事実に人々が目覚めなければならない時もあります。もしツアーが正しいのなら、OOL (Origin of Life) のコミュニティは大衆に対して自分たちの成功を劇的に誇張し、答えがすぐ近くにあるかのように誤導してきたことになります。もしツアーが正しいのなら、たとえその元凶の一部の機嫌を損ねたとしても、この点を明確に表明する必要があります。

 

では、ツアーはラウンドテーブルで過度に攻撃的だったのでしょうか?このイベントを視聴し、そして再視聴した私は、そのようなことはまったくなかったと思います。ツアー教授は冷静さを保ち、決して怒鳴らず、不適切なレベルまで声を荒げることもなく、最も重要なこととして、科学に大いに焦点を当てていました。実際、ツアーはイベントを通して非常に温厚で、非常に冷静な気質を保っていました。

 

クローニンのカリスマと科学は同等ではない

リー・クローニンに関しては、彼は好感の持てる人柄とクールな髪型の持ち主であり、このことは学界の聴衆、特に論争にアレルギーがあったり、体制との平和を望んだりする聴衆の前では受けが良いでしょう。ハーバードの人々の多くはその部類に当てはまるのではないでしょうか。クローニンは、ツアーが引き合いに出した見たところ破滅的な引用句のいくつかに素早く対処しようと試みました。

 

例えば、クローニンは陽気な態度で、「今後2年以内に」実験室で生命が創成されるだろうという2011年の彼の予測を、すでに自動運転車が存在するはずだという見当違いの予言と比較し、自分の予測が「少し早すぎた」かもしれないと愛想よく認めました。クローニンは、OOLの研究を「詐欺」と呼んだクローニンのツイートをツアーが引用したことに直接対処しました。クローニンはその意味を明確にしました。「生命の起源が詐欺だとは思いません。あれはジョークです」。

 

いいでしょう。つまり、クローニンは生命の起源がどれほど早く再現されるかを誇張していたことを認め、私たちは彼のツイートをジョークとして受け取るということです。自分の立場を明らかにし、後で不正確だったと気づいた発言を撤回するための余地と猶予は与えられるべきです。しかし、クローニンの不正確な予測の説明に隠された前提を見逃してはなりません。ほとんどの人は、いつの日か自動運転車が登場すると信じています。つまり、いつの日か「研究室で生命を作る」と予測することが、いつの日か「自動運転車を造る」と予測するようなものだとすれば、この2つの予測は「いつの日か達成される可能性の高い道理にかなったもの」という同じ範疇に入るということです。クローニンの論議に隠された前提は、いつか生命の起源が解明されることを示唆するものです。

 

しかし、ツアーが多くの道理にかなった強力な科学的挑戦を提示したことを思い出してください。そこで私たちは次のように問わなければなりません。クローニンはそれらに適切に対処したでしょうか?その答えは重要で、この通りです。いいえ、彼はそうしませんでした。クローニンはツアーの挑戦に対処しようとさえしませんでした。その代わりに、クローニンは二重の修辞的観点を採用しました。すなわち、ツアーを攻撃しつつ、OOLが道理にかなっていると思えるようにしようとしたのです。

 

クローニンはこのラウンドテーブルを、生命の起源についての科学的な説明を提供するためではなく、むしろいつの日かこの問題が解決されると信じることを人々に納得させるために使うことに没頭しているように見えました。驚くべきことに、クローニンは、それがどのように起こるのかという科学的な説明におよそ近づくことなく、この確信を鼓舞しようとしました。

 

非常に印象的で大胆な修辞的手段でした。簡単に言えば、クローニンはOOLがどのように起こったかを説明しに来たのではありません。彼はただ、いつの日かこの問題は解決できると信じることをあなたに納得させるために来たのです。そして、クローニンの陽気な人柄は、確かに彼にとってのその任務をより容易なものにしました。しかし、そのカリスマに目をつぶれば、生命の起源が実際に解決可能な問題であることを示唆する科学的根拠を、クローニンが提出しなかったことは明らかです。

引き立て役としてのジム・ツアー

クローニンは、生命がどのような起源を持つのかという化学について話すために来たわけではありません。彼は合理的と思わせるために来たのであり、「私は今日、問題を解決したと言うためにここに来たのではありません」と前もって認めてさえいました。そして彼は、何の具体性もなしに、私たちは「進歩している」、さらには「素晴らしい進歩」がある、と繰り返して聴衆を安心させようと、存分に試みました。

 

しかし、善人のように見せたいときは、誰かを悪人に仕立て上げるのが役に立ちます。そうすれば、より道理にかなった、信じられる人物に見えるからです。こうしてクローニンは、悲観的で、怒りっぽく、攻撃的で、不公平な批判者という引き立て役の役割をツアーに強いたのです。科学的楽観主義者を自認するクローニンは、自分を道理にかなった当事者に見せるように努めました。

 

しかしながら、問題がありました。冒頭陳述の台本を作成したとき、彼は明らかに、ツアーが声を荒げ、怒鳴り、怒り、一般に攻撃的で不愉快な振る舞いをすることを当てにしていました。そのため、非常に奇妙な行動ですが、クローニンはツアーが「怒鳴る」、あるいは人々の「鼓膜を震わせる」ことに繰り返し言及し、ツアーは「声がかすれるまで・・・私に怒鳴る」、あるいは「[聴衆に] 容赦なく怒鳴って『みんな愚かだ』と言う」と言いました。しかし、そのようなことは起こりませんでした。ツアーは情熱的だったかもしれませんが、怒鳴ったり、誰かの鼓膜を振るわせたりはせず、誰かを愚かと呼ぶことも確かにありませんでした。

 

もう1つの例ですが、クローニンはツアーが彼を「悪い化学者」と呼んだと主張しました。しかし、これも決して怒らなかったことです。ラウンドテーブルの後半で、クローニンはツアーが「過度の批判」をしていると主張しました。まるで、何かにつけて口うるさい配偶者に言うような言葉です。これはまったく不公平だと私は思いました。ツアーは道理にかなった疑問を提起しているのに、そのせいで批判的すぎると非難されるのでしょうか?もしそうなら、彼の挑戦に答えるのは簡単なはずです。しかし、クローニンは何も答えませんでした。むしろ、ツアーが科学に焦点を当てたのに対し、クローニンはツアーに焦点を当てました。聞き覚えがありませんか?

デジャヴ: ツアーとファリーナの討論の繰り返し

リー・クローニンは「デイブ教授」よりもはるかに親しみやすく、このラウンドテーブルはツアー-ファリーナの討論よりもはるかに穏健で礼儀正しいものでした。とはいえ、修辞的力学の重要な側面は実質的に同一でした。

  • 2023年5月のツアーとデイブ・ファリーナのOOL討論では、ツアーは科学に焦点を当て、OOLへの一連の科学的挑戦を提出しました。ファリーナはそれらの挑戦や質問に答えることを明確に拒否し、代わりにツアー個人について、一連の悪質な人心攻撃を伴って話すことに多大な時間を費やしました。
  • この2023年11月のツアーとクローニンのOOLラウンドテーブルで、ツアーは科学に焦点を当て、OOLへの一連の重大な科学的挑戦を提出しました。そして、相手のクローニンは、ツアーの道理にかなった挑戦や質問に答えることを明確に拒否し、代わりにツアー個人について話すことに多大な時間を費やしました。険悪にはならなかったものの、ツアーを繰り返し「怒鳴る」、「怒る」、「攻撃的」などと描写しようとして攻撃しました。

さらに、この「ラウンドテーブル」の結末は、ツアー-ファリーナの討論とほとんど同一です。

  • ツアー-ファリーナの討論の終結時点で、ツアーの道理にかなった挑戦はまったく答えられないまま残され、しかもツアーの人格は不当に中傷されていました。
  • ツアー-クローニンのラウンドテーブルの終結時点で、ツアーの道理にかなった挑戦はまったく答えられないまま残され、またしてもツアーの人格は、より友好的な仕方であったとしても、不当に中傷されていました。

リー・クローニンは個人としてはとても親しみやすい人です。そのことに疑問の余地はありません。しかし、生命の起源の批判者であるジム・ツアーには、相手が対処せず、したがって見たところ対処できなかった論議と挑戦がありました。またしても、ジェームズ・ツアーが勝利を収めました。そのことにも疑問の余地はありません。