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ジョナサン・マクラッチー
2024/3/6 6:34
最近ある人から、アイルランドのゴールウェイ大学にあるロースクールの講師、ジョン・ダナハーが2017年に発表した記事についてコメントを求められました。彼は法哲学や道徳哲学、さらには宗教哲学について広く発表しています。記事の中でダナハーは、インテリジェントデザイン (ID) の推進者たちには宗教的動機があると主張しています。彼は、還元不能な複雑性からのIDの論議には概念的な問題があり、私たちが還元不能なほど複雑であると考えるシステムは、細胞内で他の役割を果たす構成要素の流用によって適切に説明できるとも力説しています。私は2つの記事で、私たちが持つとされる宗教的動機についての彼の懸念を取り上げてから、還元不能な複雑性への彼の具体的な反論に取り組むことにします。
私たちに宗教的動機はあるか?
ダナハーは小論の冒頭で、IDに初めて遭遇した学生時代を回顧しています。
私が学生だった頃、もう10年以上も前のことですが、インテリジェントデザインが大流行していました。ダーウィニズムへの最新の宗教に触発された脅威でした (その宗教的起源を隠そうと試みてはいましたが)。ダーウィニズムは、自然界で見られるある形態の適応を決して説明できないと論じていました。
インテリジェントデザインがその先祖と異なっていたのは、科学的に洗練されているように見えたことです。インテリジェントデザインの支持者たちは往々にして十分な資質を備えた科学者や数学者で、微生物学の最新の知見や確率論の難解な応用で論議を飾り立てていました。私の感覚では、今も支持者がいることに疑いは無いものの、この数年間でインテリジェントデザインの熱狂は色あせてしまったようです。
これらの段落により、筆者がインテリジェントデザインについての文献にかなり疎いことが露呈しています。
かつてない強さ
第1に、IDは2000年代初頭から長足の進歩を遂げています。色あせるどころか、現在ではかつてないほど強くなっており、その歴史のどの時期よりも多くの学術的支持者 (そして多くの査読済み出版物) を抱えています。その論議は2000年代初頭よりもはるかに発展し洗練されており、この傾向は今後も続くでしょう。
第2に、ダナハーがどのような意味でIDの「宗教的起源」に言及しているのか明確ではありません。宗教的な視点を持ち、有神論に傾倒することで、生物も含めた宇宙におけるデザインの測定可能な証拠が存在する可能性に対して心を開くという、もっともらしい構造が創り出されることは確かに事実です。したがって、有神論的宗教 (私の場合はキリスト教) の真理を自主的に確信することと、ある人が評価するIDの事前確率 (あるいは本質的妥当性) には、正の相関があります。しかし、たとえ有神論的宗教を確信しなかったとしても、自然界におけるデザインの証拠は、私の意見では、事前確率が非常に低くても、それを圧倒するのに十分です [訳注: 表現が少しわかりにくいですが、ある人が証拠を考慮する前にIDが正しい確率を非常に低いと見積もっていたとしても、証拠を考慮した後には、宗教を信じていてもいなくても、考えを根本的に改めることは可能だということのようです。]。実際、私たちの宇宙の歴史が有限だという宇宙論的証拠があります。宇宙の法則と定数のファインチューニング、複雑な生命体にとっての自然環境の事前適応性、科学的発見と技術のための宇宙の最適化、そしてデザインの生物学的証拠はすべて、宇宙の創造者という方向を一義的に、かつ収束的に指し示しています。そのためIDは、マイケル・デントン、デイヴィッド・バーリンスキ、スティーブ・フラーなど、どの宗教の信者でもない学者からの支持を集めています。古生物学者で、『Evolution News』に頻繁に寄稿しているギュンター・ベヒリーは、現在はキリスト教の信者ですが、最初にIDを確信したときはキリスト教に共感していませんでした。
多くのレベルでの見当違い
この小論の後半で、ダナハーはさらにこのように語っています。
その主張は、神が細菌の鞭毛を創造したに違いないというものではなく、知的デザイナーがそうしたというものです。戦術的な理由から、インテリジェントデザインの推進者たちは宗教的な動機を隠すことを好み、自分たちの理論は本質的に宗教的なものではなく、科学的なものだと主張しようと試みました。これは大部分、米国憲法における宗教教育への特定の法的禁止事項を回避するために行われました。ですが、私はそのことにはあまり興味がありません。私の見解では、インテリジェントデザイン運動は宗教的なものであり、したがって彼らが提示する論議は、ほとんどすべてのデザイン論議と同じようなものです。
これらのコメントは多くのレベルで見当違いです。
第1に、私たちID推進者が個人的な宗教的信念を明確にしていないという主張は誤りです。私自身について言えば、クリスチャンの有神論者であることを、その結論を確信している根拠はIDの科学には全く依存していませんが、大いに明確にしています。そして、私は決して異例ではありません。指導的なID推進者の事実上全員 ― マイケル・ベーエ、ウィリアム・デムスキー、スティーブン・メイヤー、フィリップ・ジョンソン、デイヴィッド・クリンホファー、ケイシー・ラスキン、ブライアン・ミラー、アン・ゲイジャー、その他大勢 ― が、自分の個人的な宗教的信条を全く隠していません。インテリジェントデザインの世界では、宗教的信条を持たない人々も含めて、宗教的信条について何かを隠している人はいません。
第2に、IDは科学的論議であり、科学的論議を評価する場合、その推進者の動機は無関係です。ケイシー・ラスキンが次のように書いている通りです。
科学においては、科学者の動機や個人的な宗教的信条は問題ではなく、証拠のみが問題になります。例えば、偉大な科学者であるヨハネス・ケプラーやアイザック・ニュートンの科学的な仕事は、神が惑星の運動を支配する理解可能な物理法則を備えた、秩序ある合理的な宇宙を創造されたという宗教的信念に鼓舞されたことによるものでした。彼らが正しいことが判明したのは、彼らの宗教的信条ゆえではなく、科学的証拠が彼らの仮説の正しさを検証したからです。(少なくともアインシュタインが現れるまでは、ニュートンは正しいと考えられていました。) 彼らの個人的な宗教的信条、動機、所属は、彼らの科学理論に計り知れない科学的真価があり、現代科学の基礎を形成するのに役立ったという事実を何ら変えるものではなかったのです。
推進者の宗教的動機とされるもののためにあるアイディアを攻撃するというのは発生論の誤謬を犯しており、ダナハーがここで行ったことはまさしくそれです。
第3に、IDは宗教的論議ではありません。IDは広範な有神論的観点に強力な証拠を提供していますが、論議そのものは科学的手法に基づくものです。IDは、ある特定の宗教的伝統を他と比較して長所を評価する助けにはなりません。私は神がデザイナーの正体として最良の候補だと (スティーブン・メイヤーが近著『Return of the God Hypothesis』で論じているように) 主張していますが、厳密にはIDは人に有神論への傾倒を求めるものでもありません。したがって、IDは当然ながら、あらゆる宗教的信念を持つ人々や無宗教の人々(正統派ユダヤ教徒、イスラム教徒、不可知論者を含む)を引きつけています。これは、IDがある特定の宗教を支持するものではないことを示しているので重要です。ですから私たちは、科学的証拠のみで何が語れるかを誇張しないように注意しながら、IDの限界について正直であるように努めています。
進化については?
最後に、ダナハーがID推進者たちの宗教的動機を精査したいのであれば、そのような攻撃方針が進化に何をするのかを考慮しなければなりません。ケイシー・ラスキンは、多くの指導的な進化論擁護者たちの広範な反宗教的信条、動機、所属について記しています (こちらやこちらをご覧ください)。私 (とラスキン) は、進化は科学であると主張するものの、もしその提唱者たちの宗教的 (あるいは反宗教的) 信条が、突然その是非の評価に関連するようになったら、進化に何が起こるだろうかと問わねばなりません。
「論争を教える」
IDは科学的なものであり宗教的なものではないという主張は「大部分、米国憲法における宗教教育への特定の法的禁止事項を回避するために行われました」というダナハーの陳述は、歴史的に間違っています。『Discovery Institute』(IDの研究に資金を提供し、一般大衆の理解を促進する主要な組織) は、公立学校でIDを教えることを法的に保護しようとする試みを支持していません。事実、『Discovery Institute』が米国の主要な公教育論争に最初に関与した時 (2002年オハイオ州) 以来、公立学校でIDを教えるように命じることを支持したことはありません。これは、IDが違憲だと私たちが感じているからではありません。IDは、宇宙論におけるビッグバンのように、幅広い有神論的な観点に親和的かもしれません。しかし、ビッグバン理論が宗教的なアイディアではないのと同様に、これによってアイディア自体が宗教的なものになるわけではありません。したがって、IDの本質的な部分に、憲法修正第1条の下で違憲となるようなものはありません (法的な議論については、こちらやこちらをご覧ください)。しかし、IDの教育を法的に保護しようとする試みはこの理論を政治化する傾向があり、IDの是非は法廷ではなく、科学雑誌で討論されるべきであると私たちは信じています。むしろ『Discovery Institute』は、科学理論 (進化論を含む) の強みと弱みが提示され、議論される「論争を教える」モデルを唱えています。これらすべては、私たちの「Science Education Policy」のページで明確にかつ率直に述べられています。
公共政策の問題として、『Discovery Institute』は、学区や州教育委員会にインテリジェント・デザインを教えることを要求するいかなる試みにも反対します。インテリジェントデザインについて教えることを要求する試みは、この理論を政治問題化するだけであり、学者間や科学コミュニティ内での理論の是非についての公正で率直な議論を妨げることになるでしょう。しかも、現時点ではほとんどの教師がインテリジェントデザインについて正確かつ客観的に教えるのに十分な知識を持っていません。
『Discovery Institute』は、公立のK-12スクールでインテリジェントデザインについて教えることを推奨する代わりに、カリキュラムにおける進化の範囲を広げようとしています。進化は十分に、そして完全に生徒に提示されるべきであり、生徒は未解決の問題も含めて進化論についてもっと学ぶべきだと信じています。言い換えれば、進化論は批判的精査に対して開かれている科学的理論として教えられるべきであり、疑問を持たれることのない神聖な教義として教えられるべきではありません。
このように、ダナハーは『Discovery Institute』の長年にわたる教育ポリシーについて十分な知識を持っていません。2番目の記事では、還元不能な複雑性からの論議に関する彼の具体的な懸念を取り上げることにしましょう。