Japanese Translation of EVOLUTION NEWS & SCIENCE TODAY

https://evolutionnews.org/ の記事を日本語に翻訳します。

無神論者の哲学者が、インテリジェントデザインが「隙間の神」論議ではない理由を説明する

This is the Japanese translation of this site.

 

ジョナサン・マクラッチー
2024/2/20 14:42

 

ジェフリー・ジェイ・ラウダーは無神論者の哲学者・著述家で、有神論的信条を批判する知識人としては最上層に属すると私は評価しています (こちらでフランク・トゥレクとの討論をご覧になれます)。彼は非常に平衡を保った繊細な思想家であるだけでなく、とても友好的でもあります。私は彼を友人だと考えており、何度か夕食や飲み会で会ったことがあります。Twitter (「X」という醜悪な新名称で呼ぶのは控えます) では、「Secular Outpost」というハンドルで通っています。最近、ラウダーは以下のような発言を投稿しました

 

(非有神論者の間で) 不評な意見: モアランド、クレイグ、メイヤーのような人たちが擁護するインテリジェントデザインの論議は、隙間の神の論議ではありません。

 

私の同僚であるデイヴィッド・クリンホファーが、この発言についての彼の考えを明確にするようにラウダ―に求めました。それに応じて、ラウダーはこの論題について書いた2つのブログ記事へのリンクを貼りました。1つ目は2016年に発表されたもので、「(自然神学における) 有神論的論議で、隙間の神の論議であると非難できないものはあるのか」、そしてこのように言い返すことが「すべての自然神学に対する万能の返信」として使えるだろうか、と尋ねたヴィクター・レパートへの回答です。ラウダーは最初の質問に肯定的に、2番目の質問に否定的に答えています。

インテリジェントデザインはなぜ「隙間の神」論議ではないのか

(1) 現在のところ科学が説明できない何らかの不可解な現象Pが存在する。

(2) 有神論はPを説明する。

したがって、

(3) Pが起きる可能性は、神が存在するという仮定の方が、神が存在しないという仮定よりも高くなる。

 

隙間の神の論議についてのラウダ―の再構成に問題はないと思います。彼が説明するように、「この論議の重要な特徴で、これを『隙間の神』論議にするものは、前提 (1) です。その焦点は、科学が現在Pを説明できないことにあります」。隙間の神という批判に対して脆弱ではない論議をどのようにして構築できるでしょうか?意識の存在に基づいて有神論の論議を進めたいとしましょう。ラウダーは、次のような論議の定式化 (ここでEは人間の意識の存在、Tは有神論、Nは自然主義 [訳注: 原文では説明されていませんが、Bは背景情報を意味します]) はこの告発を回避できると提唱しています。

 

(1) E は真であることが知られている。すなわち Pr(E) は1に近い。

(2) N は本質的に T よりも確率があまり高くない。すなわち、Pr(|N|) は Pr(|T|) よりもあまり大きくない。

(3) Pr(E | T & B) > Pr(E | N & B) である。

(4) 他の証拠が同等であれば、Nはおそらく偽である。すなわち、Pr(N | B & E) < 1/2 である。

 

平易な英語にすると、この論議は次のようになります。

 

(1) 人間の意識の存在は正しいことが知られている。

(2) 自然主義は本質的に有神論よりも可能性があまり高くない。

(3) 所与の有神論と背景情報に対して人間の意識が存在する可能性は、所与の自然主義と背景情報に対して人間の意識が存在する可能性よりも大きい。

(4) 他の証拠が同等であれば、自然主義はおそらく誤りである (すなわち、所与の背景と証拠に対して、自然主義が正しい可能性は50%未満である)。

 

ラウダ―は、「この論議にどのような問題があるにせよ、隙間の神の論議というのはその問題の1つではないことは明らかです」と結論しています。私はラウダーの評価に完全に同意します。生命や宇宙のさまざまな特徴、特にDNAの情報特性や分子システムの還元不能なほど複雑な性質は、その起源に意識を持つ精神が関与しているという仮定によって他の仮定よりもはるかに存在可能性が高くなるというのがインテリジェントデザインの主張する論議です。したがって、それらはデザインの肯定的確証となります。宇宙におけるデザインが確証されることは、所与の有神論の仮説に対し、それが偽である場合よりも、著しく意外性が少ない (あるいは可能性が高い) ので、デザインの証拠は神の存在の肯定的な証拠にも変換されます。おそらく、この論議構造には脆弱性があるでしょう。しかし、どんな誤りがあろうとも、「隙間の神」の論議であるから誤っているのではないことは確かです。インテリジェントデザインが実際に真実かどうかというより大きな疑問について意見の相違があるにもかかわらず、このことを指摘したラウダーの知的誠実さを称賛したいと思います。

ジェフ・ラウダーによる『Signature in the Cell』の書評

ラウダーがリンクした2番目の記事は、スティーブン・メイヤーの著書『Signature in the Cell: DNA and the Evidence for Intelligent Design』への批判的な書評です。最初の記事よりもこの記事の方が同意できない点が多数ありました。ラウダーは、「メイヤーが彼の論議の論理的形式を明示していることは幸運です」と述べており、その論理的形式を次のように引用しています。

 

前提1: 徹底的な探索にもかかわらず、大量の特定された情報を産み出す力を実証した物質的原因は発見されていない。

前提2: 知的原因は、大量の特定情報を産み出す力を実証してきた。

結論: インテリジェントデザインは、細胞内の情報についての最良かつ最も因果的に適切な説明を構成する。

 

ラウダーは、彼の名誉のために繰り返しますが、「彼の論議を無知からの論議として却下するのは間違いであるという点で、私はメイヤーに同意します」と述べています。さらには、「生命の起源がインテリジェントデザイン (そして有神論) の潜在的な証拠の源となる可能性を考慮すべきです」。では、メイヤーの論議へのラウダ―の根源的な異議は何なのでしょうか?彼はこう書いています。

 

私が念頭に置いている異議はこのとおりです。デザイン仮説は説明ではありません。なぜなら、そう、説明していないからです。生物学的情報の起源に関して、デザインによる説明とは何であるとメイヤーズ [ママ] が信じているのか、私には未だに明確ではありません。この本には、知的デザイナーが最初の生物学的情報をどのように創造/デザイン/プログラム (適切な動詞が何なのか分かりませんが) したのかについての記述は見当たりません。生物学的情報を説明するためには、生物学的情報の潜在的原因として知的デザイナーの存在を仮定するだけでは不十分です。さらに、デザインによる説明には、あるものをデザインし構築するためにデザイナーが使用したメカニズムの説明も含まれなければならないように私には思えます。言い換えれば、デザインが何かを説明するためには、デザイナーがそれをどのようにデザインしたかを知らなければなりません。デザイナーがどのようにそうしたのかが分からない、あるいは手がかりすらないのであれば、デザインによる説明はないことになります。

 

しかし、私にはこれは間違っているように思えます。例えば、太陽に最も近い恒星であるアルファ・ケンタウリの高解像度の画像を未来の科学者が撮影できるようになり、フォルクスワーゲン・ビートルに似た乗り物がその惑星を周回していることを発見したとしましょう。おそらく、その乗り物を組み立てるためにどのような装置や工程が使われたのか見当がつかなくても、またその原因となった主体を特定することさえできなくても、デザインを推論することは正当化できるでしょう。確かに、それらは下流工程についての質問として興味深いものです。しかし、それらに答える能力が私たちにないからといって、そのビートルがどのようにしてそこに現れたのかという説明としてデザインを推論する私たちの能力は無効にはなりません。

 

さらに、私たちは皆、意識がどのように機能するかについての理解が欠如しているのに、意識を持つ精神が物質世界と相互作用していると信じています。したがって、私たちの精神がどのように私たちの体を活性化させて工学的なタスクを達成するのかについての適切な説明が現在のところできないとしても、意識を持つ精神が複雑で機能的に特定された情報内容、あるいは工学的に設計されたシステムの原因となると仮定することは、正当な説明になります。

『Theism and Explanation』

ラウダーはグレゴリー・ドーズの『Theism and Explanation』を引用していますが、その中で彼はリチャード・スウィンバーンの有神論的論議に異議を唱えて以下のように力説しています。

 

「もし神が本当にこうした意図を持っていたとしたら、他にどんなことが起こるだろうか」と問うことによってあなたの説明を検証できるのは、あなたが問題となっている神意を特定したときのみである。そして、これまで見てきたように、説明されるべきものを仮定された目標に置き換えるだけではうまくいかないだろう・・・。すでに見てきたように、これはうわべだけの説明であり、経験的な内容をひどく欠くことになろう。

― 119ページ

 

しかし、有神論の論議を説得力のあるものにするには、例えば複雑な生命を創造するために、神が特定の動機や意図を持っている可能性が高いことを仮定する必要はありません。神が創造についてそのような目的を持つことは、とてもあり得ないことではないと仮定すれば十分です。例えば、複雑に具現化された被造物を含む世界を創造する神の目的が、彼らが道徳的な選択の場に参加し、道徳的に意義深い方法で発展しながら自らの特質を成型および形成する機会を提供することだとしましょう。そのようなシナリオでは、行動が予測可能な結果を伴うためには、宇宙は確立された自然法則に支配されなければならないでしょう。そして、相反する作用のある世界において物理的に具現化されていることにより、道徳的な意思決定に関与する私たちの能力は際立つのです。古典的な有神論を前提にすれば、このようなシナリオがまったく荒唐無稽なものではないことは、ほとんどの読者にはお分かりいただけると思います。しかし、有神論が虚偽であると仮定すると、そのような世界の存在は不条理なほどあり得ないことになります。したがって、私たちが観察している世界は、有神論を支持する強力な (私にとっては圧倒的と言っていい) 証拠を構成しています。

 

意見の相違は多々ありますが、私はラウダーの気質と知的な正直さに心から感謝しています。次世代の非宗教的思想家たちが彼の手本に従うことを願っています。