Japanese Translation of EVOLUTION NEWS & SCIENCE TODAY

https://evolutionnews.org/ の記事を日本語に翻訳します。

これがインテリジェントデザインの意味するもの (そして意味しないもの) です

This is the Japanese translation of this site.

 

アン・ゲイジャー
2023/4/27 9:49

 

理論としてのインテリジェントデザイン (ID) は広く誤解されています。そしてそれは、私が編集した新刊『God’s Grandeur: The Catholic Case for Intelligent Design』を共著者とともに執筆する動機となった事実のひとつです。もちろん、IDを誤解しているのはカトリック教徒だけではありません。この問題は、批評家や混乱しているか情報不足のコメンテーターたちによって促進された、IDについての多くの誤った情報が存在しているという事実に大きく起因しています。人々は、IDとは何なのかについて、報道機関、一般の論評、ソーシャルメディア、そして最終的には科学雑誌や書籍といった情報源から様々なうわさを耳にします。IDについて書く自由は誰にでもありますが、それは当然のことであって、自分が語っているものについて知っていようといまいと関係ありません。そして往々にして、知らないのです。門番はいません。また、中には計画的にIDに反対する人々もおり、IDを故意に誤って伝えることがあります。アイディアについての討論ではよくあることです。

 

ID推進者は皆、自然のある特徴が知的な原因によって最もよく説明されることに同意していますが、多くの副次的な論点については、ID推進者は異なる前提で異なる視点を持っている可能性があります。例えば、IDは普遍共通祖先については何も主張していません。ID支持者の中には、普遍共通祖先に同意する人もいますが、ID支持者の多くは、すべての生命が共通の祖先を共有するという考え方に反対しています。また、デザインが具現化される方法や、自然の過程が関与する度合いについても、異なった見解が存在します。これらの見解の違いは、必ずしも何か悪いことの徴候というわけではなく、実際には、多様なモデルが存在し、議論され、テストされ、改良されるという健全性の反映です。科学者たちは異なる背景を持ちますし、物事がどのように機能するかについての彼らの意見は、より多くを学ぶにつれて変わるかもしれません。その混合状態に加えて、エンジニア、コンピュータ科学者、数学者が関与すると、生物学者とは異なる彼ら自身の貢献がもたらされます。IDは学際的であり、それゆえに強力です。すべての人に役割があるのです。

 

(もちろん、進化論も流動的であり、ゲノムのどの部分が機能的なのか、エピジェネティクスの役割などについて討論されています。意見が合わないのは科学者の性です。)

伝聞による科学

このように、ほとんどの科学消費者は、インテリジェントデザインについて、誤解や狭い視野に陥っている可能性の高い科学者やその他の人々から、伝聞によって聞いています。私は、ランダムな突然変異が新しい情報を生み出すことができるかどうかについての、インターネットでの討論を見たことがあります。討論者たちはしばしば話が食い違っているのですが、主な問題は情報の意味が異なっていることです。新しい塩基配列、あるいは新しい機能的塩基配列のことでしょうか?機能的とはどういう意味でしょうか?新しい何か、何らかの新しい作用を意味するのでしょうか、それとも生物にとって有益な何らかの新しい作用を意味するのでしょうか?

 

最後に、私たちの反対者にIDの本を読んだことのある人はほとんどいません。誤解しないでほしいのですが、私たちにはIDについての知識があり、私たちの本を読んで、その上で同意しない知的で公正な対話相手がいます。しかし、反対者は私たちの本を読むと、考えを変えることが知られています。『God’s Grandeur』の寄稿者の一人である古生物学者ギュンター・ベヒリーが思い浮かびます。

 

念のために言っておくと、この本の中で私たちが神をデザイナーとして語っているのは、『God's Grandeur』でしているように科学的論議と哲学的論議を統合すると、ビッグバンの瞬間より前の目的を持ったファインチューニングの証拠にまで及ぶ、生命と宇宙におけるデザインの範囲が、明らかに超越的知性がデザイナーであることを指し示しているからです。

インテリジェントデザインとは何か

そのため、『God’s Grandeur』の中で私たちが最初にする必要があったことの1つは、インテリジェントデザインとは何を意味し、何を意味しないのかを確立することでした。この本の序文を書いたのは、フランシスカン大学の哲学教授であるローガン・ゲイジです。彼はそのことを、独特の明晰な散文で展開しています。強調のため、その章からいくつかの重要な点を太字にしました。

 

・・・インテリジェントデザイン (ID) 支持者は通常、インテリジェントデザインを、宇宙や生物のある種の特徴は、無方向性の過程よりも、知的な原因が最良の説明となるという見解として定義している。これは、進化が起こったことはないとか、自然の過程や力に役割がないという意味ではないことに注意されたい。それはむしろ、自然の過程や力がすべてではないという最小限の主張であり、すべてのものの起源は神にあると信じる我々カトリック教徒が、教義として傾倒している主張である。

 

デザイン支持者たちは、さまざまなレベルで、見かけのデザインではなく現実のデザインについて論じてきた。例えば、宇宙の始まりには知的な原因を必要とする (ウィリアム・レーン・クレイグとジェームズ・シンクレア)、物理法則はデザインされている (ロビン・コリンズ)、我々の惑星は比類なくデザインされている (ギリェルモ・ゴンザレスとジェイ・W・リチャーズ)、我々が知る化学は生命のためにデザインされている (マイケル・デントン; ベンジャミン・ワイカー、ジョナサン・ウィット)、生物の構成要素は盲目的探索では見いだされず、デザインされたものでなければならない (ダグラス・アックス)、最初の生物と化石記録はデザインの証拠を与える (スティーブン・メイヤー)、生物のマクロおよびミクロ双方の特徴はインテリジェントデザインの証拠を与える (マイケル・デントン; マイケル・ベーエ) と論じてきた。

 

これらの論議について、取り急ぎ3つのことに注意してほしい。第1に、固定観念とは対照的に、これらの論議は「隙間の神」論ではない。これらの論議はいずれも、「何が原因でこうなったのか分からないから、神がやったに違いない」と主張するものではない。むしろ、デザイン支持者の標準的な論議の様式は最良の説明への推論であり、これは普遍的な、特に (進化生物学のような) 歴史科学では一般的な論法形式である。彼らは、自然界には意図的なデザインの肯定的な兆候があり、それに比べて非意図的な説明は弱いと論じる。これはカトリックの信仰に大いに合致する。聖書 (例: 詩編19編、ローマ1章)、教父たち (例: ナジアンゾスの聖グレゴリオス)、公会議 (例: 第1バチカン公会議) はすべて、自然界における神の御業は、信仰によるのみならず、人間の理性によっても検出できると宣言している。

 

第2に、デザインの検出は、自然界における神の「介入」を検出したことを含意するものではない。デザインは、直接的な作用の有無にかかわらず検出可能である。トウモロコシ畑が意図的に植えられたことは、種を植えるためにドローンのような中間的な原因が使われたとしても識別できる。同様にデザイン論は、仲介の無い神の作用を必ずしも示唆しない。

 

第3に、これらの論議は明らかに神学的な意味合いを持つが、ID支持者たちは公に入手可能な科学的証拠を固守しようとしており、宗教的文章から論じてはいない。ほとんどのインテリジェントデザイン支持者はクリスチャンであるが、デザイナーがキリスト教の神であるという論議には、単なる科学的証拠以上のものを必要とする。ID支持者は、神を信じていることについて口を閉ざしているのではなく、結論に慎重になっているのだ。アクィナスは同じことをしている。

インテリジェントデザインとは何ではないか

多くのクリスチャンの知識人は、神が直接介入しているとID理論家が信じているとか、あるいは自然界に見られるものは全部自然の過程によってもたらされたと考えているようです。これは誤ったジレンマです。神自身が自然法則を作った存在であるゆえに、神は自分の意志の道具として (二次原因として) 自由に自然の過程を用いることができます。ゲイジ教授は次のように書いています。

 

IDはゼロサムゲームを示唆するものではない。つまり、もし神が何かをもたらすには、神は直接行動しなければならず、さらには自然が真の原因になることはできないというわけではない。むしろ、我々の世界のいくつかの特徴が、それらの起源の物語のどこかで知的にデザインされたことを示す非常に良い証拠を与えるという最小限の主張をしている。IDが否定しているのは、自然界のあらゆる特徴が総じて自然の力の産物であるということである。

 

実際、すべてのキリスト教徒、そしてすべての伝統的な有神論者は、宇宙の創造における神の作用を認めるはずです。神は少なくとも初めに、たとえそれが自然法則を作るためだけであったとしても、直接的に関与しなければなりませんでした。しかし、ローガン・ゲイジが書いているように、「神の作用は自然法則を通してのみという見解は、聖トマス・アクィナスや教会の見解ではない」ことも指摘しなければなりません。

介入主義という非難

他のクリスチャンは、IDが介入主義 (神は創造において神の直接的な作用を通して介入するという考え方) を要求していると非難します。しかしIDはそのような主張はしていません。IDは単に、デザインとその効果を検出することはできても、そのデザインがどのように具現化されたかは必ずしも検出できないと述べているだけです。介入は可能ですが、要求されてはいません。とは言うものの、キリスト教では確かに、神が創造において直接介入すると主張しています。私たちはこれらの行為を奇跡と呼びますが、聖書には他にも多くの奇跡が記されているとはいえ、クリスチャンは少なくとも2つ (受肉と復活) を認めなければなりません。そしてここに、今まで決して起こらないことであるかのように介入主義を非難し、神は自然の原因を通してのみ作用すると言うクリスチャンがいるという、奇妙な現象が起きています。

 

ゲイジ博士はもう一つの誤解、すなわちIDは機械論的であるという考えについて議論しています。これもまた、非信者ではなくクリスチャンからの告発です。機械論的なのは唯物論の科学者です。なぜなら、定義からして彼女は、物質とエネルギーだけが組み合わさって作用し、すべてを生み出していると信じるからです。これはIDの見解とは大幅に異なります。なので誤解から生じていることになります。

 

ID理論家は分子機械について話します。進化生物学者もそうします。しかしID理論家は、すべてがメカニズムであり、生物は機械であるという主張はしていません。それとはかけ離れています。では、この考えはどこから来たのでしょうか?ゲイジ教授はこのように書いています。

 

問題は、近世の機械哲学から出現した一種の還元主義である。それは、生物をその部分の総和としてのみ扱う傾向があった。ID理論家はこのようなことはしない。仮にID推進者が生物のある構成要素を文字通りの機械だと考えたとしても、彼らが生物全体を機械だと考える還元主義者だと推論するのは誤りであろう。実のところID論議には、機械論的なデカルト的哲学はおろか、一般的な自然哲学も前提とされていない。

 

ゲイジと私の言葉で、インテリジェントデザインとは何を意味し、何を意味しないのかが明らかになったことを願います。そうすることで、読者は『God’s Granderur』を意図したとおりに読むことができます。インテリジェントデザインとは、宇宙や生物のある種の特徴が、無方向性の過程によってではなく、知的な原因によって最もよく説明されるという見解であることを忘れないでください。IDの論点は、それがどのようになされたのか、いつなされたのか、どの程度なされたのか、あるいは誰がしたのか、ということではありません (最後の質問は、私が言ったように、哲学のような他の分野からの解明を待たなければなりません)。論点は単純です。宇宙と生物の起源や営みは、目的を持つデザインの明確な証拠を示しています。