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グランヴィル・セウェル
2023/12/15 8:17
今月初め、私は2020年のノーベル物理学賞受賞者ロジャー・ペンローズとクリスチャンの哲学者ウィリアム・レーン・クレイグとの友好的な討論から、ファインチューニングについての部分を含む映像について議論しました。この映像は私にとって興味深いものでした。なぜなら、ペンローズが、ほぼ常にデザインの唯一の代替案として提案される多元宇宙/人間原理の説明を好んでいないからです。
私は、もしかするとペンローズがファインチューニングの説明として多元宇宙を好まない理由の1つは、ペンローズ自身が発見したファインチューニングを説明するためには、恐ろしいほど多くの宇宙が要求されるからではないか、と提案しました。その後に別の、今度はロバート・ローレンス・クーンとのインタビュー映像を見つけましたが、その中でペンローズは、少なくとも彼自身の壮大な「初期エントロピー」のファインチューニングについては、これが確かに多元宇宙/人間原理によるファインチューニングの説明に対する主な反論の一つであることを明らかにしています。
彼は、他のファインチューニングの例はビッグバンの「特別な」初期条件に必要なファインチューニングに比べれば「取るに足りない」と呼び、「仮説」しか持っていませんが、このファインチューニングには別の説明があるに違いないと言います。しかし、仮にこの壮大で特別な初期条件について、偶然やデザインよりも優れた説明が見つかっていたとしても、それらの「取るに足りない」ファインチューニングは依然として説明されないままでしょう。例えば、なぜ重力定数は30桁あるいは60桁の精度で正確にそうでなければならなかったのでしょうか!
「私たちは観測しているはず」
私は、ペンローズとクレイグの討論において、クレイグが多元宇宙論へのペンローズの反論の1つを、もし人間原理がファインチューニングを説明できるのなら、「私たちは今とはずっと違う宇宙を観測しているはず」だと要約したことも記しました。そして多元宇宙的説明に対し、『The Edge of Evolution』でマイケル・ベーエが次のように述べたのと同じ問題をペンローズは見ているらしいと言いました。
有限でランダムな多元宇宙という見解では、我々は、知的な観測者を産み出すために絶対に必要とされるもの以外、生命にはほとんどあるいはまったく何もない、必要最小限の世界に住んでいる可能性が非常に高い。だから、もし最小限よりもはるかに余分なものが贅沢にある世界にいることに気づいたら、我々の世界が有限の多元宇宙シナリオの結果ではない方に大きく賭けるべきだ。
私たちの宇宙の他の「余分なもの」
ロバート・クーンのインタビューから明らかなように、ペンローズの反論は、実際に私たちの宇宙の秩序が、宇宙の初期エントロピーに関連する特定の種類の秩序についての話ではありますが、観測者が存在するために要求されるものをはるかに超えて広がっているというものです (4:10~)。私たちの宇宙 (そして私たちの惑星) が私たちに提供している他の「余分なもの」は、観測者が存在するために要求されるものをはるかに超えており、こちらに含まれている『Fire-Maker』(マイケル・デントン) と『Privileged Planet』(ギリェルモ・ゴンザレスとジェイ・リチャーズ) のビデオクリップが示唆するように、見たところ科学的発見や技術的進歩のためのファインチューニングが含まれているように思えます。
ロバート・クーンとのインタビューの中で、ロジャー・ペンローズはなおも、私たちの宇宙で見られるようなファインチューニングがなくても、ひょっとすると何らかの非常に異なる種類の生命は存在し得たかもしれない、ということだけをデザインに代わるものとして提示しています (1:15~)。そして、その代替案の問題点は依然として、以前の投稿の最後の段落で表現した通りです。
もちろん、これらの議論はすべて、適正な物理学の定数と宇宙の初期条件が得られれば、デザイン無しに生命が生じて意識のある観測者が進化できたという、非常に控えめに言っても疑わしい仮定を前提としています。