Japanese Translation of EVOLUTION NEWS & SCIENCE TODAY

https://evolutionnews.org/ の記事を日本語に翻訳します。

進化は私たちに自由意志を与えることができただろうか?

This is the Japanese translation of this site.

 

デニーズ・オレアリー
2023/11/7 6:28

 

過去から現在までの多くの思想家と共に、神経科学者のサム・ハリス、理論物理学者のザビーネ・ホッセンフェルダー、進化生物学者のジェリー・コインが、過去から現在に至る多くの思想家とともに支持している伝統的な唯物論者の立場は、この宇宙に自由意志は存在し得ないというものです。アルベルト・アインシュタイン (1879-1955) は、1932年のスピノザ協会での演説で、次のように述べてその基本的な見解を表明しています。「人間は、その思考、感情、行動において自由な行為者ではなく、星々の運動と同様に因果的に拘束されている」。

 

今や、再び討論が始まったようです。ある片隅からは、自由意志は物質化されれば、あるいはお好みなら「進化させられれば」、存在し得るだろうということが聞こえてきます。

こちらの片隅では

新たな立役者は、霊長類学者でスタンフォード大学の神経学教授、ロバート・サポルスキーです。彼の新著『Determined: A Science of Life Without Free Will』(Penguin) は、自由意志は存在しないと言い切っています。

 

ヒトや他の霊長類を40年以上研究してきたサポルスキーは、実質的にすべての人間の振る舞いは、発作の痙攣や細胞分裂や心臓の鼓動と同様に、私たちの意識的な制御をはるかに超えているという結論に達した。これは、群衆に銃を乱射した男が、たまたま悪い時に悪い場所に居合わせた犠牲者たちと同様に、自分の運命を制御できないことを受け入れるという意味である。それは、歩行者に突っ込んでくる飲酒運転者を、突然の心臓発作に苦しんで車線をはみ出した運転者と同じように扱うことを意味する。

― コリーヌ・パーティル、「STANFORD SCIENTIST, AFTER DECADES OF STUDY, CONCLUDES: WE DON’T HAVE FREE WILL」、『MSN』、2023年10月17日

他の片隅では

しかし、もう1人の新たな立役者、トリニティ・カレッジの神経科学者ケヴィン・ミッチェルは、彼の新著『Free Agents: How Evolution Gave Us Free Will』(プリンストン大学出版局、2023年) で、自由意志はあり得るとして対抗しています。彼は最初に、物理学は、その根底にある量子の世界自体が非決定論的なので、絶対的決定論を支持しないと指摘します。彼は、どんな事象においても、私たちは環境の操り人形ではないと論じています。

 

さらに、我々には人間特有の付加的な能力があり、それは我々の振る舞いが、実際にはどの瞬間にもそれら全ての制約によって完全に決定されるわけではないということを意味している。進化において脳が拡大するにつれて、我々は大脳皮質の階層をさらに発展させた。これにより、我々はメタ認知、つまり我々自身の認知過程についての内省、我々の思考についての思考、そして理由についての推論の能力を与えられた。私たちは本当に熟慮することができ、その熟慮により私たちは何をするかを本当に決定することができる。

 

したがって、自由意志への形而上学的な挑戦を乗り越える方法は存在する。自然はすでにそれを見出している。進化は、単に原子の集合としてではなく、自律的な行為者として世界で行動する能力を持つ生物の創発を導いたのである。その進化の軌跡をたどることで、物理法則に違反することなく、またいかなる神秘的あるいは超自然的な力を必要とすることなく、生物がそれ自体で因果的な力を持つようになったかを知ることができる。

― ケヴィン・J・ミッチェル、『HOW LIFE EVOLVED THE POWER TO CHOOSE』、プリンストン大学出版局、2023年10月27日

 

つまりミッチェルの見解では、進化という非人間的な自然の力が、人間の大脳皮質に階層を形成し、それ自体が持っていない自由意志とメタ認知を私たちが持てるようにしたと・・・。

両者の立場の評価

サイエンスライターのダン・フォークは、『Nautilus』に書いた記事で、2つの立場を評価してこのようにコメントしています。

 

私の考えでは、ミッチェルが正しい方向に進んでいるように思える。我々は本当に決断を下しており、決断を下す能力は長い年月をかけて進化してきたのだ。単純な生物は単純な決断を下し (「食べられそうな食料源—その方向に進まなければ!」)、複雑な生物は複雑な決断を下す (「候補者の一律課税案は気に入らないが、洋上風力エネルギーについての彼の立場は好きだ」)。決定論者は、我々が何をするにしても、それ以前にあったもののせいでそうするのだと主張するかもしれない。単純な生物の場合は、その立場は正当である。ゾウリムシの「決断」は、多少なりとも自動操縦的に起こる。しかし、我々のような複雑な生物の場合は、我々の行動は意識的な決断に依存している。つまりミッチェルにとっては、我々は運転席にいるのだ。

― ダン・フォーク、「YES, WE HAVE FREE WILL. NO, WE ABSOLUTELY DO NOT」、『NAUTILUS』、2023年11月2日

 

大いに結構ですが、フォークの要約で問題なのは「意識的な決断」という用語です。人間の意識を説明するのに、非物質的な実在という考え方を伴わない有意義な方法はありません。それはまさしく、ミッチェルが苦心して否定していることです。人間についての伝統的な二元論的理解では、自由意志は抽象的思考のように、非物質的で不滅の魂の一部です。ミッチェルは、進化に単なる自然の力自体では持っていないものを創造する能力を付与することで、物質世界で自由意志を持つことの問題を回避しようとしています。それは良い試みであり、良い本を作り出すかもしれませんが、うまくいかないでしょう。

 

この話題についての彼自身の議論を締めくくるにあたって、フォークは考慮に値する別の考えを提示しています。「もし個人に選択の自由がないのであれば、どうして裁判所や立法府や社会全体が選択の自由を持ち得るだろうか?もし自由が幻想だとしたら、『司法改革を唱える』というような考えも無意味になるように思えるかもしれない」。

家畜か人間か?

実際には、集団の力学が作用し始めかねない大きな実体よりも、放任されている個人の方が多くの自由意志を持っているのかもしれません。いずれにせよ、『The Human Soul』(Worthy、2024年) を私と共著したマイケル・エグナーは、自由意志の否定は全体主義社会への近道だと指摘することを好みます。「自由意志がなければ、私たちは家畜であり、無罪の推定もなく、実際の無罪もなく、権利もありません。自由意志を尊重しない司法制度、その内部で人間の選択が病弊となる司法制度は、ホモ・サピエンスに適用される家畜管理のシステムです」。

 

この議論全体で実に興味深いのは、唯物論者が自由意志を単純に反証することができなかったので、ミッチェルは自由意志に適合するように進化論を形作ろうとしているように見えることです。これは日常的に見られることではありません。