Japanese Translation of EVOLUTION NEWS & SCIENCE TODAY

https://evolutionnews.org/ の記事を日本語に翻訳します。

デムスキーを批判するジェイソン・ローゼンハウスは、現実よりも想像を優先している

This is the Japanese translation of this site.

 

ブライアン・ミラー
2022/7/28 6:45

 

ジェームズ・マディソン大学で教鞭をとる数学者ジェイソン・ローゼンハウスは、最近出版された『The Failures of Mathematical Anti-Evolutionism』という本の著者です。この本の目的は、複雑な新奇性を作り出す無方向性進化の妥当性に対してID支持者が提示する数学的、アルゴリズム的論議を失墜させることです。ローゼンハウスは、ウィリアム・デムスキーの特定された複雑さに基づくデザイン検出の形式論に批判を集中させています。デムスキーはローゼンハウスの論議に詳細に返答し、デムスキーの理論的枠組みと生物学的システムへの適用に対するローゼンハウスの混乱を強調しました (こちらこちら)。次いでローゼンハウスがデムスキーの批判に返答しました。『Panda's Thumb』に掲載された彼の反論は、デムスキーと対立する彼の立場が、デムスキーの仕事の何らかの本質的な欠陥に基づいているのではなく、むしろ自然選択の無限の創造力に対するローゼンハウスの揺るぎない信仰に基づいていることを明らかにしています。

デザイン検出のためのデムスキーのフレームワーク

デムスキーのデザイン検出のアプローチは、特定された複雑さ (SC) の存在を識別することに重点を置いています。パターンやオブジェクトは、高い確率的複雑性を持ちながら、記述的複雑性が低い場合に、SCを実証します。デムスキーは次のように説明しています

 

特定された複雑さにおいて、確率的複雑性と記述的複雑性がどのように作用しあっているかを理解するために、次のようなポーカーの例を考えてみましょう。「ロイヤルフラッシュ」と「任意の手」に対応する手を取り上げます。これらの記述はおおよそ同じ長さで、非常に短いものです。しかし、「ロイヤルフラッシュ」は、ポーカーの総手数2,598,960通りのうち4通りの手を指し、確率が4/2,598,960=1/649,740である事象を記述してます。これに対して、「任意の手」は、2,598,960通りのポーカーの手のうち、どの手でもよく、したがって、確率1の事象を記述しています。私たちがロイヤルフラッシュを目撃したら、その事象の記述が短く、確率が低いことに基づいて、それを偶然に帰着させることを拒む傾向があるのは明らかです。

 

相当量のSCを生成できる (例えば、ロイヤルフラッシュを4回連続で配る) のは精神だけであり、その存在は確実にデザインを指し示しています。

 

デムスキーはまた、コンピュータ科学者のロバート・J・マークスや ウィンストン・エバートと共同で、情報保存の定理を証明しています。これらの定理は、対象に関する情報を提供されない限り、探索アルゴリズムが高レベルの特定された複雑さに対応する対象を見つけることができないことを実証しています (こちらこちらこちらこちら)。結果として、既知・未知を問わず、いかなる無方向性の進化的過程も、相当量のSCの生成を必要とする革新や変革を達成することはできません。

ローゼンハウスの返答

ローゼンハウスは、デムスキーとその同僚に対して、彼らの研究は生物学的進化とは何の関連もないと断言します。彼の考えでは、これにはいくつかの重要な理由があります。第1に、彼は生物学的構造の起源についての確率を信頼できる形で評価することはできないと主張しています。

 

反進化論者は、進化論に反駁するために、常に偽の確率計算を提示する。確率に関する長い章の中で私は、適切な計算は、数学者が「確率空間」と呼ぶ文脈において行われなければならないと説明している。これは、我々の目的のためには、起こりうる結果の範囲を十分に把握すると共に、それらの結果に適した確率分布への理解が必要であることを意味する。複雑な適応の進化という文脈では、我々は決してこのために必要なものを持っていない。ハーバード大学の生物学者マーティン・ノワックは、「目が出来た確率を計算することはできない。我々はこの計算をするための情報を持っていない」と述べている。

 

第2に、生物学的構造は特定のパターンを決定的に提示しているわけではないとのことです。

 

しかし、この考え方を進化の問題に適用することには明らかな問題がある。デザインを示唆するパターンと、人間が過剰な想像力によって自然界に押し付けたパターンとをどのように区別するのだろうか?デムスキーは複雑な適応の機能をその特定性として用いることができると主張しているが、生物学者は当然のこととして自然選択が機能的構造を作り上げると主張している。そうすると、システムの機能はデザインを示唆しているのだろうか、それとも単なる自然選択なのだろうか?機能を特定性として用いる際に、我々がふわふわした積雲に注目してそこにドラゴンを見出すのと同じことをしていないと、どうして確信できるのだろうか?

 

第3に、複雑な新規性を発見するのに必要な情報は自然が提供するので、情報保存の定理は進化論に挑戦するものではない、ということです。

 

生物学に当てはめると、彼の論議は、進化が機能するためには自然がある特定の方式でなければならないという主張にほかならない。我々の多くは、このことを理解するために難しい数学の定理を必要としなかった。進化する生物が直面する適応度景観は、究極的には物理学の法則から生じるものであり、デムスキーとその共同研究者たちは、実際にはなぜ宇宙はそうなっているのかと問いかけているだけなのである。それは全くもって良い質問であるが、生物学の領域とは言い難い。

想像が証拠に取って代わる

ローゼンハウスのデムスキーへの回答は、経験的に実証されたことではなく、彼が生物学について真実であると想像していることに基づいているため、結局は失敗しています。生物学的システムでは確率を評価できないと断言していますが、これは非常に誤解を招きやすいものです。正確な確率の計算は典型的には不可能ですが、確率の上限の計算はしばしば扱いが容易です。

 

ダグラス・アックスは、β-ラクタマーゼ酵素について、その酵素の大きい方のドメインの上限は、ランダムに選んだ機能配列1077通りのうちの1通りであることを実証しました。ローゼンハウスはアーサー・ハントの批判を引用してこの推定値の信用を落とそうとしましたが、アックスや他の人々がそのような否定的な評価は彼の研究および技術文献の誤解を反映していると示したことを認識できていません (こちらこちらこちらこちら)。

 

β-ラクタマーゼ酵素は比較的単純な機能を実行します。結果として、生命におけるタンパク質のかなりの割合について、配列希少性はほぼ間違いなく、知的行為者を通してのみ生じ得た特定された複雑さの量に相当します。この結論は、アックスとは全く異なる方法を用いて機能的なタンパク質ドメインの希少性を推定したティアンとベストの2017年の論文によって補強されています。彼らの結果は、80個のアミノ酸より大きいほとんどのドメインは、無方向性探索によって出現するにはあまりに稀であることを確認しています。

 

さらに、ウーラ・ヘスフェル、ギュンター・ベヒリー、アン・ゲイジャーは、集団に協調的な突然変異が現れるのに要求される時間についての数学的モデルを発表しました。彼らのモデルは、ほとんどの動物について、主要な変異に利用できる時間は、新しい制御配列が少し出現するのにさえ十分でないことを実証しています。しかし、脊椎動物の目の水晶体と同じほど単純な構造の進化にも、そのような特定された配列が数百個とは言わないまでも数十個は要求されます (こちらこちら)。それほど大量の特定された複雑さが出現する確率の上限はごくわずかです。

人間工学との相似性

さらに、生物学者と協力しているエンジニアは、生命システムが人間工学に見られるのと同じ特定されたパターンを実証していると結論してきました。例えば、バクテリアの鞭毛の研究の指導的な専門家たちは、この分子機械が回転モーターに似ていると単純に結論してきたのではありません。むしろ、鞭毛は回転モーターであると結論したのです (こちらこちらこちら)。そして、鞭毛のナビゲーションシステムは、2種類の制御モジュールによってのみ達成可能な、完全なロバスト適応を実行します (こちらこちら)。そのような生物学的システムが特定された複雑性を示すという結論には、議論の余地がありません。

 

最後に、自然が進化的探索のための情報を提供するという見解は、進化・適応の過程はほとんどが、もっぱら既存の構造を微調整するか、既存の形質のライブラリから選択するものであることを実証する怒涛のような最近の文献と矛盾します (こちらこちらこちら)。遺伝情報は決して大量には得られず、せいぜい維持される程度で、しばしば失われます (こちらこちらこちら)。要するに、進化的過程の創造力へのローゼンハウスの信条は、確かなデータではなく、科学的唯物論という哲学への信仰と、循環論法に基づいています。