Japanese Translation of EVOLUTION NEWS & SCIENCE TODAY

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ファクトチェック: ダーウィンの奴隷制廃止論についての想像

This is the Japanese translation of this site.

 

ロバート・シェディンガー

2023/3/17 9:43

 

昨日から、エイドリアン・デズモンドとジェームズ・ムーアの著書『ダーウィンが信じた道』について論評する一連の投稿を始めました。彼らが焦点としているのは、奴隷制と人種に関するダーウィンの見解についての主張です。

 

デズモンドとムーアは、ダーウィンがケンブリッジ大学の学生であった1831年2月15日に、イギリスの植民地における奴隷制の廃止に関する討論会が開かれたことを指摘しています。その討論会は、ケンブリッジから歩いて2、3分のところにある赤獅子亭で行われたと言われています。デズモンドとムーアはこう書いています。

 

この集会にダーウィンが参加していたかどうかは確認できていないのだが、彼は、いとこにその夜は出かける予定があると告げている。集会のテーマが彼にとって重要であることは、友人たちが証言している。みな、ダーウィンがあらゆる形の残虐行為を嫌っていることを知っていた。・・・特に親しかったジョン・モーリス・ハーバートは、「彼は抑圧されたり苦しんだりしている人に深く同情した。彼が奴隷貿易の恐怖について語り、うなるのを聞いた人はみな、心の奥底の感情を揺さぶられた」と回想している。(115ページ)

 

巻末には3つの情報源が参照されています。ケンブリッジの友人J・M・ハーバートが書いたダーウィンについての回想、ダーウィンの自伝 (59ページ)、書簡集第1巻 (117ページ) です。

見てみましょう

書簡集には、1831年2月15日、ダーウィンの従兄弟のウィリアム・ダーウィン・フォックスに宛てた手紙が含まれており、それは「私は今晩出かけるので、用件を書く時間しかありません」で始まります。これは、ダーウィンがその晩に実際に外出したことを立証するものですが、赤獅子亭での討論会に出席したことを示唆すらしていません。参照されている自伝は、ダーウィンがケンブリッジ大学での学問的業績を語っているだけで、デズモンドとムーアが立証しようとしている点とは無関係です。しかし、参照されているハーバートの回想は、より興味深いものです。

 

1882年5月26日、フランシス・ダーウィンはハーバートに書いた手紙で、父親の思い出について尋ねています。ハーバートは、何か書いてみようと思うが、ケンブリッジ時代の記憶は薄れてしまったと答えました。それでも、彼は6月2日に、思い出したことをいくつか書き送りました。

 

デズモンドとムーアがハーバートのものとした引用は、この回想からのもので、正確に引用されています。しかし、その文脈は興味深いものです。ハーバートはまず、ダーウィンが動物の苦痛を嫌悪していたことを述べています。ダーウィンが、前日に射たれてまだ生きていながら、極度の苦痛にある鳥に出くわした後、趣味である射撃をやめると言ったことを彼は覚えています。ハーバートは、ダーウィンがドッグショーで、従わない犬を主人がどんなに厳しく扱うか恐れて、その場を離れたことも思い出しています。

 

続いてハーバートは、デズモンドとムーアが引用した、奴隷貿易へのダーウィンの嫌悪感を述べています。しかし、これは奴隷制への原則的な嫌悪だったのでしょうか?ハーバートが、動物虐待へのダーウィンの嫌悪について述べる文脈の中に、奴隷制へのダーウィンの嫌悪についての回想を含めたことは、何を示唆するのでしょうか?彼が嫌ったのは単に残酷さであって、人種差別的非人間化ではなかったのでしょうか?デズモンドとムーアはこの文脈を無視し、代わりにいくつかの情報源をまとめ上げ、ダーウィンがケンブリッジ時代から奴隷制に対する原則的嫌悪感を持っていたかのような印象を与えています。

家族からの感化

さて、デズモンドとムーアにとって、ダーウィンの奴隷制廃止論者としての見解がどのように家族から感化されたものであるかを示すことは重要です。この目的のために彼らは、ダーウィンの姉妹であるキャサリンとキャロラインによる、彼女たちの姉妹のスーザンが、

 

「憎むべき『ジョン・ブル』は、奴隷が平和で幸せに暮らしているように見せかけている」[のを見て、](49ページ)

 

いかに激怒したかについての報告を記しています。

 

『ジョン・ブル』は奴隷制支持の意見を持つトーリー党の新聞でした。巻末注には、書簡集第1巻 (31ページ、36-41ページ) が示されています。そこを見ると、ダーウィンがエジンバラ滞在中に姉妹たちとやり取りした一連の手紙があります。

 

そのうちの2通は、キャロラインとキャサリンが抱いていた奴隷制に対する否定的な態度を記したものですが、いずれの手紙にもスーザンは言及されていません。1826年3月17日、スーザンはダーウィンに、弟が「憎むべき『ジョン・ブル』」を読まないことを望むとまさしく書いています。そして4月11日には、キャサリンとキャロラインの2人がダーウィンに宛てて、「スーザンは奴隷制 ― 奴隷が平和で幸せに暮らしているように見せかけている『ジョン・ブル』に対して、これまで以上に熱くなっています」と書いています。

 

スーザンが反奴隷制の見解を持っていたことについては、デズモンドとムーアは正しいでしょう。しかし、彼らが3月17日の手紙から「odious (憎むべき)」という一語を取り出し、4月11日の手紙から取り出したフレーズに加えていることに注目してください。デズモンドとムーアが示した精神は正しいのですが、異なる情報源からの単語やフレーズをつなぎ合わせていることは、一次資料への無頓着な態度を反映しているように見えます [訳注: この点は日本語訳の方がより深刻かもしれません。原文では、「the 'odious' 'John Bull pretending・・・'」 となっており、odiousとそれ以降がシングルクォーテーションで一応区別されています。しかし日本語訳には上記のようにそのような区別はないので、この文言が別々の資料からつなぎ合わせたものだとは分かりようがありません。]。残念ながら、彼らは再びこれを行い、はるかに問題のある結果となっています。

奴隷制についての原則?

デズモンドとムーアは、ダーウィンが彼の姉妹たちに、奴隷制の著名な支持者であるフィッツロイ艦長と5年間暮らしたにもかかわらず、奴隷制についての自分の原則は変わらなかったことを確言したと伝えています。彼らは次のように書いています。

 

ダーウィンは、この「姉妹愛」のおかげで、フィッツロイと一緒に船内に閉じこめられていた五年間でも自分の信条が揺らぐことはなかったのだと思った。その信念は、「これまで以上に堅固になり、根づいていた」。(196ページ)
[訳注: この日本語訳は変だと思います。最初の文章の原文は「Darwin assured the 'sisterhood' that his five years cooped up with FitzRoy hadn't dented his principles.」であり、日本語訳では「sisterhood」を「姉妹愛」と訳しているわけですが、sisterhoodはここでは目的語で、ダーウィンの姉妹たち (キャロラインとキャサリン) 自身を指しているはずです。したがってシェディンガー教授が言うように、この文章は「ダーウィンは『姉妹たち』に、フィッツロイと一緒に閉じ込められていた五年間でも、自分の原則が悪影響を受けることはなかったと確言した」というような意味になると思います。]

 

巻末注には、書簡集第1巻から8通の一連の手紙が引用されており、この点が記録されているかのように見えます。しかし、そのうちの5通の手紙はダーウィンの姉妹たちからのもので、明らかにダーウィンの態度を記録することはできません!なぜそれらが引用されているのかは謎です。残りの3通のうち、1通はダーウィンから姉のキャロラインに宛てたもので、フィッツロイにはなにも言及していません。

 

しかしもう1通は、ビーグル号から帰還して数日後の、1836年10月6日付のダーウィンからフィッツロイへの手紙です。ここでダーウィンはフィッツロイにこのように告げています。

 

政府の慎重な処置のいくつかのために、私の過激派の姉妹たちは大騒ぎでした。・・・しかし、私は変節者ではありませんし、私たちが会うころには、私の政治的信条はこれまでと同様に堅固な確固としたものとなり、賢明に確立されていることでしょう。
[訳注: 「これまでと同様に堅固な確固としたものとなり、賢明に確立されている」の原文は「as firmly fixed and as wisely founded as ever」で、上記日本語訳で「これまで以上に堅固になり、根づいていた」となっているところです。]

最後のフレーズ

デズモンドとムーアが、最後のフレーズ(「as firmly fixed and wisely founded as ever」)を、実際にはダーウィンがフィッツロイに言ったのに、姉妹たちに言ったこととして提示していることに注目してください!さらに問題なのは、最後に引用された手紙は、ダーウィンのいとこのフォックスへの手紙であり、そこには「家庭の良き姉妹関係については、そのままの状態を保ち、長く保たれますように」と書かれています。デズモンドとムーアはまたしても、フォックスに言った1つの単語 (姉妹関係、sisterhood) を完全に文脈から外し、ダーウィンがフィッツロイに言ったフレーズに加えて、全体を彼が姉妹たちに言ったことに見せかけています!

 

ダーウィンは、少なくともデズモンドとムーアが引用した情報源の中では、自分の不変の原則を姉妹たちに確言したことはありませんでした。彼がそうしたという考えは、一次資料の操作から生まれた完全な想像のように思われます。しかし、それ以上のことがあります。