Japanese Translation of EVOLUTION NEWS & SCIENCE TODAY

https://evolutionnews.org/ の記事を日本語に翻訳します。

「貧弱なデザイン」?実は驚くべき人体、その理由とは

This is the Japanese translation of this site.

 

ハワード・グリックスマンスティーヴ・ラウフマン

2022/11/23 13:18

 

編集部注: エンジニアのスティーヴ・ラウフマンと医師のハワード・グリックスマンによる新刊『Your Designed Body』からの抜粋をお届けできることを嬉しく思います。

 

ぼくは充電されたからだを歌う。

- ウォルト・ホイットマン

 

ざっと見ただけでも、人間の体では多くのことが起こっていることがわかる。昼間は大きな槌を振るう手が、夜には情感豊かなピアノソナタを奏でる。トライアスロンでは、同じ身体が水泳、自転車、ランニングという全く異なる3つの競技を立て続けに、極限の持久力でこなす。そのトライアスロンを完走した同じ身体が、(恐らくは別の日だとしても) 山にも登れるのだ。

 

我々の体は、体内の温度を一定に保ち、水分量を効率よく管理し、誤った食事をしても活動し続けることができる。立ち上がるときは、脳への血流を維持するために、ほぼ瞬時に血圧を調整する。我々は、食べ物や水がいつ必要かを知っている。目を閉じていても、我々は体のすべての部位の位置を感知し、動きを細かく調整することができる。

 

我々の目は、驚くほど幅広い色のスペクトルのニュアンスを区別している。眩しいほど明るい光の下で働くのと同じ目が、ほぼ全面的な暗闇の中でも見ることができる。目はどのようにして光 (光子) を情報 (電気インパルス) に変換し、我々の脳はどのようにしてそれを画像に変換しているのだろうか。

 

我々の耳も同じような挑戦に直面しており、音 (圧力波) を電気信号に変換するのは耳だけである。さらに耳は、周囲の物体が発する (あるいは遮断する) 音だけで、我々の精神がその物体の3次元的理解を生成できるように構成されている。

 

指を切ると、すぐに血が止まり、傷口をかさぶたが覆って治癒する。病気になると、体は通常、問題を解決して再び元気になるために素晴らしい仕事をする。

 

我々の体は、動物界で最も速いわけでも、最も大きいわけでも、最も強いわけでもないが、最も用途が広いことには疑問の余地はない。人間の体の能力の幅には驚かされる。

 

そのうえさらに、我々は新しい人々を作ることができる。子供の誕生を経験したことのある人なら、この驚異的な過程で何か特別なことが起きることを知っているであろう。

人間のデザインとの比較

このような驚異に対して、どのような反応が適切なの だろうか。数年前に私 (スティーヴ・ラウフマン) は、企業やシステムアーキテクトの仲間がよく利用するオンラインディスカッションボードのある投稿に注意を惹かれ、熟読した。その投稿者は、人間が設計したシステムアーキテクチャは生物に見られるような驚異的なアーキテクチャとは比較にならない、と述べていた。このコメントは活発な議論を引き起こした。私にとって特に興味深かったのは、ある回答者が、これらの生物学的システムは実に驚異的なアーキテクチャであることには同意したものの、彼が信じるところでは、それらは完全にランダムで無誘導のダーウィン的過程の結果であるため、アーキテクチャと考えることはできない、としたことだった。何といってもアーキテクトたちは、優れたアーキテクチャのデザインには大変な努力が必要で、決して偶然には起こらないことを知っている。

 

え?

 

アーキテクチャ — 生命システムを含むあらゆるシステムにおける工学の特性 — は確かに、誰が、あるいは何がアーキテクチャ的仕事をしたかとは無関係に、結果として生じるシステムにおいて明らかである。そして、システムという観点から見ると、生命システムは解決が並外れて困難な問題を抱えていることは明らかであり、解決しなければ生きることはできない。例えば、多くの単細胞生物は周囲の環境から酸素を取り込むことができるが、(人間のような) 大きな多細胞体の細胞は、そのほとんどが外部環境にアクセスできないのに、どうやって酸素を得るのだろうか。

 

この種の問題を解決する、つまり、大きくて複雑な体を機能させるのは、複雑で複数の部分からなるシステムである。そして、そのようなシステムは、それらがどのように共に適合し、どのように共に機能するかを定義する適切なアーキテクチャの枠組みがあるときにのみ実現する。上記の例で言えば、素朴なアーキテクチャでは、各細胞すべてに必要な酸素を得ることに失敗したり、他にも似たような、生命維持が不可能になる100万ものエラーのいずれかが起きたりする可能性が高い。

 

人間の身体は、紛れもなく工学の驚異だが、その工学の源は何だろうか?我々は皆、我々は宇宙的偶然の産物であり、目的のない自然の力によって長い年月をかけて徐々に築かれたのだと聞かされてきた。我々は目的を持って作られたのだとも聞かされてきた。

どちらだろうか?

この疑問に光を当てるために、我々は人体を詳細に吟味することを意図している。その探求には、2つの異なる相補的な視点が役に立つであろう。

  • 医学的な視点 — 体内の多くの相互に接続されたシステムの洗練された、並外れて精密な機能的能力、力学、協調性を理解すること。
  • 工学的視点 — 機械的、空気圧的、水圧的、電気的システム、制御システム、内部シグナル伝達と協調メカニズム、情報処理システムなどのシステムの精巧な工学を探求すること。

我々は一貫して、明白な医学的・工学的知識に基づいて観察し、論じていく。

 

また、人体のいずれかの部分について、工学的に貧弱であるという主張も考慮する。ここ数年、人体のアーキテクチャを誹謗し、貶める動きが拡大している。この論議によれば、人体は実際にはそれほどうまくデザインされていない。むしろ、自然選択にしごかれた何十億もの小さな、ランダムな、目的のない突然変異の結果として期待されるような、多くのエラーや進化の行き詰まりで満たされているのだ。この盲目的進化のための論議は、一般に貧弱なデザインからの論議として知られている。本書の課程では、この論法のいくつかの例を考察し、23章において、人体に繰り返し見られるデザインの原理やパターンを探求した後、その問題をより深く掘り下げることにする。

 

人体の精巧なアーキテクチャと工学的デザインは、因果関係によるどんな説明にとっても圧倒的な障害を明らかにしており、その障害はもはや無視できないことを我々は論じる。最終章では、工学とシステム生物学の教訓に根ざした生物学的因果関係の理論を詳述し、現代の進化論的パラダイムと比較する。

物議を醸す?確かに

我々の見解が物議を醸すであろうことに疑問の余地はない。生物学的起源において君臨しているパラダイムに挑戦しているのだ。しかし、支配的なパラダイムが常に最良のパラダイムであるとは限らない。科学の歴史は、新しい証拠によって新しい理論の台頭が促されたときに覆された支配的なパラダイムで満ちている。

 

そのような場合、一般的に支配的なパラダイムの擁護者は、すぐにあるいは寛大にその分野を譲ることはない。これはおそらく、科学史家トーマス・クーンの有名な著作『科学革命の構造』の中心的メッセージであろう。ノーベル賞を受賞した物理学者マックス・プランクは、このように述べている。「新しい科学的真理は、反対者を納得させて光を見させることによってではなく、反対者がやがて死に、それをよく知る新しい世代が育つことによって勝利するからである」1。 あるいは、彼の主張がしばしば口語的に言い換えられるところでは、「科学は葬式のたびに進歩する」。

 

それは現実よりも少し悲観的である。すでに科学界や広範な学術界において、いくらかは上層部に、デザインパラダイムへ転向したことを公にした者が出てきたし、内心では支持しているものの、キャリアが脆弱な時点では目立たないようにしている若い科学者の数も増えている。しかし、プランクの観察は、概して真実である。

 

心理学者のジェームス・ドブソンは、キャリアの初期に、さまざまなレベルの現実離れした患者を診るクリニックで働いたときの話を語っている。ある患者は、しばらく前から自分は死んでいると信じていた。ドブソンは、この哀れな患者に彼は本当は生きているのだと納得させるために、思いつく限りのことを試みた。どれもうまくいかなかった。考えた末に、ドブソンはある確実な手段を考案した。「死人は血を流しますか?」と尋ねたのだ。患者は憤慨して、「もちろん死人は血を流しません。馬鹿げています」と言った。ドブソンは針を取り出し、その男の指を刺した。皮膚からにじみ出る一滴の血を凝視して、男は叫んだ。「ああ、なんてことだ。死人は本当は血を流すんだ」。

 

面白い話だが、それ以上に、人間のよくある欠点を例示している。長年の仮説を疑わせる証拠に直面したとき、人は手放すのが最も合理的なその仮定を手放さないことがある。その代わりに、自分が最も大切にしていないものを手放すかもしれない。

 

この本のページで展開されている証拠を吟味するとき、我々が皆さんにお勧めするのは、「この話の人のようになるな」ということである。どこへでも、証拠が導くところにしたがってほしい。

巧妙な解決策

人間の起源の問題は、もちろん、一般の生物学的起源の問題でもある。有機生命体は、生命維持と繁殖の双方のために、多くの難問を克服しなければならない。物理学や化学の法則は、生命を可能にするために精密に調整されているが、生命を引き起こす能力はなく、もちろん、生命が存在するかどうかを気にする術もない。

 

そして、この問題にはかなりの注意が必要である。生命は、精密に配置された微妙な力のバランスに依存している。リチャード・ドーキンスの有名な言葉によれば、「しかし、たとえ生きていく方法がいろいろあるにしても、死んでいる方法 (もしくは生きていない方法) にはもっといろいろあるというのは確かである」2。生命の許容誤差は小さい。しかし、これから示すように、生命を始動させ、維持し、繁殖させることは、解決が非常に難しい問題だ。どうすれば、これほどまでに正しく、何度も何度も許容誤差の範囲に収まることが可能になるのか?

 

難しい問題は、独創的な解決策を必要とする。幸いなことに、生物学には独創的な解決策がいたるところにあり、その点で人体以上のものはない。

 

事実上、人体の独創的な解決策のそれぞれに、1つ以上のシステムが関係している。そのシステムは、(1) さまざまな部分で構成され、(2) どの部分もそれ自身では実行できない機能を実現するために共に機能し、(3) すべての部分が正しく配置、組立、統合され、(4) 正確に必要な範囲の能力を持ち、(5) 厳格な許容量の範囲で、厳格な期限の下で運用されている。我々の多くは実体験から、これらのシステムのどれかが壊れると悪いことが起きると知っている。

 

次世代の産生はさらに困難である。何か一つ間違いがあれば、たとえ表面上はささやかなことでも、特に胚発生の初期であれば、結果として単に生命が絶えてしまう。生命は決して形のない塊として存在しているのではなく、常にアーキテクチャを持つ複雑な形態で存在している。もちろん、生命は唯物論者の科学者がしばしば思い描く豊かな想像の中に存在するわけでもない。生命は現実の世界に見出されるものであり、現実には、生命が必要とする核心的詳細に基づかない理論を挫折させる方法がある。

コヒーレントな相互依存システム — 行わなければ死ぬ

医師は、何かを作り上げるようになるわけではない。単に生命がどのように見えるかを観察したり、その表面的な性質について理論化したりする余裕もない。彼らは、身体が実際にどのように機能しているのか、各部分がどのように影響し合っているのか、そして (願わくば) 長寿の生涯において、そのすべてを機能させ続けるためには、実際面で何を要するのかを知る必要がある。

 

医師は、すべての人間の体が、以下のことを常に行わなければならないことを知っている。

  • 身体は規則に従わなければならない。物理学と化学の力を無視することはできない。それで、例えば化学拡散は死につながるので、身体は拡散の力を打ち消すために積極的に (そして通常は非常に懸命に) 働かなければならない。例外はない。
  • 身体は制御しなければならない。分離均衡を管理し、それによって生き続ける唯一の方法は、必要な何千もの量と過程のそれぞれを効果的に制御することである。体内の塩分が多すぎるとき、あるいは足りないとき、身体はこれを認識し、是正するために必要な行動を取らなければならない。失敗は死を意味する。
  • 身体は、適切な機能的能力を正確に備えていなければならない。心臓と肺は、幅広い活動レベルに対するふさわしいレベルで、全身に酸素を供給する適切な能力を正確に有していなければならない。すべての骨や筋肉は、特定のタスクに対して必要とされる重さや圧力を、それぞれ適切なサイズ、強さ、柔軟性で正確に支持できなければならない。
  • 身体は微細に調整されなければならない。これらすべてのことを、著しく厳格な許容量に収まるように管理しなければならない。生命に不可欠な何十ものパラメータや、何千にも及ぶ制御過程のどれかが失敗すれば、死に至ることもある。

医学がこのような問題について多くを教えてくれることは明らかだが、工学も同様である。 人体の起源についてどのような説話を好むにしても、人体は工学的驚異だからだ。そういうわけで、工学的視点は人体の機能を解明する点で重要となるはずである。

 

エンジニアの間違いは、医師の間違いに比べて発見までに長くかかることもあるが、エンジニアもまた、現実の世界に生きていなければならない。エンジニアは、現実の世界で現実の仕事をする複雑なシステムをデザインし、構築し、配備し、運用する。そしてそれらのシステムが故障しないように維持するには、さらに多くの仕事を要する。故障がおよそ最も都合の悪い時に起こるであろうことは請け合ってもよい。

 

エンジニアは、システムが機能するためには、以下のすべてが必要であることを知っている。 

  • システムには多くの部品が必要である。部品は通常、特定の条件下で特定のタスクを実行するために特化されている。典型的なシステムは他のシステムから構成されており、システムの階層構造 — システムオブシステムズとなる。
  • システムは首尾一貫していなければならない。システムの部品は、正確に調整されていなければならない。機能的な一貫性については、適切なインターフェースを伴って統合され、正しく組み合わされなければならない。また、過程の一貫性については、全体的な機能を達成するために、時間をかけて慎重に編成されなければならない。どちらかに失敗すると、システムの機能は妨げられるだろう。
  • システムオブシステムズは通常、複雑な相互依存性を示す。個々のシステムやサブシステムが機能するためにはしばしば、他の機能するサブシステムが必要になる。これらの依存関係は何度も双方向に作用する。例えば、車のエンジンは充電されたバッテリーがなければ始動しないが、バッテリーはエンジンがかからなければ充電されない。

人間のエンジニアがこのようなことを実現するには、多くの創意工夫と懸命な努力、そして忍耐を要し、典型的には古典的なデザイン-構築-テストのサイクルを何度も繰り返すことが含まれる。エンジニアは、機能するシステムが決して偶然の産物ではないことを知っている。そのため、(人体のような) 首尾一貫した相互依存するシステムオブシステムズが偶然に生じたと提唱するのであれば、詳細な工学的分析による支持が必要となるであろう。

注釈

  1. Planck, M. (1949) Scientific Autobiography and Other Papers. trans. Frank Gaynor. Philosophical Library. 33-34.
  2. Dawkins, R. (1986) The Blind Watchmaker: Why the Evidence of Evolution Reveals a Universe Without Design. W. W. Norton & Co Inc. 9. (邦訳: 『盲目の時計職人 自然淘汰は偶然か?』、日高敏隆監修、中島康裕/遠藤彰/遠藤知二/疋田努訳、早川書房、2004年、32ページ)