Japanese Translation of EVOLUTION NEWS & SCIENCE TODAY

https://evolutionnews.org/ の記事を日本語に翻訳します。

ETの遺物の探索はゾウを見逃している

This is the Japanese translation of this site.

 

ジョナサン・ウィット

2023/7/5 6:36

 

NASAの異常なほど強力なジェームズ・ウェッブ宇宙望遠鏡が完全に稼働した今、地球外生命体発見の可能性が再び話題になっています。私たちの銀河系だけでも数千億個の星で満たされており、多くの宇宙オタクの間では、そのうちのいくつかは生命を持つ惑星を支えているに違いない、そしてそのうちのいくつかは、私たちの星系を含む遠くの星系に電波や宇宙船さえ送ることができる技術を開発した知的生物を養っているに違いないと考えられています。

理解しがたい凡庸性

そして懐疑論者もいます。1950年の夏、4人の一流の物理学者が、宇宙が高度な地球外生命体と結びついている可能性について議論していました。その後、彼らが昼食の席に着いたとき、そのうちの一人が口を滑らせました。「でも、みんなどこにいるんだ?」言い換えれば、もし宇宙が地球外生命体の宇宙カウボーイでいっぱいなら、なぜ私たちは彼らで溢れかえっていないのでしょうか?それどころか、当時の一般的なメディアにおける多様であやふやなUFO報道にもかかわらず、地球外生命体について検証された証拠は一つもありませんでした。この疑問を投げかけたのはイタリア系アメリカ人の物理学者エンリコ・フェルミで、この難問は「フェルミのパラドックス」として知られるようになりました。このパラドックスは、地球外生命体を探すために数億ドルが費やされたにもかかわらず、いまだに地球外生命体について検証された証拠がひとつもないので、存続しています。

 

もちろん、この状況が不可解なのは、ミシガン州の高速道路が春にくぼみを作るのと同じように、自然が難なく生命を持つ惑星や知的生命を吐き出すと仮定した場合だけです。フェルミのパラドックスは、私たちの惑星のような生命を持つ惑星が非常に稀であり、おそらく唯一無二であると仮定すれば解消されます。問題は、そのような説明が、凡庸性の原理という多くの宇宙論者にとって大切な原理と衝突することです。この考えによれば、私たちは宇宙の中心ではないのみならず、何ら特別な存在ではなく、そうでないと考えるのは自己中心的で迷信的、無知蒙昧な中世的ナンセンスです。

 

キリスト教の反対者の多くが凡庸性の原理を大切にしているのは、人間は特別な存在であり、神の創造の極致であるというユダヤ・キリスト教の信条を覆すものだからです。しかしそれにもかかわらず、反宗教的な唯物論者の中にも、2つの理由の1つまたは両方から、凡庸性の原理を放棄した人たちがいます。

 

第1に、地球のような惑星は非常に珍しく、生命を支えるために幸運にも微細調整されたパラメータの長いリストを必要とするという証拠が増えつつあります。第2に、生命がやっていけるような居住可能な惑星があるとしても、自然界は、その惑星の最初の生命を非生命から取り出すという圧倒的な挑戦に直面します。ランダムな突然変異と自然選択というダーウィン的過程に頼る前に、まず自己増殖する生物学的実体が必要であり、そのような最も単純な細胞でさえ並外れて洗練されていることがますます明らかになっています。原始の海洋で、生命のない化学物質の混合物がどのようにしてそのようなものをでっち上げたのでしょうか?もしそんなことが可能だとしたら、誰もシステムを操作することなく40年連続で数百万ドルの宝くじに当選するような、奇怪な出来事です。

ETの啓蒙神話

ということは、私たちは宇宙で唯一の知的生物であり、宇宙の歴史の中で一度限りの奇怪な存在なのかもしれません。このような結論に達した人の中には、さらに踏み込んで、私たちは全くの孤独であり、宇宙的孤独という空虚を埋める天の神もいないと主張する人もいます。

 

そう、かなり暗く、そして私が推測するに、かなり不人気な立場です。おそらく人間は、ある種の賢明な救い主のような存在がどこかにいるという考えに強く惹かれるからでしょう。その存在は、神でないとしたら祖先の霊や異教の神々、あるいは現代において具体的に言うと、超人的に賢くて強力なETでしょう。映画『2001年宇宙の旅』(1968年) や『コンタクト』(1997年) は、このテーマを利用した多くのSF作品のうちの2つにすぎません。

 

科学史家のマイケル・キースは、『Unbelievable: 7 Myths about the History and Future of Science and Religion』の中で、彼が「ET啓蒙神話」と呼ぶものに1章を割いています。彼は、創造者である神への信仰が文化的に失われたことで、「ET啓蒙神話」が今や多くの人々の空虚を埋めていると言っています。

エイリアンの遺物の探索

このETによる救いという神話に活気づけられた人々と、宇宙にある何十億もの星々の向こうに何があるのか単純に知りたがっている人々の間では、地球外生命体の証拠を明らかにする手段と創意工夫が私たちにあるかどうかを確かめることに多くの関心が寄せられています。そのために、Space.comは最近、ポール・サッターによる記事「If Aliens Have Visited the Solar System, Here’s How to Find Clues They Left」を掲載しました。サッターは、長年にわたる地球外知的生命体探査 (SETI) から、それに付随する戦略へと焦点を移しています。

 

これまでのところ、地球外生命体の探査はすべて空振りに終わっている。しかし、比較的未開拓の道がもう1つある。すなわち、地球外遺物探査 (SETA) である。このアプローチの背後にある考えは、もしエイリアンが十分に進歩したら、銀河系を探査したくなるかもしれないというものだ・・・。太陽系のおよそ45億年の歴史の中で、これらのエイリアンが我々の近傍に立ち寄り、痕跡を残す時間は十分にあったはずだ。

 

サッターはそれから、宇宙空間や惑星あるいは月の表面にある「宇宙船、探査機、そして単なるゴミ」を含む、発見の可能性がある様々なタイプのエイリアンの残留物について天文学者が記述している最近の論文を抜き出しました。

 

ETの技術の一部と宇宙の自然の物体をどうやって見分けるのでしょうか?多くの場合、それは考えるまでもないかもしれませんが、必ずしもそうではありません。例えば、私たちとはあまりにも異質なので、私たちには直ちに技術として認識できないような先端技術の断片かもしれません。そして、望遠鏡で撮影した粗い写真だけから判断しなければならないかもしれません。

 

それにもかかわらず、サッターはETの遺物やその余波を検出する方法がたくさんあることに自信を持っています。例えば、遠い星系から来訪できる宇宙船は、並外れて強力な推進システムを持っているでしょうから、ジェームズ・ウェッブ宇宙望遠鏡やチャンドラX線観測衛星から見えるような排気跡を描く可能性があります。あるいは、「例えばエイリアンが水星に露天鉱山を開拓したなら、我々は今でもそれを見ることができるだろう」。「あるいは・・・ある世界の化学的過程に手を加えた (あるいは単にすっかり汚染した) 結果としての地球化学的異常を見つけることができるかもしれない」。

 

ETの遺物を探すとは、主流から外れているように思えるかもしれませんが、主流の天文学者たちはそれを追求しているのです。

SETI、SETA、そしてデザイン検出

こうした追究にお金が有効に使われたかどうかという疑問は脇に置きましょう。その代わりに、SETAとSETI両方の重要な特徴について考慮しましょう。SETIは、天文学者カール・セーガンの小説を原作とした映画『コンタクト』によって大きくPRされました。SETIは地球外文明からの信号を求めて天空から探査する際に電波望遠鏡を採用しています。

 

『コンタクト』では、ある科学者がヴェガ星系からの、素数列を繰り返す奇妙な信号を検出します。このシナリオはフィクションですが、SETIが、中性子星から放射される規則的な電波パルスのような純粋な自然現象ではなく、実際に異星人の知性体からの信号かどうかを容易に決定できることを伝えています。素数の長い列を埋め込んだ信号は、自然の過程で生成できるものではありません。これは複雑な特定された情報の実例です。もし信号が同じ数を何度も、例えば3、3、3、3、3などを埋め込んでいたら、それは複雑な情報ではありません。もし、埋め込まれているのがランダム数列であれば、それは特定されていません。つまり、明らかな目的や既存のパターンとは適合しません。しかし、『コンタクト』で信号に埋め込まれていた素数列は適合します。それは特定されており、複雑でもあります。私たちの経験では、複雑な特定された情報とも呼ばれる特定された複雑性の創成は、厳密に知的行為者の領分であり、知的行為者は、自然の過程とは異なり、小説、詩、テキストメッセージ、ソフトウェアプログラム、その他の人工物の形で、日常的にそのような情報を生成します。

 

インテリジェントデザインをこのような場合の最良の説明として推論することに関わる論理的段階には、探求すべきことがたくさんありますが、その骨子は次のようなものになります。理性と私たちの普遍的な経験の両方が、自然の過程は特定された複雑性を産生しない、かつできないことを強く示唆しています。私たちが目撃したことがある、それを行う原因の一種は、創造的知性です。つまり、創造的知性は、その例を発見したときに最良の説明となります。

 

地球外遺物と自然物とを区別する戦略にも、同様の推論が関わっています。サッターが、ETの遺物を発見する方法として、「ある世界の化学的過程に手を加えた結果としての地球化学的異常」を探すと言っていることを思い出してください。ある地球化学的異常がETの活動の結果であるかどうかをどうやって知るのでしょうか?多分、その異常について、自然なものから人工的なものまで、様々な説明を考慮することによってでしょう。もしその異常が自然の過程で産み出すには手が届く範囲を超えており、インテリジェントデザインの兆候、つまり特定された複雑性を持っているなら、研究者はその地球化学的異常がインテリジェントデザインの産物であると合理的に推論できるでしょう。

部屋の中のゾウ

SETAもSETIも、インテリジェント・デザイン (ID) 理論と共通点があります。それらは、地球外知的生命体が過去に創造的な活動を行った証拠を探しています。主要な相違点は、IDの研究者たちはその探索に論点先取の制約がないことです。もし自然そのものに知的活動の徴候があるのなら、それでいいのです。証拠に従います。現代の顕微鏡技術は、我々の最先端技術をはるかに超えた、驚くほど精巧な分子生物学的機械を明らかにしています。自己複製能力を持つ最も単純な細胞でさえ、私たちの最先端工場を恥じ入らせるほどのナノテク工場であり、正確に配列された多量の生物学的情報を必要とします。その情報の多くはDNAの4文字のアルファベットに見出されます。

 

主流のシステム生物学は、生物学的システムが最適に設計されたシステムであるという仮定の上に成り立っていると、物理学者でエンジニアのブライアン・ミラーは指摘しています。彼によれば、システム生物学者の多くは口先では進化論を支持していますが、彼らが研究している生物学的システムを、心無い自然の力によって寄せ集められてできた仕掛けとするアプローチは取っていません。彼らはそれらを工学の傑作とするアプローチを取り、そのアプローチは並外れて実り豊かです。

 

ミラーはあるアナロジーを提示しています。高度に発達したエイリアンの宇宙船らしきものが砂漠に放置されているのが発見されたと想像してください。その宇宙船は、使われている素材に至るまで、我々の宇宙船とはまったく異なっています。研究するためにやってきた科学者の半数は、それがエイリアンの宇宙船であることを信じようとせず、むしろ純粋に自然の過程 (雨、風、浸食、おそらく奇妙な火山の噴火) に起源があると主張します。もう半分は、いや、これは本当にエイリアンの宇宙船なのだと判断し、さまざまな部品がどのように全体の機能に寄与することになっているのかを理解しようとし始めます。ミラーは、エイリアンの宇宙船の理解に向かってより良い進歩を遂げるのはどちらのグループだと思いますか、と尋ねます。もちろん、それが知的で目的のあるデザインによる仕事だと認識するグループです。

 

生物学でも同じことが言えます。システム生物学を実践している人々は、古い還元主義的なダーウィン的アプローチに傾倒している人々よりもはるかに進歩しています。

 

インテリジェントデザインの生物学者は、システム生物学者の陣営に属していますが、彼らが一般的なシステム生物学者よりも際立っているのは、デザインという題目を率直かつ誠実に適用しているところにあります。つまり、彼らは生物システムをハイテク工学の作品として扱うことが、まさしく実り豊かであることが証明されていると確信しています。なぜなら、生物学的システムは本当にハイテク工学の、この場合は『コンタクト』や『2001年宇宙の旅』で描かれたものをはるかに超える地球外知性の仕事だからです。

 

この記事は、著者の許可を得て雑誌『Salvo』からクロスポストしたものです。