Japanese Translation of EVOLUTION NEWS & SCIENCE TODAY

https://evolutionnews.org/ の記事を日本語に翻訳します。

クローニン-ツアー討論についていくつか思うこと

This is the Japanese translation of this site.

 

ギュンター・ベヒリー
2023/12/6 14:47

 

最近、『Cambridge Faculty Roundtable』が、科学と生命の起源についての非常に興味深い討論会をハーバード大学で開催しました (下の動画をご覧ください)。主な参加者は、化学教授のジェームズ・ツアー博士とリー・クローニン博士です。ツアーはライス大学の有機化学者で、生命の起源研究の現状を率直に批判しています。一方、クローニンはイギリスの化学者で、化学的自己組織化と自然発生の分野の著名な研究者です。クローニンは、最初の生命細胞の実際の起源という歴史的に不測の出来事を説明するよりも、生命をボトムアップからリバースエンジニアリングし、人工生命を創造したいと思っています。

 

ジェームズ・ツアーとYouTuberのデイブ・ファリーナとの以前の討論とは異なり、今回のイベントは2人の著名な科学者の間の非常に礼儀正しく敬意に満ちた対話で、両者ともに興味深く重要なことを言おうとしていました。生化学、分子生物学、情報理論は私の専門外なので、かなり啓発的だと私が感じた、より一般的な問題に限定してコメントすることにします。それは、インテリジェントデザイン理論の現状に大いに関連するものです。

 

 

「クローニンとそのグループによる誤った主張」

討論では、ツアーが厳密な化学を主張したのに対し、クローニンはアセンブリ理論と選択が自ら行動するという漠然とした考えを詳しく述べました。クローニンは2017年にアセンブリ理論を提唱しました。しかし、実際に大きく取り上げられたのは、この主題についてつい最近権威ある学術誌『Nature』に掲載された論文 (シャーマ他、2023年) で、世界中で見出しを飾りました。ツアーは、アセンブリ理論が、最初の細胞、最初の自己複製子、あるいは生命の主要な構成要素さえも、初期の地球の条件下でどのように形成されたかの理解に一歩も近づけていないことを、極めて正しく指摘しました。ツアーの批判は、オックスフォード大学のヘクター・ゼニル博士を含む他の科学者たちによって繰り返されています。ゼニルは『Medium』に寄せた記事「The 8 Fallacies of Assembly Theory」の更新部分でこのように書きました。

 

私はツアー教授の宗教に関する信条全体を共有してはいませんが (彼はクローニンの主張に反駁するためにいかなる宗教的論議も用いていません)、彼はクローニンとそのグループによる多くの誤った主張を指摘することで、科学と科学的実践に奉仕したと思います。

複雑さのある精密なレベル

それにもかかわらず、アセンブリ理論にはいくつかの興味深い側面があります。最も興味をそそられるのは、それが、恐らくは生命とその生成物の確実な経験的検出を、非生物的過程によるあらゆる結果と区別しつつ可能にするような、部品の複雑さの客観的な尺度を提供していることです。このことは、例えば太陽系外惑星に存在する地球外生命体の探索において重要な示唆を与えます。しかしこの尺度は、クローニンが扱っていなかった疑問を提起します。すなわち、化学的・生物学的進化論の無誘導過程の下で、生命とその活動を明確に識別する複雑さの閾値があることは期待されるべきなのでしょうか?

 

私は、それはまったく期待されるべきではないと考えます。それどころか、無生物的過程と生物的過程の間の複雑さの度合いは滑らかになり、その曖昧な転移領域では明確な区別ができなくなると期待すべきです。複雑さのある精密なレベルにおいて、その上では生命とその産物だけが存在し、その下には存在しないように見えるという事実は、跳躍的相転移を示唆しています。そのような転移は、無誘導の選択機構による起源というクローニンの提言には適合しません。

クローニンの核心的誤謬

同じような直感が、クローニンのプレゼンテーションで私にとって印象的だった核心的誤謬を彼に犯させたように見えます。私はそれを、「もしそうでなかったなら」の誤謬、あるいは「隙間の自然主義」の誤謬と呼びたいと思います。この誤謬は、生命がどのような起源を持つのかについての手がかりがないことを受け入れています。しかしそれは、問題が解決されたことを確認するためには、多分あと何十年もの研究をただ待たなければならないことを示唆しています。この2つの誤謬は、もちろんクローニンが好む世界観に根ざしており、それは明らかに唯物論的自然主義の1つです。

 

クローニンは、証拠から偏見のない推論によって最善の説明へ至る論証はしていません。むしろ、知的な原因という選択肢を先験的に排除し、物質的な原因だけに探求を限定しています。これは冒頭陳述でクローニンが言ったことです (タイムコード1:04:30-1:04:50)。「もし私たちが何かによって発明されたのでなければ、・・・うーん・・・そうですね、もし私たちがイーロン・マスクのシミュレーションの中にいるのではなく、他の虚構の創造物でもないのであれば、進行している他の過程があることになります・・・」。この「もしそうでなかったなら」という誤謬は、排中の誤謬と論点先取の誤謬の組み合わせです。しかしクローニンは、方法論的自然主義や科学的手法に訴えてデザインを先験的に排除することを正当化できていません。というのも、クローニン自身が自分の話の中で、シミュレーション仮説のような知的な原因の完全に自然主義的な選択肢に言及しているからです。

 

したがって、彼の誤謬は単なる方法論的自然主義ではなく、むしろ全面的な存在論的自然主義に根ざしています。彼は明らかに、意味、目的、生命、意識、記憶などはすべて物質的過程から創発されたものだと考えています。以前のジェームズ・ツアーとの対談で、彼は「意識が存在するとは思いません」という不条理な発言までしています (ジャスティン・ブライアリーが司会する『Unbelievable?』のこのエピソードのタイムコード1:11:28をご覧ください)。最近の討論では、クローニンは明白で疑問の余地なく唯物論者と表明しましたが、これは彼の「もしそうでなかったなら」の誤謬と「隙間の自然主義」を完全に説明するものです。

インテリジェントデザインの排除

私の見解では、これは現代科学とその主流派がインテリジェントデザイン理論に反対する力学を完璧に例証しています。すなわち、知的な原因は、方法論的自然主義という偽りの口実の下で、許される仮説のセットから先験的に排除されているのです。しかしこの排除は、実際には存在論的自然主義と粗雑な唯物論に根ざしています。後者は反証不能な形而上学的信条であり、科学の根底にあるパラダイムとして役立つという正当性はありません。

 

さらに悪いことに、理論物理学で拡がりつつある総意では、時空は根本的なものではなく、量子もつれから創発されるものであるとされています。これは、時空を超えた量子情報の究極的な実在を示唆しています。そしてそれは明らかに唯物論と矛盾し、それが旧式で時代錯誤の世界観で、19世紀に描かれたビリヤード玉のような素粒子を伴う時計仕掛けの宇宙像に根ざしていることを暴露しています。仮に論議のために、方法論的自然主義が科学的手法の核心的教義であることを認めたとしても、インテリジェントデザインは科学の主流に戻るべきで、最終的には戻るであろう、因果関係の有効な形式です。そうなれば、私たちは世界観に目をくらまされることなく、どこであろうと証拠が導くところに従うことが許されるでしょう。