Japanese Translation of EVOLUTION NEWS & SCIENCE TODAY

https://evolutionnews.org/ の記事を日本語に翻訳します。

アダムとエバをめぐる福音派の討論からの教訓

This is the Japanese translation of this site.

 

ケイシー・ラスキン
2021/11/15 7:53

 

編集部注: ケイシー・ラスキンが、哲学者ウィリアム・レーン・クレイグの新刊を複数回に分けてレビューしていきます。これまでのレビュー全体はこちらをご覧ください。

 

このレビューの第3部で見たように、ウィリアム・レーン・クレイグはその著書『In Quest of the Historical Adam: A Biblical and Scientific Exploration (English Edition)』において、進化科学を批判することに非常に寡黙です。遺伝学的証拠や化石証拠が主流の進化論的見解に強力な挑戦を提出しているときでさえ、そうなのです。この寡黙さは福音派のエリートにはよくあることです。誰かが進化論的科学に挑戦することを勧めると、福音派の多くの知的な人はすぐに直感的な反応を示し、そうするのは危険なことだと警告します。科学と信仰の歴史には、宗教家が科学、特に進化論に立ち向かおうとして、その容赦ない進歩に打ちのめされた例が散見されるからです。ダーウィンに疑問を持つことは、世界の前で私たちを愚かに見せる危険はないのでしょうか?黙って道を開け、進化科学に挑戦せずに語らせる方が賢明ではありませんか?

 

ウィリアム・レーン・クレイグが、歴史上のアダムとエバが存在したかどうかを、進化論のモデルに当てはめてまで調べようとしたことは賞賛されるべきです。クレイグ博士は個人的には進化論に疑問を抱いているのかもしれませんが (私はよく知りません)、もしそうなら、彼の本はその疑問について沈黙するという修辞的な姿勢をとっています。むしろ彼は、アダムとエバが進化論的見解に適合しうるかどうかを確認することを目的としています。この戦略はある意味では価値がありますが、利用可能な最良の科学が本当に必要としていることでしょうか?逆の結論に至るような性質の異なる訓話、すなわち福音派の人々が、進化科学は「解決済み」だと考えて早合点し、後になってそれが欠陥であったことを知るという話を語ることができるとしたらどうでしょうか?福音派の人々が単に間違っている主流の進化論的考えに合わせようとしているとしたらどうでしょうか?2000年にわたる正統派の信仰を放棄し、進化論の「コンセンサス」に屈服することが、科学がそれを必要とすることを確認しないまま重要な信仰を手放すことになり、実際に私たちを愚かに見せているとしたらどうでしょうか?

始まりは『Christianity Today』の記事

2011年6月、『Christianity Today』(CT) は、「The Search for the Historical Adam」という特集記事を掲載しました。しかし不注意なことに、この記事のタイトル (クレイグの新著のタイトルと著しく似ているようです!) は誤解を招くものでした。CTの記事の真の目的は、歴史上のアダムとエバを探すことではなく、現代の進化生物学を全面的に受け入れ、歴史上のアダムとエバについての伝統的教理を拒絶する福音派の思想家に焦点を当てることでした。フランシス・コリンズ — 世俗の世界で大成功を収めた福音派の有名科学者 — への賞賛で満たされたこの記事は次のように述べています。

 

コリンズの2006年のベストセラー、『ゲノムと聖書: 科学者、〈神〉について考える』(この本はそれらの教育宗教分離主義の批評家たちを大いにいらだたせた) は、解剖学的な現生人類が・・・2人ではなく、1万人ほどを数える集団に起源を持つという科学的示唆を報告した。エデンの男女は生物学的に他のすべての被造物と異なって特別に創造されたという伝統的な信条の代わりに、創世記は神が人類に霊的・道徳的性質を賦与したという「詩的で力強いアレゴリー」を提示しているのかもしれないとコリンズは熟考した。コリンズは、「どちらも理屈上は可能である」と結論している1

 

基本的な論議は、現代の人類の遺伝的多様性は非常に大きく、人類がわずか2人の個人から成る最初の夫婦に由来するとして説明することはできないということです。今日の人類が持つような遺伝的多様性を持つ集団を生成するには、多くの人間 — 数千人 — が必要だろうとしています。(クレイグが著書で網羅している最初の夫婦に対する遺伝学に基づいた反論は他にもありますが、最も重要なのはこれであることが判明しています。また、クレイグは著書で、聖書全体がアダムとエバは単なる寓話ではなく、歴史上の人物であったと教えていることを示す点で良い仕事をしています)。

 

CTの記事の4年前に、コリンズは有神論的進化論 (あるいは進化的創造論と呼ぶ人もいる) を推進する目的で『BioLogos』財団を設立し、進化論的な科学的視点が完全に正しく、キリスト教と完全に両立することを示そうとしていました。2011年6月のCTの記事では、『BioLogos』とその関係者の科学者を大いに賞賛しつつ、「『BioLogos』の科学担当上級研究員でトリニティーウェスタン大学の生物学部長であるデニス・R・ヴェネマは、有神論的進化論を唱えるだけでなく、アダムを再考している『BioLogos』の執筆者の1人である」と記しています。ヴェネマと当時の『BioLogos』代表ダレル・フォークはアダムとエバに関する白書を共同執筆しており、CTはこれを引用しました。

 

ヴェネマとフォークによる『BioLogos』の論文は、そのことをさらに平然と宣言している。彼らは、人類の人口は「決して2人というような小さなものではなかった・・・我々の種は集団として分岐したのである。データはそのことについて絶対的に明確である」と言っている。

 

CTは、アダムが「文字どおりの」歴史上の人物ではない可能性を示唆する神学者や聖書学者の重鎮からの支持を提供しました。旧約聖書学者のブルース・ウォルトケは、科学は聖書よりも権威があるという見解を表明しているようにさえ見えました。

 

「我々は科学的な証拠と行動を共にすべきである。それを無視することができるとは思わない。私は聖書に全幅の信頼を寄せているが、聖書は科学が提示しているものを提示しているわけではない」。

 

他の福音派の進化科学者は、アダムとエバは「証拠に合わない」とか、アダムとエバを信じる「余地が過去には」あったが、「ヒトゲノム配列の解読によってその余地がなくなった」というような発言が引用されています。

より広い文化圏への進出

それから3ヵ月半後、この福音派の組織内での談話が、主要メディアへ打ち明けられました。NPR (ナショナル・パブリック・ラジオ) の宗教特派員であるバーバラ・ブラッドリー・ハガティは、司会のニール・コナンとの対談「Christians Divided Over Science Of Human Origins」に参加し、この話を語りました。

 

コナン: 特に、ある遺伝的証拠、DNAが、これらのクリスチャンの学者たちのうち何人かによって調査されたということを読んで私は魅了されました。ちょっと待ってください、2人から始めたら、地球上の人類の多様性を得る方法はないと言っていますね。

 

ハガティ: ええ、その通りです。ヒトゲノムのマッピングが完了した今、現生人類が他の霊長類から創世記の時間枠より前、10万年前に出現したことは明らかだと彼らは言っています。そして、遺伝子の変異を考えると、進化の歴史のどの時点でも、元々の人口が約1万人を下回ることはあり得ないと言うのです。

 

そして、ある科学者は私にこんなことを言いました。この短期間でこれら全ての新しい変異を産み出すには天文学的な突然変異率が必要であり、そのような突然変異率は単純に不可能だと。そのような突然変異はあり得ないことだと彼は言いました。だから、それは不可能なのです」。2

 

カルヴィン大学の宗教学教授ダニエル・ハーロウがその番組のゲストでしたが、彼は、アダムとエバについての伝統的な信条を放棄しようとする背景にある哲学的イデオロギーを分かりやすく表現していました。

 

そうです、科学は特権的なものではありませんが、もしこの世界が神の創造物であるならば、神に似た者として被造物を研究する義務がありますね。科学は神の世界について真実を明らかにします。神の世界でしょう?もし私たちが主流の科学が言うことを無視するなら、イエス・キリストの福音を説くときに人々が耳を傾けることを期待する権利はないでしょう。

 

福音派の典型的な反科学、反進化論のレトリックは、クリスチャンの信仰に悪評をもたらし、イエス・キリストのお名前に不必要な恥をもたらすものだと思います。3

 

ということです。ハーロウは科学者ではないので、彼が賢明な人物であることは確信していますが、おそらく専門的な科学的詳細を評価する素養はないでしょう。多分彼が知っているのは、もし「科学」がアダムとエバは存在し得なかったと言うなら、私たちはこの2千年以上前からの教義を放棄しなければならない、ということだけでしょう。そうしなければ「反科学」になり、「クリスチャンの信仰に悪評をもたらす」「イエス・キリストのお名前に恥をもたらす」ことになるのです。言い換えると、アダムとエバを放棄しようとするのは、必ずしも説得力のある科学によるものではなく、世間から悪く見られることを恐れてのことでした。

 

この討論は、2017年にヴェネマと神学者スコット・マクナイトが『Adam and the Genome』を共著したことで、より広い教会の聴衆の前で勃発しました。彼らは、これらの論議を大衆に伝える機会を求めていました。『BioLogos』はこの本を大々的に宣伝しました。アダムとエバはデータによって決定的に論駁されている — 伝統的な教義を否定する事例は、太陽系の地動説モデルと同じくらい科学的に強力である、とこの本は論じました。

 

太陽は太陽系の中心にあり、人類は進化し、我々は集団として進化してきたのだ。

 

最も簡単に述べれば、DNAの証拠から、人類は大きな集団に由来することがわかる。なぜなら、現代における我々は一つの種として遺伝的に非常に多様であり、その多様性を我々に伝えるためには、大きな先祖集団が必要だったからだ。現在までのところ、祖先の集団サイズを評価するあらゆる遺伝子解析で、我々は単一の先祖夫婦ではなく、数千人もの集団に由来していることで合意している。4

 

ここで暗に示されているのは、もしあなたがこの点についてのヴェネマやBioLogosの結論を疑うなら、あなたは天動説論者と同じくらい無知で、後進的であるということです。ヴェネマはこの本の中で続けて、アダムとエバについてのデータを適切に評価する能力のある人はインテリジェントデザイン陣営にはいないと主張しています。

 

現在、反進化論者の陣営には、この証拠を適切に理解するのに必要な訓練を受けた者、ましてや、それに対抗する説得力のある事例を提示できる者はいないようだ5

 

ヴェネマは複数の点で間違っていました。ID陣営には、これらの論議を評価する能力のある科学者がいただけではなく、地動説レベルの確実性だとヴェネマが主張したにもかかわらず、現生人類の遺伝的多様性を最初の一組の個人から生じたものとして説明することが実際に可能であることを示す能力のある科学者もいたのです。

ヴェネマとBioLogosは自分たちが間違っていたことを認める

2011年のCTの記事の後、アダムとエバに反対するBioLogos流の論議は深刻な挑戦の下に置かれました。この議論で上がった新たな声により、最終的にBioLogosが間違っていたことを示すさまざまな貢献がなされました。

 

まず、Discovery Instituteの上級フェローで上級研究員の生物学者、アン・ゲイジャーがいました。彼女は2012年の本『Science and Human Origins』の中で、ヒトゲノムの中でも最も多様な遺伝子の1つ、HLA遺伝子に着目しました。ゲイジャーによれば、これらの遺伝子の大きな多様性は、「集団遺伝学的に、最初の両親に反対する最も強い論拠を提供するように思われる」とのことです。しかし彼女は、もし人間が最初の夫婦に起源を持つとしても、この多様性は説明できることを発見しました。「もし、我々がチンパンジーと32個の別個のHLA-DRB1の系統を共有していることが事実であれば、それは確かに起源となる夫婦に困難をもたらすだろう。しかしこれまで見てきたように、データが指し示すところからすると、我々が最初の両親だけから来ているとすることは可能である」6

 

対話に加わったもう一つの声は、ロンドン大学クイーン・メアリー校の進化遺伝学者リチャード・バッグスです。2017年に『Adam and the Genome』が出版された後、バッグスはBioLogosのディスカッションフォーラムでヴェネマや他の科学者と向き合い、ヴェネマに、彼が本の中で引用した論文は実際にはアダムとエバのような最初の夫婦の存在を取り上げておらず、したがってそれを論駁することもできなかったことを認めさせました7。バッグスは次のように書きました

 

デニス、私は、あなたが著書の中で間違いを犯したという結論に至ったと言わなければなりません。もしあなたがこれを認めるのであれば、私はあなたに大きな敬意を払いますし、私たちは前に進み、あなたが書いた他の手法やスティーブン・シャフナーが行っている研究などの興味深い科学について議論することができます。私たちは皆、間違いを犯すものです。研究活動をしている私たちは、原稿や助成金申請に対する査読コメントが返ってきたときに、間違いを否応なく指摘されることに慣れています。間違いを指摘されるのは決して楽しいことではありませんが、間違いを喜んで正して前進することも、良い科学者であることの一部なのです。

 

長い対話は2018年に入っても続き、バッグスは後に次のように書きました

 

あなたが今ブログを書いて、現在のヒトのゲノムの多様性は、約700万年前から約70万年前の間のヒト系統のボトルネックを排除するものではないことを、あなたができる限り伝えることは、あなたの読者への奉仕となるでしょう。このことは、彼らや、この議論に時間を割いて参加してくれた人たちに対して、あなたが負うべきものだと思います。

 

彼の言う「ボトルネック」とは、人類の人口が2人に減少したという考えで、私たちの種がアダムとエバによって創始されたことに相当します。ヴェネマはバッグスに対して、バッグスが正しくて自分が間違っていたことを認めた上で、次のように返答しました

 

私はすでにこれに同意していますし、もう何週間にも渡ってそこに掲載されています。それをあなたがお望みどおりに公表するのは自由です。私はもうBioLogosの公式の立場では、時々招待されたとき以外書いていません。つまり、私は当分の間、あなたのような単なるコメンテーターに過ぎないのです。

 

2018年4月、バッグスは自身のブログ「Nature Ecology and Evolution」に要約を投稿し、真の問題はもはやアダムとエバが存在し得たかどうかではなく、いつ存在したかであると記しました

 

私の考えでは、今や問題は、「『アダムとエバ』のボトルネックは人類の遺伝的多様性のデータと矛盾しているか?」から「『アダムとエバ』のボトルネックは、どのタイムスケールで人類の遺伝的多様性のデータと矛盾しないか?」に移ったのである。

2016年への巻き戻し

実はアン・ゲイジャーは、ストックホルム大学の数学教授ウーラ・ヘスフェルと共同で、「アダムとエバは存在したのか、存在したのならいつなのか」という、まさにその疑問を扱うプロジェクトにすでに着手していました。ゲイジャーとヘスフェルは、1,000個のヒトゲノムを用いて包括的な集団遺伝学的解析を行い、私たちが「原初の多様性」を持つ最初の夫婦に由来するとして、現生人類の遺伝的多様性が説明できるかどうかを評価しました。『BIO-Complexity』誌に2016年から2019年にかけて発表された一連の3つの論文で、彼らはこれらの疑問を精査するための集団遺伝学モデルを開発しました。最後の論文では、ヒトが約50万年前に生きていた可能性のある1組の先祖 — 例えばアダムとエバ — の子孫であっても、ヒトの遺伝的多様性が説明できることを示しました。さらに進化的仮定を疑問視すれば、彼らはさらに最近に生きていた可能性もあります。『BIO-Complexity』の彼らの論文は以下の通りです。

アン・ゲイジャーは、この研究の多くをUniqueOriginResearch.comというウェブサイトでようやくしています。計算生物学者で有神論的進化論者のジョシュア・スワミダスもある解析を実行し、アダムとエバは49万5000年前に私たちの唯一の遺伝的祖先として生きていた可能性があることが判明した、と自身のオンラインディスカッションフォーラムに投稿しました8

 

このように、2つの強固な分析 — 1つはスワミダス、もう1つはゲイジャーとヘスフェル  — によって、アダムとエバは約50万年前に我々の唯一の遺伝的祖先として生きていた可能性があることが確認されました。繰り返しますが、人類の歴史に関する進化論的な仮定に疑問を持つのをためらわなければ、この年代はもっと早くなる可能性があります。

さらなる撤回

バッグスとのやり取りが反映されたことにより、デニス・ヴェネマは最終的に自分の誤りを認めました。スワミダスも『BioLogos』と個人的に連絡を取り、彼らが歴史上のアダムとエバは進化科学と相容れないと主張した「いくつかの記事をそっとウェブサイトから削除した」ことを記述しました9。昨年、『BioLogos』のデボラ・ハースマ社長は、BioLogosのある科学者たちが「進化科学と集団遺伝学は人類の最近普遍先祖や新たに創造された先祖夫婦のシナリオを除外するという・・・早計な主張をした10ことを含め、この論題について『BioLogos』の過去の過ちを認めました。彼女はさらに次のように書きました。

 

長年にわたり、私たちは多くの理由で古いコンテンツをウェブサイトから削除してきました。その中には、・・・科学的主張を誇張した記事、科学的証拠と矛盾しない神学的立場を不必要に排除した記事・・・が含まれます。ある論議を誇張した場合は正直である必要があります11

 

ウィリアム・レーン・クレイグは著書の中でこのサガを概観しています。彼は「始原の人間夫婦と相容れないとして提唱されてきたらしい6つの遺伝的特徴」(339ページ) に注目し、それぞれが実際には最初のペアの存在に関わりがないか、より詳しく分析すると欠陥があることが判明していることを見出しています。クレイグは、この重要な点について自分 (ヴェネマ) が誤っていたと認めているヴェネマの2019年のブログへの投稿を引用しています。クレイグが書いているように、

 

ヴェネマは、単一夫婦による起源に反対する自分の論議が失敗だったことを認めるようになった。 「我々が利用した新しいシミュレーションおよびいくつかの他の研究に基づいて、私たちのグループはある合意に達した。もしこのような事象が起こったとしたら、それが50万年前よりも最近に起こったのであれば、我々はそれを検出することができるだろう、と。私はそのような事象が見られるとしたら時間的にもっと昔だろうと早まって考えていたため、本当に驚きであった」。彼は、「そのような事象が起こったという肯定的な証拠は全くない」という主張をさらに強めているが、あると断言した者はいないので、それは目くらましである。

- 353-354ページ

 

クレイグはこの本の中で、例えばスワミダス、バッグス、ゲイジャー、ヘスフェルなど、様々なクリスチャンの生物学者やその他の科学者の研究を引用しており、その分析は詳細で丁寧に書かれています。アダムとエバの存在を肯定した後、彼は次のように結論しています。「この仮説に対する集団遺伝学からの挑戦が失敗しているのは、主として、現代の人類に表れている遺伝的多様性に基づくと、50万年以上前に位置していた最近共通祖先が、過去と現在の人類種族全体の唯一の遺伝的祖先であることを除外できないからである」。(359ページ)

 

従って、私はクレイグがこの特別な物語の問題の一部ではないことを明確にしたいと思いますし、彼が以前の進化的主張とは反対になるにもかかわらず、アダムとエバの余地を見出そうとしたことは賞賛されるべきでしょう。しかし、このサガが福音派の進化に対する考え方について示唆するものは重大です。クレイグはそれについて議論していませんが、述べておく必要があります。

進化論に挑戦するよりも、むしろそれを受け入れることが問題を引き起こすことがある

間違いは誰もが犯します。そして、ヴェネマと『BioLogos』は、証拠によって正当化される場合、その立場を修正したことを賞賛されるべきです。そのような間違いは許されますし、その特定の詳細については過去のものとすることができます。しかし、この話をそのままにしておくと、その教訓を見逃すことになります。

 

人類の起源に関する標準的な進化論的説明では、人類の人口は常に数千人はおり、人類は最初の夫婦に由来したのではないとしています。長年にわたり、有神論的進化論者 (TE) と進化論的創造論者 (EC)、特に『BioLogos』とその関係者の科学者たちは、福音派やより広いキリスト教のコミュニティーの中で、この標準的進化論的人類史観を力強く宣伝してきました。それにより私たちがアダムとエバに由来している可能性は排除されたと彼らは論じました。このような宣伝努力は、著名な報道機関とのインタビューや、会議、書籍、ウェブ記事などの形で行われました。彼らのグループが自ら認めるように、『BioLogos』は、進化科学に決して挑戦しないという哲学を持ちながら、「早計な主張」をし、「神学的立場を不必要に排除した」「論議を誇張」しました。多くの福音派の人々は、アダムとエバは存在しなかったという彼らの論議を受け入れました。

 

過去10年間、私たちは福音派のエリートたちが、遺伝子のデータは歴史上のアダムとエバの存在に関する2000年以上の歴史を持つ教義を拒否することを要求していると論じ、その論議を鵜呑みにする実例を数多く見てきました。そのような論議は、現在では悪い科学に基づいていることが判明しています。福音派が進化論的主張に挑戦することは間違っているという哲学は、多くの人々を不必要で最も不幸な道へと導きました。

 

聞く耳のある人にとっては、この教訓は単純です。福音派の特定のサークルの知識人は、進化科学は正しい、あるいは少なくとも、教会に恥をかかせないように、疑問視したり触れたりしてはならない不動の岩のように扱われるべきだと思いがちです。しかし、この仮定は誤りであり、これに追随する行為や恐怖は不必要なものです。進化科学の名の下になされた主張が誤りであることもあります。TEやECを教会に広める、高度な資格を持ち、尊敬を集め、良い意図を持ち、大いに信任された福音派の科学者であっても、物事を間違えることがあるのです。

 

確実性の追求に動かされたのか、世俗的なエリートを喜ばせるという欲求のためか、あるいはそれ以外のためか、福音派の指導者の中には、キリスト教の正統的信仰に反する考え、良い科学によって確立されていない考えを熱心に取り入れる人たちがいるのです。これらの指導者たちは、ジャンクサイエンスに等しいという理由で重要な教義を拒否し、他の多くの人々も同じようにするように影響を及ぼしました。

 

この物語は、進化論的な主張が議論の余地のないものであり、何があっても受け入れなければならないという福音派の仮定を放棄する時が来たことを示しています。ダーウィンの腕の中に軽率に飛び込むよりも、多少の不確実性を受け入れ、その科学を注意深く分析するまでは「様子見」のアプローチを取った方が良い場合があります。

 

残念ながら、福音派のコミュニティには、この経験から学んでいない人もいます。それどころか、彼らは過去の間違いを繰り返そうとしているように見えます。『In Quest of the Historical Adam』のレビューの最終回では、2つの例について考慮します。

注釈

  1. リチャード・オスリング、「The Search for the Historical Adam」、『Christianity Today』(2011年6月3日)、https://www.christianitytoday.com/ct/2011/june/historicaladam.html
  2. 「Christians Divided Over Science Of Human Origins」、『NPR』(2011年9月22日)、https://www.npr.org/2011/09/22/140710361/christians-divided-over-science-of-human-origins
  3. 同上。強調追加。
  4. デニス・ヴェネマ、スコット・マクナイト、『Adam and the Genome: Reading Scripture after Genetic Science』(Brazos Press、2017年)、55ページ。
  5. デニス・ヴェネマ、スコット・マクナイト、『Adam and the Genome: Reading Scripture after Genetic Science』(Brazos Press、2017年)、65ページ。
  6. アン・ゲイジャー、「The Science of Adam and Eve」、『Science and Human Origins』所収、アン・ゴーガー、ダグラス・アックス、ケイシー・ラスキン (Discovery Institute Press、2012年)、120ページ。
  7. この話は、「Adam and the Genome and Citation Bluffing」、『Evolution News』(2018年2月7日)、https://evolutionnews.org/2018/02/adam-and-the-genome-and-citation-bluffing/ で語られています。
  8. S・ジョシュア・スワミダス、「Heliocentric Certainty Against a Bottleneck of Two?」、『Peaceful Science』(最初の投稿は2017年12月29日)、https://discourse.peacefulscience.org/t/heliocentric-certainty-against-a-bottleneck-of-two/61
  9. S・ジョシュア・スワミダス、「A U-Turn on Adam and Eve」、『Peaceful Science』(2021年8月30日)、https://peacefulscience.org/articles/biologos-uturn-adam-eve-position/
  10. トーマス・H・マッコール、「Will The Real Adam Please Stand Up? The Surprising Theology Of Universal Ancestry」、『BioLogos』(2020年3月23日)、https://biologos.org/series/book-review-the-genealogical-adam-and-eve/articles/will-the-real-adam-please-stand-up-the-surprising-theology-of-universal-ancestry の編集部注を参照 (強調追加)。
  11. デボラ・ハースマ、「Truth-Seeking in Science」、『BioLogos』(2020年1月10日)、https://biologos.org/articles/truth-seeking-in-science