Japanese Translation of EVOLUTION NEWS & SCIENCE TODAY

https://evolutionnews.org/ の記事を日本語に翻訳します。

伝統的か否か?アダムとエバについてのウィリアム・レーン・クレイグのモデルを評価する

This is the Japanese translation of this site.

 

ケイシー・ラスキン
2021/11/12 15:39

 

編集部注: ケイシー・ラスキンが、哲学者ウィリアム・レーン・クレイグの新刊を複数回に分けてレビューしていきます。これまでのレビュー全体はこちらをご覧ください。

 

アダムとエバを人類の祖先である歴史上の夫婦とする見解は、主流の科学と調和させることが可能です。これが恐らく、ウィリアム・レーン・クレイグの400ページを超える著書『In Quest of the Historical Adam』の主要なメッセージであり、よく論じられていることです。

 

彼の主要な結論を要約します。クレイグはアダムとエバをホモ・ハイデルベルゲンシスという種の一員と識別しています。この提案の主な論拠は、(1) ネアンデルタール人、デニソワ人、ホモ・サピエンスはすべて高度な認知能力を示しており、したがって、すべてアダムとエバの子孫に違いないということです。もしこれが正しければ、アダムとエバはこれらの様々なグループの祖先の種に属していたに違いなく、主流の古人類学ではホモ・ハイデルベルゲンシスが人類の系図のその位置に適合し得たと提唱されている、とクレイグは推論しています。さらに彼が発見したのは、(2) ホモ・ハイデルベルゲンシスも大きな脳を持ち、高度な知性を持っていたと考えられ、この種が神に似た者として創造されたことと矛盾しないということです。さらに、クレイグが遺伝的証拠を考慮するところでは、(3) 複数の分析により、現代人の遺伝的多様性は、少なくとも〜50万年前に生きていた最初の夫婦から生じた可能性があり、これはホモ・ハイデルベルゲンシスが生きていたと考えられている時代を正確に含んでいることが判明しました。この結論は必ずしも正しいとは言えないが、もっともらしいことではあります。

これは「伝統的」なアダムとエバなのか?

しかしクレイグが擁護しているのは どんなアダムとエバなのでしょうか?それは、神によって奇跡的に新たに創造され、私たちの唯一の遺伝的祖先であるという「伝統的」なアダムとエバでしょうか?それは明確ではありません。

 

クレイグは時々、「キリストの数千年前に神によって奇跡的に創造された原始の人間夫婦」という「伝統的」な見解を擁護すると主張します。「彼らは全人類の両親であり、この惑星の表面に住んだすべての人間は彼らの子孫である」(xiiページ)。 この記述には確かに、「伝統的」な見解の非常に重要な側面がある程度盛り込まれています。しかし、前回見たように、彼のモデルは多くの進化的仮定を受け入れており、また次の投稿で見るように、クレイグは人間と類人猿の共通祖先を擁護しているところがあるので、彼のモデルがアダムとエバが「奇跡的に新たに創造され」たこととどう適合するのかを見るのは難しくなっています。

 

アダムとエバについてのクレイグの記述は、「両親」という単語の前に 「唯一の」という単語を付け加えれば、伝統的な見解に近くなるでしょう。そして実際、クレイグはこの可能性も肯定しているように見えるところがあり、科学的証拠が「2人のボトルネック」と「我々の唯一の遺伝的祖先」である最初の夫婦を支持していることを認めています (353ページ)。これは結構なことです。

 

しかし、クレイグはアダムとエバが私たちの「唯一の遺伝的祖先」であることを必要としている、あるいは擁護しているのでしょうか。それは明らかではありません。彼は、アダムとエバの子孫が類人猿との共通の祖先から進化した他のヒト科と交雑したため、アダムとエバは私たちの唯一の遺伝的先祖ではない、という「交雑」または「混血」仮説を推進したジョシュア・スワミダスの研究に言及しています。これは「系図上のアダムとエバ」仮説と呼ばれ、アダムとエバは現在生きているすべての人の系図上の先祖であり、私たちの唯一の系図上または遺伝上の先祖ではないとします。クレイグが書いているように、

 

アダムとエバが無生の物質から新たに創造されたにもかかわらず、その子孫が、本来の機能を停止した壊れた偽遺伝子を含め、チンパンジーとこれほどまでに著しい遺伝的類似性があることを説明するために、他の進化したヒト族の種との交雑に訴える者もいる。(378ページ)

 

この時点ではクレイグは、この仮説はヒトとヒトではないヒト科の交尾を示唆しており、獣姦に等しいとして、この仮説から目を背けているように見えます。

 

アダムとエバが、チンパンジーや他の大型類人猿と共通の先祖を持つヒト族の集団から出現したと思い描けば、そのような交雑に訴える必要はない。実際、ここで提案されている見解によれば、アダムとエバは私たちの唯一の遺伝的祖先であり、その子孫はヒトではないヒト族との獣的関係に陥ることはなく、少なくともそうした関係から産まれた子孫はいないことになる。(378ページ)

 

それにもかかわらず、クレイグはいろいろな箇所でアダムとエバの子孫がこれらのヒトではないヒト族と「交雑した、あるいはしなかった」可能性を許容しており (354ページ)、また「歴史上のアダムとエバの存在は、必ずしも彼らが唯一の遺伝的祖先であることを示唆しない・・・我々はヒトの系統に遺伝情報を与えたそのような [アダムとエバの子孫と他のヒト族の] 結合の子孫が存在したかどうかについて何の考えも持っていない」とさえ言っています (355ページ)。結論では、彼は再びこの可能性を許容し、さらには予想して、こう書いています。「もし、ヒトではないヒト族との性的な遭遇があったとすれば、それは獣姦の一例であろうし、人類に対する神の意志に反するが、堕落した種族にとっては全く驚くべきことではない」(378ページ)。つまり、クレイグは結局のところ、交雑仮説にかなり寛容に見えます。

非機能的なジャンクとしての偽遺伝子

クレイグのモデルの根本的な問題は、偽遺伝子が非機能的な「壊れた」ジャンクDNAであるという仮定にあります、彼はそれが私たちのDNAに類人猿との遺伝的つながりがあることを示していると考えています。神が2つの異なる種に壊れた遺伝子を作るはずがなく、したがって壊れたDNAは私たちが共通の先祖を持つことを示唆しているので、彼はこのように考えるのです。この仮定 (このレビューの第6部で批判します) を受け入れると、人間がどのようにしてDNAに「壊れた偽遺伝子」を持つようになったかを説明するために、彼には2つの選択肢があるように見えます。

 

(1) アダムとエバは奇跡的に新たに想像されたが、その子孫と交雑した、神に似た者として創造されたのではないヒト科のある進化した集団が、彼らの「壊れた偽遺伝子」をアダムとエバの子孫に提供したことを許容する。

 

(2) アダムとエバは、類人猿との共通の先祖 (そこから「壊れた偽遺伝子」を得た) の直接の子孫で、かつ彼らは我々の唯一の遺伝的先祖であると提唱する。

 

クレイグが (時々) (1) の選択肢を許容することには、アダムとエバが私たちの唯一の遺伝的先祖ではなくなるという問題があります。彼はこの本でこの命題を擁護すると主張しています。クレイグが (時々) (2) の選択肢を許容することには、アダムとエバは自然に進化したのであって、特別にあるいは奇跡的に新たに創造されたのではなくなるという問題があります。これも彼がこの本で擁護したい命題です。さらに、もしクレイグがアダムとエバが神によって奇跡的に創造されたという主張と私たちの唯一の遺伝的先祖であるという主張の両方を擁護したいのなら、つまり、伝統的なアダムとエバを擁護したいのなら、彼がどのようにしてヒトと類人猿の共通先祖や、アダムの系統がヒトではないヒト科と混血したことを肯定できるのか私にはわかりません。彼はその両方をこの本の様々な箇所で肯定しているのです。

 

言い換えると、(A) アダムとエバの奇跡的で新たな創造、(B) アダムとエバが私たちの唯一の遺伝的先祖であること、(C) ヒトと類人猿の共通先祖、(D) ヒトではない霊長類との混血のすべてを、クレイグが一つのモデルでどうやって肯定できるのか、私にはわからないのです。(A)は(C)と両立しませんし、(B)は(D)と両立しません。さらに、クレイグは「伝統的」なアダムとエバを肯定したいと言うことがありますが、この場合、(A) と (B) はどんな「伝統的」なモデルでも必要な構成要素になります。しかし、(C) と (D) はどちらも、伝統的なアダムとエバとは両立しません。(C) ではアダムとエバは特別に創造されたものではなく、(D) では彼らは私たちの唯一の遺伝的先祖ではなくなるからです。

 

結果として私は、彼のモデルの持つ正確な意味を理解することに困難を感じています。そしてそれは私だけではなさそうです。『Science』誌の書評にも同様の混乱が表れています

 

彼のモデルは結局、アダムの子孫に他のヒト族系統からの不特定量の混血があったことを許容して、そのような厳しいボトルネックの必要性を消去していることがわかった。この章でもっと明確に仮説を述べていれば、読者の時間とフラストレーションの節約になったはずである。

 

おそらくクレイグは、本当に「伝統的」なアダムとエバを求める人と「進化的」なアダムとエバを求める人の両方にとって彼の論議が快適になるように、ある程度の曖昧さを許容しているのでしょう。しかし、私は「伝統的」なアダムとエバが可能かどうかを知りたいですし、このレビューがその曖昧さの一端を明らかにするのに役立つことを願っています。

 

進化科学でもアダムとエバがある意味で私たちの「先祖」であった可能性をクレイグが示したと私は信じていますが、進化科学では、彼らが私たちの「唯一の先祖」ではないことや、彼らが奇跡的に新たに創造されたのではないことを要求しています。それで、進化科学が「伝統的」なアダムとエバと両立することをクレイグが示したとは思えません。それらを調和させることは不可能だと思います。

 

私にとってのこの難問の解決策は、伝統的なアダムとエバ (上記のAとB) を回復することの許容でもありますが、偽遺伝子は「壊れた」DNAではなく、機能を持つという抗しがたく、また急速に増えている一連の証拠を認識することです。このレビューの第6部でこの命題を擁護します。そうすれば、類人猿と共有しているDNAを、何らかの厳密な自然のメカニズムによって私たちのゲノムに取り込む方法 (上記の選択肢1または2) を見つける必要がなくなります。

 

しかし、私は古人類学にもとても興味があります。そこで、クレイグのモデルが何を意味するのか、という質問は脇に置いておくことにしましょう。そのかわりにこう聞いてみましょう。クレイグは、私たちの唯一の遺伝的先祖として神によって特別に創造された可能性のある、伝統的なアダムとエバの候補を化石記録から識別しているでしょうか?この点については、私はその答えは「イエス」だと考えます。それは賞賛に値する業績であり、彼の著書からの重要な貢献とみなしています。

ホモ・ハイデルベルゲンシスについての主流派の疑念

クレイグがアダムとエバを「主流の」科学と調和させたことを称賛する人はたくさんいます。私は、アダムとエバはホモ・ハイデルベルゲンシスのようなものに相当したかもしれないという彼の提案には説得力ともっともらしさがあると思っています。しかし、クレイグがアダムとエバの候補種としたホモ・ハイデルベルゲンシスが有効な分類群であるかどうかについて、主流派の科学に総意はないことには注目する価値があります。ホモ・ハイデルベルゲンシスは古人類学のコミュニティで激しく批判されています。『Evolutionary Anthropology』の最近の記事では、この種を「定義が不明瞭で、理解が不安定」と呼び、この分類は「定義が不明瞭で、無定見に使われてきたため、完全に放棄されるべきである」と付け加えています1。その記事はこう続けています。

 

H. ハイデルベルゲンシスを構成するものについて、複数の、しばしば矛盾した見解があるため、この分類群は特に誤解を招きやすい。専門外 (例えば、他の領域を研究する生物学者、旧石器考古学者など) の者にとっては、H. ハイデルベルゲンシスは一般的な中期更新世のヒト族か、ネアンデルタール人の時種のどちらか (時には逆説的に両方) を表している。古人類学のコミュニティでは、この分類の曖昧さが、複雑で時にはわかりにくい議論を引き起こしてきた。一つの論文の中で、この分類について矛盾したハイポダイムを伴う記述が多数見られるのである。さらに厄介なことに、新しく発見された中期更新世のヒト族の化石をホモ・エレクトス、H. ネアンデルターレンシス、あるいは初期のH. サピエンスに割り当てることは容易ではないにもかかわらず、この汎用的な分類にまとめられる傾向があり、しばしば中期更新世のヒト族の非特定形態を示す修飾語「sensu lato (広義の)」が付されている。あるいは、「古い H. サピエンス」、「中期更新世のホモ属」、「ホモ属の種」など、より一般的で説明的な名前がそれらに割り当てられるが、進化上の位置づけはほとんど伝わらない。

 

実際、著者たちはホモ・ハイデルベルゲンシスの出現を告げる年代である更新世中期についてコメントして、「この時代の人類の進化の理解は乏しく、古人類学者はこの問題を『中期の混乱』と呼んでいる」と書いています2

 

クレイグがホモ・ハイデルベルゲンシスを現生人類の祖先としたことに伴うもう1つの問題は、『Evolutionary Anthropology』の論文が説明しているように、古人類学者のすべてがホモ・ハイデルベルゲンシスをホモ・サピエンス、ネアンデルタール人、デニソワ人の最近共通祖先と考えているわけではないことです。

 

この分類群はこれまでLP [後期更新世] のヒト族の最近共通祖先 (MRCA)、あるいは範囲を小さくして、アフリカ系とヨーロッパ系 (それぞれH. サピエンスとネアンデルタール人) の共通祖先と考えられていた。現生人類とネアンデルタール人の 系統のMRCAが前期更新世後半か中期更新世初頭に遡ってきたため、広義のH. ハイデルベルゲンシスに現在割り当てられている標本はMRCAの代表と考えることはできない。このことは、アフリカ系とユーラシア系のヒト族の分岐がデニソワ人とネアンデルタール人の間の系統分岐よりも早いと最近提唱されていることからすると、特に適切なポイントである。そういうわけで、H. ハイデルベルゲンシスをアフリカ系とヨーロッパ系のヒト族の系統のルーツと考えることはもはやできない。

 

ホモ・ハイデルベルゲンシスに対するこれらの批判は重要で注意すべきですが、必ずしもクレイグの結論にとって致命的ではありません。結局のところ、化石ヒト科の関係は (進化論の枠組みの中で) 解釈が難しいことで悪名高く、これらの論題についてはおおむね、この分野の研究者の数だけ意見があるのです。つまり、この特定の論文を書いた特定のチームがH. ハイデルベルゲンシスをホモ・サピエンス、ネアンデルタール人、デニソワ人という種の祖先と見なしていないという事実は、クレイグの命題が必然的に間違っていることを意味しません。データは曖昧であり、この種が実在し、人類の系統において非常に重要であるという点でクレイグに同意する主流派の他の古人類学者のチームがいることに疑問の余地はないでしょう!

 

早速強調しておきたいのは、ホモ・ハイデルベルゲンシスの子孫とされるそれぞれの種、すなわちホモ・サピエンス、ネアンデルタール人、デニソワ人は、形態的にも遺伝的にも非常によく似ている (あるいは似ていた) ということです。クレイグは、この3つの種が交雑し、繁殖力のある子孫を産み出すことができたと繰り返し述べています。同様に、『Evolutionary Anthropology』の論文には、「LPにおけるヒト族の末端枝の間の交雑の程度と頻度はよく確立されており、最近の研究では中期更新世における交雑が観察できることが示されている」と書かれています。この論文は、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスの「間で遺伝子流動のみならず移住があったことの強力かつ増大しつつある証拠」を認識しています。これは、両者が別々の「種」と呼ばれるべきかどうかという質問を提起します。『Annual Review of Anthropology』誌のある論文は、「ネアンデルタール人とデニソワ人は、生物学的にはホモ・サピエンスという種の一部であった」3と書いています。したがって、ホモ・ハイデルベルゲンシスのような「種」から現生人類 (あるいはネアンデルタール人やデニソワ人) への移行には、ミクロ進化、つまり種内の小規模な変化が伴うことになります。

ホモ・エレクトスの軽視?

現生人類 (ホモ・サピエンス)、ネアンデルタール人、デニソワ人の間の遺伝的、形態的、知的、行動的な高度な類似性を説明するために、クレイグはアダムとエバをこれらすべてのグループの先祖となりうる種の中に位置づける必要があります。彼はアダムとエバの最有力候補種としてホモ・ハイデルベルゲンシスを好み、ホモ・エレクトスを冷遇しています。クレイグが正しいのかもしれませんが、ホモ・エレクトスをアダムの系統 (そしてヒトという種) から除外することには、非常に慎重であるべきでしょう。実際、上記の『Evolutionary Anthropology』の論文では、他の文献4を引用して、ヒト、ネアンデルタール人、デニソワ人の共通祖先はH. ハイデルベルゲンシスに先立って、ずっと以前に生きていたもので、おそらくホモ・エレクトスのようなものだと提唱しています。

 

ホモ・エレクトスとは「直立した人間」という意味で、『Nature』のある記事によれば、運動のモードに関連した特徴である、「現生人類の三半規管の形態を示す最初期の種」5です。エレクトスの首から下は私たちと極めて似ており6、オックスフォード大学出版局のある優れた書籍には、エレクトスは「身長、体重、体の比率が人間に似ている」と記されています7。実際、ホモ・エレクトスを私たち自身の種に属するものとして分類している古人類学者たちが数人存在します8。ルーシーの発見者であるドナルド・ジョハンソンは、もしエレクトスが現代に生きていれば、現生人類と繁殖できただろうと示唆しており、これは私たちは同じ種の一員になることを意味します9

 

エレクトスがアダムの子孫であることに対するクレイグの主要な反論は、脳のサイズが小さすぎて高度な認知能力は不可能だというものです。どのような形質がその個体を人間から除外するのか判断しようと試みて、彼はこう書いています。「ホモのある種を人間として欠格とみなすのに眉弓はとても十分とは思えないが、脳の大きさと認知能力の相関を考えると、脳頭蓋の小ささは妥当であろう」(258ページ)。クレイグに一理あるとしても、限度があるでしょう。エレクトスの脳のサイズは平均して現生人類より小さいですが、それでもそのサイズは現生人類の変動の範囲内です10。さらに、多くの古人類学者が、脳のサイズと知性の相関関係は不明であると論じています。

 

指導的な古人類学者バーナード・ウッドとマーク・コラードはこのような観察を述べています。「脳の相対的なサイズは、他の変数と同様に、化石ヒト族をグループ化することはない。このパターンは、脳の相対的なサイズと適応帯の関連性が複雑であることを示唆している」11。同様に、知性は脳の内部組織によって大きく左右され、脳のサイズという単一の変数よりもはるかに複雑であることを示す研究もあります12。『International Journal of Primatology』のある論文には、「脳のサイズは、脳内のアロメトリックな再編成による選択的有利性にとっては二次的なものであるかもしれない」と書かれています13。人類学者のスティーブン・モルナールも同様に、「脳のサイズは、人間の知性に関連する要因のひとつに過ぎない」と述べています14。シアトルのアレン脳科学研究所所長のクリストフ・コッホは、「脳の全容量と知性の相関は弱い・・・脳の大きさは一般的な知性の変動全体の9〜16パーセントを占める」と書いています15。実例として、コッホはロシアの小説家イワン・ツルゲーネフ (1818-1883) の脳の重さが2021グラムだったのに対して、フランスの小説家アナトール・フランス (1844-1924) の脳の重さは1017グラムだったことを例に挙げています。ツルゲーネフの脳はフランスの脳の文字通り2倍の質量でしたが、両者とも高名な小説家でした!

 

ホモ・エレクトスの知性と道具製作能力に関する考古学的証拠が限られているというクレイグの観察は正しいですが、『Cambridge Encyclopedia of Human Evolution』は、「特定の種類の初期人類が言語、社会、芸術を発達させていたかどうかを判断することは非常に難しい」と述べています16。それでも、クレイグが他の古代ヒト科における知性の研究において使っている方法17で、一定の推測は可能です。ホモ・エレクトスの遺跡は複数の島で発見されており、彼らは船で到着したというのが最も合理的な説明です。ノースカロライナ州立大学のカール・ウェグマンは、「私たちは皆、初期の人間はそれほど賢くなかったという考えを持っている。調査結果は、そうではないことを示している。我々の先祖は船を作るほど賢く、それを使いたがるほど冒険好きだった」と言いました18。ベントレー大学グローバルスタディーズ教授のダニエル・エヴェレットは、ホモ・エレクトスが「クレタ島や他のさまざまな島へ航海していた。それは意図的なものだった。彼らはそれらの場所に行くために小型の船を必要とし、また少なくとも20人ほどのグループを率いる必要があった」と論じています19。エヴェレットによれば、これが意味するところは、

 

エレクトスは、[インドネシアの] フローレス島へ航海する際、言語を必要とした。単に流木に乗るだけでそうすることはできなかった。なぜなら、海流にぶつかると押し流されてしまったであろうからだ。漕げるようになることが必要だったのだ。漕ぐにしても、「そこで漕げ」「漕ぐな」と言えるようになる必要があった。鳴き声だけでなく、記号によるコミュニケーションが必要なのだ20

 

『Aeon』のエッセイで、彼はこう続けています。

 

航海は、現生人類に匹敵する認知能力の発達を実証している。世界で最も強い海流の一つを一緒に漕いで渡るというエ レクトスの偉業は、協力だけでなく、修正、指示、命令も必要とした。言語なしには、詳細な指示や修正はほとんどできない21

 

古人類学者の中にも異論を唱える人は確かにいますが、エレクトスも高い知性を持っていたと推論する状況証拠は十分にあります。

 

クレイグがホモ・エレクトスをアダムとエバの種として考えないもう一つの理由は、その歯、特に化石化したヒト科の歯のエナメル質の成長パターンから理解されている歯の発育速度にあります。科学的に言えば、歯は可塑的であり、霊長類やヒト科の中でさえ、関係を決定するのに必ずしも良い方法とは言えません。『米国科学アカデミー紀要』のある論文はこう述べています。

 

我々の結果は、ヒト族の系統発生学で従来用いられてきた頭蓋歯列の特徴は、ヒト族を含む高等霊長類の種と属の系統関係を再構築するためには、おそらく信頼できないことを示している22

 

神学的に言えば、神に似た者として創造されたことを反映する驚くべき能力が人間にあるのなら、子供の人生の最初の2年間に歯の表面にエナメル質が蓄積される速度が、なぜその子供が「神の像」を持つアダムの子孫であるかどうかを示す良い証拠と見なされないのかについて理解するのは難しいことです。

 

歯は確かに生物の食事、生活様式、習慣を反映していますが、それは一つの変数に過ぎません。エレクトスの生活様式をよりよく測定するには、体格、食事の質、食物収集活動に関連する複雑な変数である総エネルギー消費量 (TEE) 値を見ればよいでしょう。ある研究によると、ホモ・エレクトスのTEEは「初期のアウストラロピテクス類に比べ大幅に増加し」、現生人類の非常に高い総エネルギー消費量に近づき始めています23。研究者たちは、ホモ・エレクトスの最初期のメンバーは「より早い時代の、また同時代のアウストラロピテクス類よりも現生人類に似ている」としており、それは彼らの「脳のサイズが相対的により大きく、体がより大きく、成長・成熟速度がより遅く、専ら二足歩行し、歯と顎はより小さい」24ことと、食事と採食行動における「大きな変化」25のため、と考えています。これらの特徴を合わせると、「それ以前の、また同時代のヒト族から推測される生活様式よりも、現生のヒトのそれに似ている」26ことを反映しています。

 

繰り返しますが、クレイグの命題が正しく、アダムとエバがホモ・エレクトスではなく、ホモ・ハイデルベルゲンシスに属していた可能性はあります。このことははっきりさせておきたいと思います。彼の命題はもっともらしく、よく論じられており、真摯に受け止めるに値するものです!しかし、これらホモ属のメンバーはすべて非常によく似ており、あまりにも似ているので、上記のように、古人類学者の中には、これらすべてを同じ種、すなわち我々のホモ・サピエンスに属すると考える者もいるほどです。よって要点は、クレイグが間違っているということではなく、アダムとエバについては多くの有力な選択肢があり、どれが正しいかを明確に言うのは難しいということです。このことはおそらく、クレイグが著書で論じている以上に、アダムとエバの科学的証拠との適合性を補強しているのでしょう。

注釈

  1. ミリヤナ・ロクサンディク、プレドラグ・ラドヴィ、ウー・シウジエ (吳秀傑)、クリストファー・J・ペ、「Resolving the ‘muddle in the middle’: The case for Homobodoensis sp. nov.」、『Evolutionary Anthropology』(2021年)、DOI: 10.1002/EVAN.21929。
  2. ウィニペグ大学、「New species of human ancestor named: Homo bodoensis」、『ScienceDaily』(2021年10月28日)、https://www.sciencedaily.com/releases/2021/10/211028143648.htm
  3. ジョン・ホークス、「Significance of Neandertal and Denisovan Genomes in Human Evolution」、『Annual Review of Anthropology』、42巻: 433-449ページ (2013年)。(「ネアンデルタール人とデニソワ人は、生物学的にはホモ・サピエンスという種の一部であった」。)
  4. アイーダ・ゴメス-ロブレス、「Dental evolutionary rates and its implications for the Neanderthal-modern human divergence」、『Science Advances』、5巻: eaaw1268 (2019年)。
  5. フレッド・スプアー、バーナード・ウッド、フランス・ゾネフェルト、「Implications of early hominid labyrinthine morphology for evolution of human bipedal locomotion」、『Nature』、369巻 (1994年6月23日): 645-648ページ。
  6. ジークリット・ハートヴィヒ・シェーラー、ロバート・D・マーティン、「Was ‘Lucy’ more human than her ‘child’? Observations on early hominid postcranial skeletons」、『Journal of Human Evolution』(1991年)、21巻: 439-449ページをご覧ください。
  7. ウィリアム・R・レナード、マーシャ・L・ロバートソン、J・ジョシュ・スノッドグラス、「Energetal Models of Human Nutrition Evolution」、『Evolution of Human Diet: The Known, Unknown, and the Unknowable』所収、ピーター・S・アンガー編、 (イギリス、オックスフォード: オックスフォード大学出版局、2007年)、344-359ページ。
    • ヤン・イェリネク、「Homo erectus or Homo sapiens?」、『Recent Advances in Primatology, Volume Three: Evolution』所収、D・J・チヴァース、K・A・ジョイシー編、419-429ページ、ロンドン: Academic Press、1978年。
    • エミリオ・アギーレ 、「Homo erectus and Homo sapiens: One or More Species?」、『In 100 Years of Pithecanthropus: The Homo erectus Problem 171 Courier Forschungsinstitut Seckenberg』所収、ジェンス・ローレンツ編、333-339ページ、フランクフルト: Courier Forschungsinstitut Senckenberg、1994年。
    • ミルフォード・H・ウォルポフ、アラン・G・ソーン、ヤン・イェリネク、チャン・インユン (張銀運)、「The Case for Sinking Homo erectus: 100 Years of Pithecanthropus is Enough!」、『In 100 Years of Pithecanthropus: The Homo erectus Problem 171 Courier Forschungsinstitut Seckenberg』所収、ジェンス・ローレンツ編、341-361ページ、フランクフルト: Courier Forschungsinstitut Senckenberg、1994年。
    • エリック・デルソン、「One skull does not a species make」、『Nature』、389巻 (1997年10月2日): 445-46ページ。
    • ジョン・ホークス、キース・ハンリー、イ・サンヒ (李相僖)、ミルフォード・ウォルポフ、「Population Bottlenecks and Pleistocene Human Evolution」、『Journal of Molecular Biology and Evolution』、17巻 (2000年): 2-22ページ。
  8. ドナルド・C・ジョハンソン、メイトランド・エディー、『Lucy: The Beginnings of Humankind』(ニューヨーク: サイモン&シュスター、1981年)。
  9. 以下をご覧ください。

    • S・モルナー、『Races, types, and ethnic groups: the problem of human variation』、57ページ (1975年)。
    • S・モルナー、『Human Variation Races Types and Ethnic Groups』、 65ページ (第二版、1983年)。
    • C・G・コンロイ他、「Endocranial Capacity in an Early Hominid Cranium from Sterkfontein, South Africa」、『Science』、280巻:1730-1731ページ (1998年)。
    • バーナード・ウッド、マーク・コラード、「The Human Genus」、『Science』、284巻:65-71ページ (1999年)。
  10. バーナード・ウッド、マーク・コラード、「The Human Genus」、『Science』、284巻 (1999年4月2日): 65-71ページ。
    • テランス・W・ディーコン、「Problems of Ontogeny and Phylogeny in Brain-Size Evolution」、『International Journal of Primatology』、11巻 (1990年): 237-82ページ。また、テランス・W・ディーコン、「What makes the human brain different?」、『Annual Review of Anthropology』、26巻 (1997年): 337-57ページもご覧ください。
    • 『Human Variation: Races, Types, and Ethnic Groups』第5版 (アッパー・サドル・リバー: Prentice Hall、2002年)、189ページ (「脳のサイズは、人間の知性に関連する要因のひとつに過ぎない」)。
  11. テランス・W・ディーコン、「Problems of Ontogeny and Phylogeny in Brain-Size Evolution」、『International Journal of Primatology』、11巻 (1990年): 237-82ページ。また、テランス・W・ディーコン、「What makes the human brain different?」、『Annual Review of Anthropology』、26巻 (1997年): 337-57ページもご覧ください。
  12. スティーブン・モルナール、『Human Variation: Races, Types, and Ethnic Groups』第5版 (アッパー・サドル・リバー: Prentice Hall、2002年)、189ページ。
  13. クリストフ・コッホ、『Does Brain Size Matter?』、「Scientific American Mind」(1月/2月、2016年)、22-25ページ。
  14. C・B・ストリンガー、「Evolution of Early Humans」、『Cambridge Encyclopedia of Human Evolution』所収、241ページ。
  15. 例えば、クレイグはネアンデルタール人の狩猟戦略から「極めて慎重な計画、調整、議論」の能力があったと推論しています (294ページ。ティーメ、2007年を引用)。この点ではおそらく彼は正しいですが、エレクトスの移住戦略に基づいて同様の推論をすることはできないでしょうか?
  16. ヨーン・マドセン、「Who Was Homo erectus」、『Science Illustrated』(2012年7/8月): 23ページ。
  17. ニコラ・デイヴィス、「Homo erectus may have been a sailor — and able to speak」、『The Guardian』(2018年2月19日) から引用。
    https://www.theguardian.com/science/2018/feb/20/homo-erectus-may-have-been-a-sailor-and-able-to-speak
  18. ニコラ・デイヴィス、「Homo erectus may have been a sailor — and able to speak」、『The Guardian』(2018年2月19日) から引用。https://www.theguardian.com/science/2018/feb/20/homo-erectus-may-have-been-a-sailor-and-able-to-speak
  19. ダニエル・エヴェレット、「Did Homo erectus speak?」、『Aeon』、2018年2月28日、https://aeon.co/essays/tools-and-voyages-suggest-that-homo-erectus-invented-language
  20. マーク・コラード、バーナード・ウッド、「How reliable are human phylogenetic hypotheses?」、『米国科学アカデミー紀要』(アメリカ)、97巻 (2000年4月25日): 5003-06ページ。
  21. ウィリアム・R・レナード、マーシャ・L・ロバートソン、「Comparative Primate Energetics and Hominid Evolution」、 『American Journal of Physical Anthropology』、102巻 (1997年2月): 265-81ページ。Aiello, L. C. & Wells, J. C. K. (2002) Energetics and the evolution of the genus Homo. Annual Review of Anthropology. 31 (1), 323-338 もご覧ください。
  22. Aiello, L. C. & Wells, J. C. K. (2002) Energetics and the evolution of the genus Homo. Annual Review of Anthropology. 31 (1). (強調追加)
    • ウィリアム・R・レナード、J・ジョシュ・スノッドグラス、マーシャ・L・ロバートソン、「Effects of Brain Evolution on Human Nutrition and Metabolism」、『Annual Review of Nutrition』27巻 (2007年): 311-27ページ。
    • ウィリアム・R・レナード、「Size Counts: Evolutionary Perspectives on Physical Activity and Body Size From Early Hominids to Modern Humans」、 『Journal of Physical Activity and Health』7巻 (2010年): S284-98ページ。
    • レナード他、『Energetics and the Evolution of Brain Size in Early Homo』。
  23. Aiello, L. C. & Wells, J. C. K. (2002) Energetics and the evolution of the genus Homo. Annual Review of Anthropology. 31 (1), 323-338.