Japanese Translation of EVOLUTION NEWS & SCIENCE TODAY

https://evolutionnews.org/ の記事を日本語に翻訳します。

インテリジェントデザインは「サイエンスストッパー」か?

This is the Japanese translation of this site.

 

コーネリアス・ハンター
2022/2/11 14:21

 

オレゴン州立大学でマイケル・ルースと討論したとき、聴衆の学生から「インテリジェントデザインに基づいてどのように科学を行うのか」と質問されました。よくある質問です。もしデザイナーが自律的にデザインを創造できるなら、どのようにして予測を立てることができるのでしょうか?自然界が一連の自然法則に従うのではなく、自律的な存在に従って動作しているのなら、どのようにして科学を進められるでしょうか?実際には、進化論者はこのような質問を尋ねることはせず、むしろこのような定式化の下では科学は全く不可能になると大胆に断言するのが普通です。そのような例は数多く上げられますが、進化論者で当時米国科学アカデミー会長だったブルース・アルバーツによる『New York Times』の論説で十分でしょう。

 

科学のあらゆる分野と同様に、進化における我々の知識は不完全である。しかし、科学的事業の成功全体は、これらのギャップが、確認可能な証拠から論理的に導かれる自然な説明によって埋められるという主張に依存している。「インテリジェントデザイン」理論は超自然的な説明に基づいているため、科学とは何の関係もない。

科学はそれに依存している

言い換えると、厳密に自然主義的な説明には知的必然性があり、私たちの科学はそれに依存しているということです。だからこそインテリジェントデザインは、サイエンスストッパーになるという知的な罪を犯しているように見えるのです。しかし、これから見ていくように、この知的必然性の論議は全く異なることを明らかにしています。

 

知的必然論は、正当な科学を構成するものは何かという主張です。科学が適切に理解されるためには、自然主義的過程に厳密に限定されなければならないと述べています。この主張は、あなたが中学1年生の理科の授業で習ったことを強固にするかもしれませんが、現実の世界では大失敗しています。地球外知的生命体探査 (SETI) プロジェクトを見れば一目瞭然です。SETIは、地球外文明が発した信号を探すために宇宙をスキャンしています。言い換えれば、SETI自然主義的過程の結果ではない信号を探すために宇宙をスキャンしています。これは、科学が「自然な説明」のみを用いるというアルバートの要件とは正反対です。

 

何が正当な科学であるかを定義するために、知的必然論は、哲学者が線引き問題と呼ぶものへの解答を提案しています。科学と非科学を区別する線は正確にはどこにあるのでしょうか?これは、科学哲学における長年の問題です。「長年」というのは、何世紀もの間、健全な答えが見つかっていないという意味です。中学1年生の理科の授業で習ったのとは逆に、科学を分類・整理するのはそう簡単ではありません。

 

しかし、知的必然論が線引き問題の解決に失敗したのは始まりに過ぎません。さらに深刻な問題は、知的必然性そのものが科学的ではないことです。科学的成功および正当性が厳密な自然主義に依存していることを示す科学的な実験や知見があるでしょうか?あるいはまた、正確さと真実が自然主義にのみ見出されることを示す実験があるでしょうか?

信条であって知見ではない

初期の進化論者ジャン・バティスト・ラマルクは、「我々に獲得が可能な知識は、自然の法則を継続的に研究することによって導出されたもののみに限られるし、今後もそうであろう」と書きました。しかし、それは信条であって科学的な知見ではありません。

 

内部の仕切りによってAとBの2つの区画に分かれている箱を考えましょう。この箱は、すべての可能な科学的説明の集合を表しています。Aの区画には厳密に自然主義的な説明が含まれ、Bの区画には厳密に自然主義的でない説明が含まれています。

 

進化論者は、自分たちが区画Aに制限されているだけでなく、原理的な問題として、すべての科学は必然的にそのように制限されなければならないと言っているのです。区画Bは厳密に立ち入り禁止でなければならないのです。

 

しかし、区画Bに何かがあるとしたらどうでしょうか?もしあるとしたら、進化論者はそれを知ることはできません。シーシュポスが永遠に岩を丘の上へと押し続けるように、進化論者は永遠に、彼らが観察する区画Bの現象を区画Aの現象であるかのように説明しようとするでしょう。その説明は決してうまくいかず、ますます複雑になっていきます。しかし、進化論者ができることはそれだけです。

 

したがって、進化論者は深刻な問題に直面しています。区画Bに何かがあるとしたらどうでしょう?一般的な回答はこうです。「もしそうなら、我々は変わるだろう」。しかしそれは、少なくとも知的必然性に従うなら、真実ではありません。それは、「これらのギャップが自然な説明によって埋められる」ように要求していることを忘れないでください。


進化論者には、厳密に自然主義的な説明以外を熟考する自由はありません。彼らが自身に課したルールにより、「もしそうなら・・・」という条件を付けることは許されないのです。区画Bを考慮することはできません。

 

結局のところ、進化は証拠に従うのではなく、ルールに従うということです。知的必然性が例外を許さないのです。進化論者は、証拠に関係なく、厳密に自然主義的な起源物語を信奉しなければなりません。

義務であって発見ではない

科学はどうでもいいのです。何であれこのルールを変えることは、(例えば) 記号1つであってもできません。進化は、種の自然主義的起源を発見したのではなく、種の自然主義的起源を義務付けたのです。

 

知的必然論は、インテリジェントデザインに問題があるのではなく、進化に問題があることを物語っています。例えば、「脊椎動物の網膜がなぜ逆方向に配線されているかについての作業仮説は存在しない」と主張した進化論者のネイサン・レントのことを考えてみましょう。

 

私はレンツに、網膜のミュラー細胞が波長依存の導波管として機能していることを思い出させました。さらに私は、このことや網膜にあるその他の光学的メカニズムは、光受容細胞の向きに知的根拠があることを実証しているだけでなく、進化論者によるその「逆方向」という特徴づけを否定していると指摘しました。

 

レンツは同意せず、科学的証拠にもかかわらず、私たちの光受容細胞は逆方向であるという進化的主張に固執しました。レンツは主張をさらに強め、私たちの網膜の精巧な光学的メカニズムを「代償メカニズム」と表現しました。

 

この例は典型的なものです。知的必然性を伴う進化科学が、いかに証拠よりもドグマに従うかを示しています。レンツにとっては、私たちの網膜がデザインを提示するかもしれないということは、単なる可能性や単なる容認であっても、受け入れられないのです。

進化は実験科学を堕落させる

この例は、進化論という起源についての理論が、実験科学と呼ばれるものをいかに堕落させるかを示しています。脊椎動物の網膜がなぜ逆向きに配線されているかについての作業仮説は存在しない」と述べたレンツは、私たちの視覚に関する重要で深遠な画期的発見をまったく無視していました。これらの発見は、単純に重要視されず、ひっそりと隠蔽されました。

 

起源についての考えには結果が伴います。これはインテリジェントデザインについても真実で、オレゴン州立大学の学生とその質問の話に戻ります。インテリジェントデザインはどのように科学を行うのでしょうか?

 

IDが、進化論が行うようにして科学を行うものではないことは明らかなはずです。IDは、ドグマ的信条に基づいて先験的に可能な説明を排除するものではありません。奇跡や超自然現象さえも排除することはありません。しかしそれは、インテリジェントデザインが奇跡や超自然現象を探求していることを意味しません。これがアルバーツのような進化論者の懸念であり、彼らはデザイン思考を科学に迫り来る災厄としてナイーブに恐れています。その結果、彼らは自分自身を困難な状態に追いやってしまいました。IDは、彼らが無知なために恐れる問題ではなく、彼らの手に負えない自然主義に対する解決策なのです。

ストア派エピクロス

キケロが最初に記録した、ストア派エピクロス派の対話に始まる目的論と反目的論の長い討論の歴史の中で、インテリジェントデザインは目的論の陣営に堂々と所属しています。インテリジェントデザインは世界には合理的な根拠があるという考えを許容します。これは、近代科学の台頭における重要な考え方です。このことは、科学の行い方に深遠な影響を与えます。近代科学の歴史における、まさにこのような目的論的な考え方を持つ科学者たちによってなされた発見の数々の実例を見れば十分でしょう。

 

彼らは、科学的な説明の中に奇跡を否応なしに挿入したのでしょうか?もちろん、そうではありません。デザイン思考は、より根本的で深遠な影響を及ぼしています。

 

インテリジェントデザインは、より深いレベルでの仮説生成や実験計画法などで作用します。ケプラーの言葉を借りれば、自然界を究明することで、私たちは神に倣って神の思考を考えることができます。

 

IDの「科学的方法」の段階的なレシピを求める人は失望するでしょう。彼らは、哲学者たちが何世紀にもわたって見逃してきたものをインテリジェントデザインに要求しています。

 

目的論的アプローチは、歴史上最も成功した知識生成のパラダイムであったことに疑問の余地はありません。世界は盲目的な偶然によって生じたという反目的論の仮定から生まれた重要な発見を探すのは困難で、長い時間がかかるはずです。進化論的な科学が、誤った予測やそれらしい話を延々と産み出してきた一方で、デザイン思考は、先人たちの想像を絶する方法で私たちの知識に革命を起こしてきました。