Japanese Translation of EVOLUTION NEWS & SCIENCE TODAY

https://evolutionnews.org/ の記事を日本語に翻訳します。

こんにちは、デイブ教授: OOL研究へのジェームズ・ツアーの批判は、他の専門家のそれの反響です

This is the Japanese translation of this site.

 

ブライアン・ミラー
2023/5/25 11:11

 

私たちはすでに、生命の起源 (OOL) についての研究の状況をめぐるジェームズ・ツアー教授と「教授」デイブ・ファリーナの討論を、いくつかの記事で分析してきました。例えば、ファリーナの習慣的引用ブラフについての私の最新記事はこちらです。今日は、ファリーナや他の批評家たちが尋ねた数少ない率直な疑問の一つを取り上げましょう。すなわち、もしこの分野へのツアーの批判が正確であるならば、なぜ彼は自分の論議を査読付き文献に発表しないのでしょうか?答えは単純です。ツアーの批判や懸念はすでに起源の研究の専門家によって認識され、専門誌に発表されています。ツアーは単純に、一般大衆が語られてきたことと、この分野の真の状態との間の断絶を暴露するために、その課題を一般大衆に対してまとめ、説明したにすぎません。

スティーブン・ベナー

起源の研究への最も包括的で洞察に富む批判の1つは、ファリーナが称賛する合成化学者、スティーブン・ベナーによるもの (2014年) です。ベナーの論文「Paradoxes in the Origin of Life」は、生命の起源のシナリオが直面する、見た限りでは乗り越えられない5つのハードルを列挙しています。2つだけ説明しましょう。

 

1つ目は、アスファルトのパラドックスと呼ばれています。これは、有機分子の系が分解して、生命にとって役に立たない分子の混合物になる傾向のことです。ベナーは次のように述べています。

 

膨大な量の経験的データによって、エネルギーを与えられてそのまま放置された有機システムは、悪化して役に立たない複雑な混合物、「アスファルト」になることが確立されている。・・・さらに、熱力学第二法則、原子の集合がアクセス可能な「空間」を記述する結合理論、その空間のごく一部のみを複製系が占めることを要求する構造理論などの化学理論は、非生物のあらゆる化学系が、デボリューションを免れて「生物」のダーウィン的世界に進入するのは不可能であることを示唆している。

 

ベナーは続けて、この傾向が、生命の起源に向けた最も単純で最も早い段階を説明することでさえ、存続できる可能性のあるすべてのアプローチを台無しにする理由を説明しています。

 

不可能性についてのこのような記述は、RIRI [複製可能な不完全性を含む複製] 進化に必要とは想定されていない高分子にさえ当てはまる。これも経験的観察による豊富な支持があるが、物質は生命の「代謝ファースト」の起源のモデルと見なされるような既知の代謝サイクルから逃れ、そのようなサイクルを短命なものにする。大学院生の綿密な監視の下では整然とした仕切りを提供する脂質 (プロトセルファーストの起源モデルを支持する) は、塩濃度の変化、有機溶媒の導入、温度の変化といった小さな環境の摂動に関しては、まったくロバストではない・・・。

 

ベナーは2番目の課題を、情報必要性のパラドックスと名付けています。これは、RNA分子が自己複製に必要な情報を伴って形成されることのありえなさを指しています。中心的な問題は、ヌクレオチド (RNAの構成要素) のランダムな配列に、RNA分子が最小の複雑な細胞に必要な自己複製や他の複雑な機能を実行するのに必要な情報が含まれる確率が極小であることです。ベナーは次のように述べています。

 

もし生体高分子がRIRI進化に必要であると仮定するならば、あり得ないほど高濃度の構成要素が、不十分な量の情報を持つ生体高分子を生成することから生じるパラドックスを解決しなければならない。理論と観察から得られたこれらの命題により、生命の (この場合、生体高分子ベースの) 出現は不可能であるという結論も強いられる。

 

記事の最後に、ベナーは客観的な科学者の帽子を世俗的な信仰の大祭司のそれと交換します。彼は読者に対し、パラドックスはいつか解決されるという希望を失わないよう励ましています。しかし、この論文が発表されて以来、ベナーが認定した生命創成の障壁が克服されえることを示唆する発見はありません。

 

ツアーの批判は、ベナーの評価よりもはるかに温情があるように見えます。ツアーは単に、研究者たちは生命がどのように始まったかについてまだ何も理解していないと述べただけでした。対照的に、ベナーは、科学の最も根本的な理論とすべての実験的証拠は、自然の過程による生命の起源が「不可能」なことを指し示していると述べました。

エルバート・ブランズコムとマイケル・ラッセル

2番目の重要論文は、「Frankenstein or a Submarine Alkaline Vent: Who Is Responsible for Abiogenesis?」です。この2部構成の論文 (第1部第2部) は、生命の起源についてのアルカリ熱水噴出孔仮説の主導者であるエルバート・ブランカムとマイケル・ラッセル (2018年) が執筆しました。この論文では、自然の過程のみに頼る生命の起源についての理論がなぜすべて失敗する運命にあるのかが説明されています。著者たちは、細胞内のほぼすべての反応が、それを適切な速度で駆動する分子機械を必要とすることを詳述しています。

 

しかし、生命の分子変換のうち下り坂を走るものでさえ、化学の手を離れて、専用の高分子機械によって「管理」されなければならない。反応速度に条件付きで操作可能な制御を強いて、反応物と生成物の両方について望ましくない反応を排除するためである。化学はそれ自体では、あまりにも無差別で制御不能なのだ。

 

著者たちは、細胞の活動は「精巧な組織的デザイン」に従わなければならないとも述べています。

 

生命は物質の創発特性を表現しているのではなく、設計図やデザインアーキテクチャに適合して動作するよう、高度なナノテクノロジーによって指揮された過程のシステムを表現しています。自動車の組織を金属、ガラス、ゴム、ガソリンの化学と物理を通して説明できないのと同じように、細胞の組織を構成分子の化学と物理を通して説明することはできません。

 

注目すべきことに、分子機械の必要性により、自然の過程を通して生命が出現するあらゆる可能性が排除されるとさえ著者たちは認識しています。

 

特に我々は、質量作用の化学と化学的に非特異的な「エネルギー」の入力によって産み出された化学的カオスにおいて、生命に関連する生化学が出現し、後になってその恐ろしいまでに特異的なメカニズムを (生命の他のすべての特徴を進化させる一環として) 進化させたという考えは支持できないと主張する。

 

彼らは自然選択に訴えることで、この挑戦への回答としています。とはいえ、繁殖するものが何もないので、生命を説明する彼らの唯一の希望は妄想です。ここでも著者たちは、生命の起源が「支持できない」ように見えると結論づけることで、この分野の寒々とした描像を提示しています。

細胞の構成要素を組み立てる

皮肉なことに、生命の構成要素 (例えばタンパク質、RNA、細胞膜、糖) の合成を説明するのは、それらがどのように組み立てられて機能的な細胞になるかを説明するよりもはるかに簡単です。もし宇宙人が、初期の地球にランダムに配列された何百万トンものタンパク質やRNA、細胞膜、分子機械、その他あらゆる細胞構成要素を堆積させたら何が起きるでしょうか?すべてが「役に立たない複雑な混合物」に分解されてしまうでしょう。たとえ分解が何らかの方法で阻止されたとしても、最小限の複雑な細胞を形成するには3つの段階が必要になります。

  1. 計り知れないほど大規模な分子のプールから、正しいタンパク質、RNA、その他の構造を選択する。
  2. 微視的環境において、構成要素を局在化させる。
  3. 分子と構造を適切に組み立て、素晴らしく稀な配列にする。

ツアーは、既知の自然の過程によってこれらの段階が踏まれることが完全にありえないことを、あるビデオで説明しました。このことは私が以前の記事で要約しました

生命の起源についての的外れな研究

組み立て問題を吟味すると、現在の生命の起源研究が的外れであることが明らかになります。生命の起源に関する実験や仮説は、現実の課題の端をかじっているに過ぎず、その理由は、以下のアナロジーで最も良く理解できるでしょう。ある科学者グループが、竜巻が自動車部品店を突っ切れば、その部品が機能的な自動車に組み立てられることがあると、空気力学の法則が保証していると主張したと想像してください。その点を証明するために、彼らは適切な条件下で強風が吹くとナットとボルトが一緒に近づけられることを実証しようと試みるのです。それが成功したとしても、自動車の組み立てという作業全体に関しては、この一歩は取るに足らないものです。

 

同様に、単に生物学的に関連する分子をいくつか形成したり、それらを結合させたりすることは、エネルギー生産、情報処理、エラー修正などの偉業を成し遂げるナノテクノロジーの器を体現する細胞の製造に比べれば、取るに足らないことです。証拠を正直に評価すれば、生命は自然の過程に起源があったのではなく、精神の産物であると結論せざるを得ません。