Japanese Translation of EVOLUTION NEWS & SCIENCE TODAY

https://evolutionnews.org/ の記事を日本語に翻訳します。

社会ダーウィニズムについての追加コメント

This is the Japanese translation of this site.

 

マイケル・フラナリー

2021/4/27 6:11

 

ジェフリー・オコネルと彼の師であるマイケル・ルースの新著『Social Darwinism』が、私の尊敬する同僚であるリチャード・ウェイカートから注目されています。進化論思想の社会史やインテレクチュアル・ヒストリーを注意深く研究しているこの学者は、第一にダーウィンをハーバート・スペンサーから遠ざけようと努力している点 (こちら)、第二にヒトラーは進化論者ではなく、ましてやダーウィン的進化論者でもなかったというロバート・リチャーズの欠陥論文を的外れに反映している点 (こちら) など、本書に含まれる多くの重大な誤りを指摘しています。この本に関するウェイカートの分析をさらに改善するのは難しいでしょう。この投稿の読者には、この主題に関する彼の広範な著作を自分で調べるよう勧めるにとどめます。

 

しかし、私としては、ダーウィンとスペンサーにはほとんど共通点がないというオコネルとルースの主張をもう少し掘り下げてみたいと思います。実際、スペンサーは「原始的であろうとなかろうと、ダーウィン派ではなかった」と彼らは主張しています (13ページ)。すべては主に、この大胆な宣言に大きく依存しています。ダーウィンがどれほどの社会ダーウィニストであったか、そしてそれがどれほどスペンサーの進化と関連していたか、そしてその逆はどうであったかは、目新しい問題ではありません。これは何年も前から繰り返し議論されてきたことです。

熱烈な宣言

実際、50年近く前に『Current Anthropology』誌に掲載された「The Evolutionary Theories of Charles Darwin and Herbert Spencer」を読めば、今回の出版物は容易に無視できるでしょう。これを読むと、スペンサーとダーウィンは進化論の観点からはかけ離れていると主張して物議をかもしたニュージーランド出身の人類学者デレク・フリーマン (1916-2001) についての論評で最も顕著に注目されているのが、アメリカの人類学者マービン・ハリス (1927-2001) とインテレクチュアル・ヒストリーの研究者ジョン・C・グリーン (1917-2008) の2人の学者です。2人の歴史上の人物を遠ざけようとするフリーマンの熱烈な宣言にもかかわらず、ダーウィンの原理が社会科学に応用されたことを否定するフリーマンの言葉は「非常に弱い」とハリスは主張しています。ハリスは手加減せず、「思想史に関心のある学者が、なぜこれらの信条を歴史的先例から切り離そうとするのか、私は理解に苦しむ。フリーマンの見解を否定する証拠は圧倒的である」と述べています。

画期的なエッセイ

同様に、ジョン・C・グリーンは、「フリーマンは、自然、人間性、社会進化に関する彼ら [スペンサーとダーウィン] の見解に共通する要素を過小評価する傾向がある」と論じています。ダーウィンの『人間の由来』に明確にスペンサー的な要素が含まれていることに注目したグリーンは、44年前の画期的なエッセイ「Darwin as a Social Evolutionist」の中で、この主張を詳述しています。そこで彼は、ダーウィンが実際に「生物学的スペンサー主義」の理論を展開したとするハリスの告発と、自身の名を冠した社会的応用におけるダーウィンの役割についてのフリーマンの完全な否認という両極端に注目しています。関連する問題を徹底的に吟味した上でグリーンは、「私たちが『社会ダーウィニズム』と呼んでいるもの、つまり、個人、部族、国家、人種の間の競争が、人類の歴史における進歩の主要な原動力ではないにしても、重要な原動力であったという信念は、19世紀半ばの英国の思想の多くに浸透しており、ダーウィンの『種の起源』がこの種の考えを強力に後押しし、ダーウィン自身がこの思潮に深く影響されていたと結論づけるのが妥当であると思われる」と述べています。事実上、グリーンは (ハリス寄りではありますが) おおよそ中間に位置しており、ダーウィンが社会ダーウィニストであったという明確な事実を認めています。

 

ダーウィンがその社会的見解において多くの情報源を参考にしたことは明らかですが、スペンサーが何の役割も果たしていないというのは過言で、スペンサーがダーウィニズムと無関係であると言うのと同様に間違っています。ダーウィンの伝記作家であるエイドリアン・デズモンドとジェームズ・ムーアは以下のようにはっきりと述べています。

 

「社会ダーウィニズム」はいうなれば異物であり、ダーウィン流の純然たる本体に後から付け加えられた醜い瘤で、ダーウィンのイメージを損なっているという見方がしばしばされている。しかし彼のノートを見れば、競争、自由貿易主義、帝国主義、人種撲滅、性的不平等が最初から図式に書き込まれていたことは明白である。つまり「ダーウィニズム」は、一貫して人間社会を説明するためのものだったのだ。

(『ダーウィン 世界を変えたナチュラリストの生涯 I』、13ページ)

新しいものは何もない

奇妙なことに、オコネルとルースは先行研究を認めていますが、賛否どちらにも全く触れていません。彼らが最も安心できるであろうフリーマンにさえ、言及していません。結論を言うと、恐らくウェイカート博士がすでに述べたニーチェへの風変わりな手出しを除いては、『Social Darwinism』に新しいものは何もありません。しかし、たとえスペンサーとダーウィンが道徳や倫理について異なる見解を持っていたとしても (スペンサーの方がより陰険です)、その違いは実際にはほとんど影響しなかったでしょう。アメリカの代表的な優生学者であるポール・ポペノー (1888-1979) とロズウェル・ヒル・ジョンソン(1877-1967)が、「適切な」結婚と強制不妊という彼らの歪んだ原則を適用しようと考えたとき、頭に浮かんだのはスペンサーではなくダーウィンでした。

 

優生科学は、1859年のダーウィンの著作『自然選択の方途による種の起原』の出版に続く、生物進化の普及と受容の自然な結果である。ダーウィンの考えが勝利を得るまでには一世代を要したが、その後、文明世界の知的生活に革命をもたらした。人間は、自然の趨勢が規則的であること、観察された一連の事象が自然法則と呼ばれる公式で記述できることを理解し、これらの法則と調和して働くことで、植物や動物の繁殖において大きな成果を上げられることを学んだ。そして、「人間も同じ法則に従うのではないか」という論理的な疑問が生じた。人間が何世紀にもわたって、自分にとって最も価値のある植物や動物を多かれ少なかれ意識的に改良してきたように、自らの種を改良するためにその法則の知識を用いることはできないだろうか?

(APPLIED EUGENICS、1918年)

 

オコネルとルースは、この質問についての修史に深く十分に取り組むことに失敗しているため、彼らの努力を真剣に受け止めることは難しいのです。このような歴史的記憶喪失の状態では、『Social Darwinism』は、ダーウィン産業の残念な産物の一つに過ぎません。

 

オコネルとルースから離れるに際し、やり残した仕事が1つあります。すなわち、自然選択の共同創始者であり、彼らの本で35回言及されているアルフレッド・ラッセル・ウォレス (1823-1913) についての彼らの描写についてです。次の投稿でそのことに注目してみたいと思います。