Japanese Translation of EVOLUTION NEWS & SCIENCE TODAY

https://evolutionnews.org/ の記事を日本語に翻訳します。

ダーウィンと人種: 三振、アウト

This is the Japanese translation of this site.

 

マイケル・フラナリー

2021/2/10 6:36

 

2月は「黒人歴史月間」で、今週2月12日 (金) は「ダーウィンデー」、つまりチャールズ・ダーウィンの誕生日です。したがって、この日に次のような質問をするのは適切でしょう。進化の「第一人者」であるチャールズ・ダーウィンは、人種について何を信じていたのでしょうか?彼は人種差別主義者でしたか?ダーウィンを擁護する人々の多くは、「いいえ!」と断言しています。例えば、エイドリアン・デズモンドとジェームズ・ムーアは、奴隷制に反対することはまさにダーウィンの「聖なる大義」であり、すべての人類は共通祖先によって結ばれているという彼の確信がその熱狂的な信念につながったと提唱しています。アダム・ゴプニックは『Angels and Ages』(2009年) の中で、「ダーウィンの人生にもダーウィンの論理にも、彼の時代に馴染み深く、あるいは我々の時代に馴染み深い、いかなる形の人種差別も存在しない」と断固として述べています。しかしこれは真実でしょうか?事実を注意深く吟味すると、ダーウィンと人種に関しては、「三振、アウト!」ということになります。

知能による人種の格付け

まず、ダーウィンは確かに奴隷制には反対していたかもしれませんが、人種の平等を信じていたわけではありません。ダーウィンは『人間の由来』(1871年) の中で、同世代の代表的な民族学者であるJ・バーナード・デイヴィスやポール・ブローカの、頭蓋骨の容量と人種や民族の階層とを関連付けた研究を引用しています。ダーウィンはこの問題についてはっきりとしており、「科学」が頭蓋計測によって知能の格付けが可能であることを論証したとしています。

 

人間において、脳の容量と知能の発達との間に何らかの密接な関係があるという考えは、未開人の脳と文明人の脳、および古代人の脳と現代人の脳を比較すれば支持され、すべての脊椎動物の例から類推しても支持される。J・バーナード・デイヴィス博士は、たくさんの注意深い計測を行い、ヨーロッパ人の頭蓋容量の平均は九二.三立方インチ、アメリカ原住民のそれは八七.五立方インチ、アジア人では八七.一立方インチ、そして、オーストラリア人ではたったは八一.九立方インチであることを示した。[強調追加]

 

それで、ダーウィンが1862年2月6日付の手紙でチャールズ・キングズリー牧師に次のように語ったことは、驚くべきことではないでしょう。「人間の高等人種は、十分高等であれば、下等な人種に取って代わって排除するというあなたの言葉はまさに正しいと思います。500年以内に、アングロサクソン民族はどれほど広がって全ての国家を駆逐するでしょうか。その結果、人類を一つの単位として見たときに、どれほど階級が上昇するでしょうか」。また、1881年7月3日には、ウィリアム・グラハムに次のように書いています。「ほんの数世紀前、ヨーロッパの国々がトルコ人に圧倒されるという危険にさらされていたことを思い出してください。そして、そのような考えが今ではどれほど馬鹿げたものであるかを。より文明的な、いわゆるコーカソイドは、生存競争においてうつろなトルコ人を打ち破りました。遠くない将来の世界を考えてみると、世界中で無数の下等な人種がどれほど、より高度な文明を持った人種によって排除されているでしょうか」。 ダーウィンにとって、人間は英国中心の視点で明確な人種に分類できるものでした。ダーウィンは本当に全人類が平等であると信じていたのでしょうか。いいえ。ストライク1。

「人間の兄弟愛」

ダーウィンにとって共通祖先は、人種の平等、いわゆる「人間の兄弟愛」に転換されたのでしょうか?全く逆です。彼にとって、共通祖先は生存競争をも意味しており、それゆえに「適者生存」は人種的優位性、国家の拡大、「劣等」民族の抹殺、そして紛れもなく人種差別的な人類の「進歩」に容易に転換されました。彼の擁護者であるデズモンドとムーアでさえ、『ダーウィンが信じた道』(2009年) の中で、「しょせんはダーウィンも、自分が属する社会の偏見そのままに人類を「ランクづけ」していた。若いころの進化論ノートブックで「高等」や「下等」といった言葉を避けてきたつもりだったが、いつしか世間にどっぷりつかり、人類のランクという点に関して独立独歩の立場を貫くことをやめてしまっていたのだ」と認めざるを得ません。ダーウィンにとっての共通祖先は、「優れた」民族や人種が「劣った」民族や人種よりも進化的に上昇することを意味していました。ストライク2。

ダーウィンと優生学

最後に、ダーウィンの優生学への貢献があります。優生学とは、「科学」の名の下に行われた恐ろしい虐待であり、社会の「最良」の人々を選択的に繁殖させ、社会の「最悪」の人々を強制的に断種することで、人類を「改良」しようとするものです。ダーウィンの最も根強い擁護者の一人である歴史家のピーター・ボウラーは、『Darwin Deleted』(2013年) の中で、優生学は、19世紀後半から20世紀初頭の社会で「不適格者」が台頭することに対する中産階級の恐怖から生じたと主張しています。さらに、「科学者が遺伝に注目し、人為選択の可能性を認識するように促したのは優生学であり、彼らはダーウィニズムによる着想がなくてもこれを行うことができたであろう」と論じています。確かに優生学には階級に基づく要素があったことは事実ですが、優生学が「より良い」社会に向けての「人種衛生学」の形態とみなされていたことも事実です。ダーウィンがいなくても優生学は追求できたというボウラーの主張は疑問です。結局のところ、ダーウィン自身が鳩や家畜の家庭内繁殖に魅了されたことで『種の起源』(1859年) の第1章が形成され、彼はこの家庭内繁殖のアナロジーを自然選択の創造力の本質とみなしました。ジャン・ガイヨンは、『Darwin's Struggle for Survival』(1998年) の中で、彼の家庭内繁殖のアナロジーは、単に教育的な道具や発見を促す装置ではなく、理論そのものに不可欠であったと説得力のある議論を展開しています。しかしボウラーの主張にもかかわらず、ダーウィンと優生学の関連性は、ポール・ポペノーとロズウェル・ヒル・ジョンソンが『Applied Eugenics』(1918年) に書いているように、代表的な優生学者自身によって作られたものです。

 

優生科学は、1859年のダーウィンの著作『自然選択の方途による種の起原』の出版に続く、生物進化の普及と受容の自然な結果である。ダーウィンの考えが勝利を得るまでには一世代を要したが、その後、文明世界の知的生活に革命をもたらした。人間は、自然の趨勢が規則的であること、観察された一連の事象が自然法則と呼ばれる公式で記述できることを理解し、これらの法則と調和して働くことで、植物や動物の繁殖において大きな成果を上げられることを学んだ。そして、「人間も同じ法則に従うのではないか」という論理的な疑問が生じた。人間が何世紀にもわたって、自分にとって最も価値のある植物や動物を多かれ少なかれ意識的に改良してきたように、自らの種を改良するためにその法則の知識を用いることはできないだろうか?

 

このように、ダーウィンを優生学の邪悪な計画から遠ざけようとする努力は、優生学者自身の発言と矛盾しているように見えます。ボウラーがどう思おうと、優生学の原理を適用できる「驚異」を考えたときに、ダーウィンの理論がこれらの社会操作者の頭の中で最も重要であったことは明らかです。ストライク3。

 

どう考えても、人種の平等が議論されるとき、ダーウィンには明らかに勝算がありません。

 

編集部注: ダーウィニズムとその人種的思想への継承については、ジョン・ウェストのドキュメンタリー『Human Zoos』(複数の賞を受賞) で吟味されています。