Japanese Translation of EVOLUTION NEWS & SCIENCE TODAY

https://evolutionnews.org/ の記事を日本語に翻訳します。

イスラム教徒はインテリジェントデザインの自然な味方になるはず

This is the Japanese translation of this site.

 

ロバート・シェディンガー

2022/2/22 6:31

 

最近、著名なイスラム学者で、Center for Islamic Sciencesの所長ムザファー・イクバルは、彼が「新イスラム進化論者」と呼ぶ人たちに関して興味深い記事を書きました。現代のイスラム教徒の中には、ダーウィンの進化論とイスラムの教えの両立を論じる運動が進行中のようです。いわばイスラム式の有神論的進化論です。イクバルとしては、この運動に対してかなり批判的です。

 

私は彼の懸念に共感します。私は宗教学者として、イスラムの伝統におけるイエスの姿を探求してきたため、この10年間、アメリカやカナダの多くのイスラムセンターで講演するよう招かれてきました。私の研究の関心が科学と宗教の問題に移り、IDの文献に接するようになったとき、私はイスラム教徒がIDのコミュニティーの自然な味方になる真の機会を見出し、私が訪れた地域のイスラム教指導者や日常のイスラム教徒にIDへの興味を共有し始めました。しかし、この対話は必ずしも実を結びませんでした。

 

イスラム恐怖症の固定観念と闘う彼らの味方として、私はこれらのイスラム教徒のコミュニティで信頼を得ていたにもかかわらず、一部のイスラム教徒からIDへの興味に関して大きな反発を受けるようになりました。彼らの見解では、コーラン創造論者の考えよりも進化を支持しており、そのためコーランと現代の進化科学との整合性は、コーランの啓示自体の信頼性への証拠となります。付け加えるなら、コーランの現代科学との整合性が、非科学的な創造論者の主張を支持すると見なされる聖書よりも優れていることの証拠とみなす人もいます。

単純な護教論以上のもの

しかし、ここには単純な宗教的護教論以上のものがあります。私はイスラムの伝統やイスラム教徒自身と関わるうちに、イスラム思想の中心にある合理性と知性主義という強いテーマを理解するようになりました。多くのイスラム教徒にとって、神の実在は証拠がないのに信仰に基づいて受け入れる (キルケゴール的信仰の飛躍のような) ものではなく、むしろ自然界の驚異を熟考することから導出される合理的な推論なのです。

 

コーランは繰り返し、自然を創造者の本質についての啓示の媒体として指し示しています。この考えは、プロテスタントのクリスチャンの伝統では、マルティン・ルターのソラ・スクリプトゥーラ (聖書のみを神の啓示の源とすること) という宣言により、ある程度失われています。それで、多くのイスラム教徒にとってはほぼ定義として、人間が神から与えられた知性によって理解することとコーランが矛盾することはありえません。この考えは、中世イスラム世界を特徴づける科学の偉大な開花と、後にプラトンアリストテレスピタゴラスなどのアラビア語翻訳を通じてヨーロッパに伝わったギリシャ・ローマの伝統の流用を推進しました。

 

実際に起こったのは、特に西洋の一部のイスラム教徒が、ダーウィンの理論はこれまでに人が抱いた最も偉大な考えであり、まさに近代世俗科学の根幹であるという、科学の有力者の方針を受け入れたということです。そして、その理由を理解するのは難しいことではありません。科学の有力者たちが、ダーウィンか厳密な創造論のどちらかを選ばなければならないという考えを売り込むことに成功したあまり、創造論を特にキリスト教の考えとみなすイスラム教徒は、科学の有力者の側につく以外に選択肢がほぼなくなってしまいました。すると、ダーウィン的進化は、コーランイスラム神学と整合的であると見なされなければならなくなります。

ダーウィンの呪文

しかし、ここでもまた、より深い論点があります。イスラム教の指導者たちは確かに、世俗化がそれぞれの地域社会、特に若者たちに及ぼす悪影響について、キリスト教の指導者たちと同意できるでしょう。若者たちが世俗文化の魅力に飛びつき、自分たちの宗教的伝統を深い霊的意義や影響を欠いた文化的アイデンティティとしてしか扱わないことに深い懸念を表明するイスラム教指導者は数え切れないほどいます。ここに、課題と機会の両方があります。もし私たちがイスラム教徒に、ダーウィン的進化と現代の世俗性の間の根本的なつながり、つまり、リチャード・ドーキンスの不朽の言葉を借りれば、人が「知的な意味で首尾一貫した無神論者」になるようにダーウィンが助けたことを理解するよう援助できれば、私たちは投げかけられたダーウィンの呪文を解くことができるようになります。

 

コーランが進化的シナリオを支持していると信じているのであれば、イスラム教徒が創造論者の考えを受け入れることはないでしょうが、そうする必要はありません。時間の経過に伴う変化という一般的な意味での進化を受け入れても、その進化のメカニズムの原動力として自然選択を受容することにはなりません。IDとこの広い意味での進化が完全に両立するのであれば、イスラム教徒は、科学的唯物論が彼らの地域や社会全体に及ぼす影響について懸念を共有するID運動の自然な見方になるはずだと私には思えます。

 

私は、分子や細胞レベルでの生命の息を呑むような創意工夫を考慮すること以上に、創造の栄光のすべてを把握することで創造者の本質を理解するというコーランの呼びかけを反映するものはないだろうと思います。イスラム教徒が自然の美しい複雑さに応じて「マシャラー (アラーの思し召し)」を発するとき、その人はダーウィニズムの基盤となった唯物論者の枠組みそのものを否定しているのです。