Japanese Translation of EVOLUTION NEWS & SCIENCE TODAY

https://evolutionnews.org/ の記事を日本語に翻訳します。

自然の驚異 — 2人の科学者の物語

This is the Japanese translation of this site.

 

スティーブン・ディリー
2023/12/6 6:29

 

表面的には、エミリー・リーブスとチャールズ・ダーウィンはこれ以上ないほど異なっているでしょう。リーブス博士は生化学者で、「Scientific Dissent from Darwinism」のリストに署名しています。彼女の博士号はテキサスA&M大学で、ヴィクトリア朝のイングランドとは大違いです。そして、システム生物学と生化学についての彼女の仕事は、自然に真の目的とデザインがあることの強力な証拠を提供しています。(彼女の仕事の例はこちらで見ることができます。) とはいえ、ダーウィンとリーブス博士は、ある共通の経験によってつながっています。すなわち、人生のある時点で、自然についての驚異の念を失ってしまったのです。彼女の場合は、その驚異の念を取り戻しました。この2人の科学者の物語は、人間について、そして自然について、興味深いことを示しています。

 

『ダーウィン自伝』の中で、ダーウィンは「荘厳」への感受性が自身の内で萎縮したことに気づいたと記述しました。彼はこう書いています。

 

私は航海記のなかに、ブラジルの森林の荘厳のただなかに立っているあいだ、「私の心をいっぱいにし高揚させる驚異と讃嘆との気高い感情を適切にあらわすことができない」と書いた。人間には、単なる肉体の呼吸以上のものがあると堅く信じたことを、私ははっきりおぼえている。しかし現在では、その荘厳きわまりない光景も、私の心にこのような信念や感情をよびおこさせるものとはならないであろう。実際、私は色盲になった人間のようなものであり、・・・。1

 

別のところで、彼は自分が詩、演劇、芸術、音楽への鑑賞力を失ってしまったことを認めました。

 

三十歳のときまで、あるいは三十歳をすぎてまで、たくさんの種類の詩、たとえばミルトン、グレー、バイロン、ワーズワース、コールリッジ、シェリーの作品が、私に大きな喜びを与えた。学校の生徒だったときでさえ、シェークスピア、とくにその史劇に非常なたのしみをおぼえた。私はまた、以前には絵画がかなりの、また音楽がたいへん大きな喜びを私に与えたこともいった。しかし今は、すでに長年、一行の詩を読むのも辛抱できない。・・・私の心は、事実の大量の寄せ集めをつきくだいて一般法則をつくりだす一種の機械になってしまったように思える。・・・これらの趣味の喪失は、幸福の喪失である。しかも、たぶん知性にとっても有害であろうし、・・・。2

 

ダーウィンは、美術の鑑賞力の喪失は「幸福の喪失」であり、もしかすると彼の「知性」の喪失でもあったと報告しました。彼の精神はもはや美に反応せず、一種の「機械」になってしまいました。

 

恐らく、これは驚くようなことではないのでしょう。老年期を迎えるまでに、ダーウィンは50年近くを費やして、歯と爪が真っ赤に染まる自然の理論を構築し、擁護してきました。彼の進化論の中心にあるのは、「生存競争」と「自然選択」です3。この視点からすれば、敵対と死は生命の創造者です。ダーウィンが「起源」の中で次のように書いたとおりです。「こうして、自然界の戦争から、飢餓と死から、我々の想像し得る最も高位の対象、すなわち一層高等な動物の生成が直接に帰結する」4。ダーウィン自身の驚異の感覚が薄れ、死んでいったのも不思議ではありません。ダーウィンの見解では、美とは究極的には闘争、変異、選択の残忍な過程における付帯現象なのです。

エミリー・リーブス博士の物語

リーブスとダーウィンの間には印象的な類似点があります。リーブスは幼い頃から自然の美に感銘を受けていました。ダーウィンのように、彼女はそれを深いレベルで研究することを選びました。けれども、彼女は大学院で、ダーウィンの還元主義の世界に浸ることを要求されるという経験をしました。彼女はここで、ダーウィン自身が報告したような眩暈の一部を経験し始めました。生態系から生物、タンパク質に至るまで、すべてが物質、エネルギー、繁殖の有利性という自然主義的なレンズを通して見られていました。すべての機能は、究極的には偶然の産物であり、生存のための闘争における適応でした。「私は幻滅しました」とエミリーは後に振り返りました。「生き物を研究し、探求することへの驚異の感覚を失ったのです」。生命に深い目的性の感覚が感じられませんでした。

 

リーブスは、この「目的のない」生命観が、周囲の科学者たちの動機に波及していることにも気づきました。彼女が、なぜ生化学を研究することが重要なのかと尋ねると、同僚の何人かは表面的な理由しか挙げませんでした。すなわち、単にそうしたいから、そうすることが期待されているから、その分野の人たちがそうしているから、そうするのだ、と。より深い理由はなさそうでした。闇雲に、すべてが合致しました。生化学の内部における目的という考えを諦めたことで、彼女の同僚たちはもはや生化学のための目的を喚起することができなくなったのです。結局のところ、目的のない過程を研究することに何の目的があるでしょうか?

知的代償

ダーウィンと違って、リーブスにとって問題をさらに難しくしたのは、生物学的世界が美と目的と驚異に満ちていることを彼女が知っていたことです。彼女はすべての背後にデザインがあることを知っていました。生物学的現象が驚くほどの程度で、明らかに創造的な知性の働きを示唆する程度で入り組んでおり、複雑なものであることは明白でした。

 

「大学院の生化学の課程で、数週間の単元があったのを覚えています」とリーブスは回想します。「その単元ではヘモグロビンを研究しました。教授は、ヘモグロビンが肺で酸素をより強く結合させ、筋肉に酸素を放出させる仕組みについて詳しく説明しました。このシステムを可能にしている分子の協同性は素晴らしいものでした。すると教授は、そのすべてをさらりと進化のせいにしたのです」。この還元主義的アプローチは、感情的に負担がかかるだけでなく、知的にも消耗させるものでした。「還元主義の枠組みの中で生物学の複雑さと美を理解するのはあまりにも難しいことでした。意味を成すものが何もありませんでした。私は還元主義が誤りであることを実際に知っていました。デザインが実際に存在することを知っていました。しかし、周囲の還元主義に没頭されるだけで、代償を払うことになったのです」。

 

ちょっと想像してほしいのですが、 あなたが4年間にわたってロゼッタストーンの研究を任されたとしましょう。では、この人工物の起源と機能を説明するのに、風、浸食、電磁気、その他の自然現象を参照することしか許されないと想像してください。それはまったく疲れることでしょう!リーブスの経験に似ています。

信じなければならない!

さらに困難に追い打ちをかけたのは、彼女の大学院の専攻とその分野全体の教条主義でした。リーブスはある分子システムについて何人かの同僚に、「どうしてこんなに入り組んでいて、こんなに明らかにデザインされたものが、偶然と選択で生じたなんて言えるの?」と尋ねたことがあります。彼らのぶっきらぼうな返事と口調から答えは明白でした。そのような質問は歓迎されないのです。

 

リーブスの記憶では、「その言外の意味はこうでした。『よくそんな質問ができるな!私たちは皆、これが真実だと知っている。私たちはそう信じている。そして、君もそうしなければならないんだ』」。彼女の仲間の大学院生の1人で親しい友人は、リーブスのことを「創造論者」だと冗談を言い、そもそもなぜ彼がわざわざ彼女と議論するのかと疑問を口にしました。何度も何度も、リーブスは自分の質問によって得られるのは証拠というより汚名であることに気づきました。

 

当然ながら、彼女はこの状況に混乱と困惑を覚えました。彼女の同僚の多くは、理性的で知的で興味深い人々であり、彼らは彼女の友人でもあったのです!しかし、彼らは一貫して自分たちの進化的見解の証拠を挙げることを避けつつ、少しでも異論の気配を感じると強く反発しました。リーブスはある日、仲間の大学院生から「生化学の研究は楽しい?」と尋ねられたのを覚えています。リーブスは即座に、「いいえ、楽しくないわ」と答えました。

 

博士号を取得した後、彼女はしばらく科学を離れ、ウェイトレスの仕事を探しました。リーブスには、人体がどのようにフレンチフライを消化するかについての生化学を説明する知能と訓練がありました。しかし、彼女は燃え尽きていたので、やりたかったことといえば、それらを一皿ずつ客に出すことだけでした。

回復への道

しかし、インテリジェントデザインという科学的概念は、大学院を通して忍耐したリーブスが、再びこの分野に入る上で重要な役割を果たしました。特に、彼女は『Discovery Institute』のインテリジェントデザインについてのサマーセミナーに二度参加しました。一度は受講者として、もう一度は発表者としてでした。

 

これらのセミナーで彼女が経験したことの中で、2つの要素が際立っていました。まず1つ目は、コミュニティです。彼女は、自然界について深く注意深く考える、志を同じくする人々のグループを見つけました。質問は歓迎され、証拠は自由に提供されました。リーブスはIDコミュニティをますます信頼するようになりました。彼らには、彼女が大学院時代の同僚たちの教条主義の背後に感じたような知的不安感はありませんでした。本音の質問を投げかければ、その後に本音の対話が続くのです。

 

リーブスの精神を高揚させた2つ目の要素は、IDの概念が生化学を照らし出す方法でした。インテリジェントデザインは、彼女が生化学者として見たものを理解し、意味あるものとするための、よりよい枠組みを提供してくれたのです。彼女がID理論の核となる原理を理解すると、物理学者のブライアン・ミラーが彼女にシステム生物学の分野を紹介し、ウーリ・アロンの教科書『システム生物学入門: 生物回路の設計原理』を読むように励ましました。この教科書は、生化学的現象の記述にデザインベースのアプローチをとり、ネットワークモチーフ、ロバストネス、最適性など、人間工学の多くの原則を巧みに取り入れていました。大学院での6年間、エミリーはこのようなものを見たことがありませんでした。「よりよい仮説を立てて検証するのに役立つ予測的な枠組みを目にして、とても励まされました。還元主義的な方法では、すべてがあまりにも理解し難くなっていました。でも今では、私はそれについて意味をなす方法で語ることができたのです」。

 

ロゼッタストーンの研究についての思考実験を思い出してください。その起源と機能を、心ない原因だけを参照して解読しようとした4年後、あなたはついに知的な原因も参照することを許されました。ついに、この人工物は意味をなしました!この知的安堵感を想像してみてください。これもリーブスの経験なのです。

 

インテリジェントデザインの理論を応用することは、彼女が生化学への愛を取り戻す助けとなりました。データは今や意味をなしました。そしてそのことが、自然界についての深い驚異の感覚を取り戻すように彼女を触発した、決定的な触媒となりました。理解と明瞭性により、一体感と満足感が深まっていくことになりました。知的な達成感と感情的な充足感という2本の糸が、ついに繋がれたのです。

元に戻って

究極的には、ダーウィンの経験はエミリーとは非常に異なっていました。彼は最初は驚異と美の感覚を持っていましたが、その後、これらの感性が回復不可能なほど萎縮していることに気づきました。対照的に、最初は驚異の感覚を持っていたリーブスは、還元主義の退屈な渦を感じましたが、その後、生物学的世界への愛を取り戻すことができました。

 

2人の間には多くの相違点がありますが、1つのことは明らかです。ダーウィンは還元主義を受け入れました。美や驚異は「自然の戦争」におけるはかない現象だということです。対照的に、リーブスは目的、明瞭性、デザインを受け入れました。美は自然の現実的で永続的な特徴になります。それは意図されたものでした。同様に、美に対する驚異という形の人間の反応は、意図されたものでした。そして、自然をこのように見ることは、すべてが意味をなすようにするのに役立ちました。美と驚異がもはや単なる手段として扱われなくなったとき、それらは何か別のものへの入り口となりました。すなわち、自然界とその荘厳さへの理解を深めることになったのです。

注釈

  1. Darwin, C. (1958) The autobiography of Charles Darwin 1809-1882. With the original omissions restored. Edited and with appendix and notes by his grand-daughter. Edited by Barlow, Nora. Collins, London. 91. (邦訳: チャールズ・ダーウィン、『ダーウィン自伝』、八杉龍一/江上生子訳、筑摩書房、2000年、109ページ)
  2. 同上、138-139. (邦訳: 170-172ページ)
  3. Darwin, C. (1859) On the origin of species by means of natural selection, or the preservation of favoured races in the struggle for life. John Murray, London. 490. (邦訳: チャールズ・ダーウィン、『種の起源 原書第6版』、堀伸夫/堀大才訳、朝倉書店、2009年、470ページ)
  4. 同上。