This is the Japanese translation of this site.
2024/6/4 15:53
私は最近、サイエンスライターのフィリップ・ボールの新著『How Life Works: A User’s Guide to the New Biology』を読み終えました。ボールは才能あるライターかつ科学コミュニケーターで、おかげで本書は読むのに心地よい一冊となりました。しかし、私にとって最も魅力的だったのは、ボールがこの新しい生物学についての説明で、インテリジェントデザインへの支持を公然と否認しているにもかかわらず、いかに頻繁にデザイン的な言語に訴える必要を感じているかということです。それはまるで、彼の意志に反して、証拠が彼の手に強いているかのようです!
この本の主旨は、還元主義的な遺伝子本質主義は、生命が機能する方法についての見解としてもはや成り立たない、というものです。DNAは単に生物を構築するための青写真ではありません。ゲノムに含まれる指示は、無数の細胞システムや生物システムによる解釈の対象となるため、単にその遺伝子型を分析するだけでは、生物の表現型を予測することは不可能になっています。ボールの見解では、生物構造のあらゆるレベルで作用するエージェンシー (デニス・ノーブルを思い出させます) が、生命の過程を旧来の遺伝子中心的な見解よりもはるかに複雑で躍動的なものにしています。しかし、このような論議を展開する中でボールは、生物学的に正統であり続けたいという彼の願望からすると、彼でさえ少し恥ずかしいのではと思えるような方法でデザイン的修辞表現や明確なデザイン的言語を使わざるを得なくなっています。
明確な姿勢
はっきりさせておくと、ボールはこの本の最後の方で、反IDの姿勢を明示しています。「はっきりさせておきたいのは・・・私がこれまで述べてきたこと、あるいはこれから述べることのいずれにも、ダーウィニズム、あるいはネオダーウィニズムと言うべきかもしれないが、その核心的原理への明白な挑戦は存在しないということだ」(453ページ)。そして、進化におけるエージェンシーの出現について、彼は「この質問について神秘的なことは何も必要ない。それはインテリジェントデザインへの裏口ではない」(460ページ) と言っています。ボールは彼の生物学的正統性を読者に保証する必要性を感じていますが、これは、生命がどのように機能するかについて彼が言っていることが、デザイン思考を支持するものと容易に見なされてしまうことを、彼がいかに自覚しているかを強調することに他なりません。その実例は豊富にあります。
最初に、ボールは生命起源のシナリオの中心にある手に負えない問題を認識しています。
DNAは (DNAポリメラーゼのような) タンパク質の助けがあるときのみ作られ、タンパク質はDNAの助けがあるときのみ作られるという事実は、地球上で生命が始まったとき、その全体がどのようにして始まったのかという鶏と卵の難問を突きつけている。(109ページ)
この問題を認識したボールを称賛します。残念ながら、彼はこの難問が自然主義的な生命の起源のシナリオを机上の空論にしているかどうかという、より重要な問題を単に無視しています。彼自身は確かに、自然主義的な説明を何も提示していません。彼はただこの難問を放置し、そのより大きな意義を無視しているのです。
ENCODE プロジェクトへの賞賛
「ジャンクDNA」の問題について、ボールは人間のゲノムの多くが実際に機能を持っていることを示したENCODEプロジェクトを称賛し、さらにこれが多くの進化生物学者にとって気に入らないものであることを認識しています。彼は、もし人間のゲノムの大部分がジャンクでないならば、私たちは動物の中でも独特な存在ということになるという趣旨のフォード・ドゥーリトルの言葉を引用しています。ドゥーリトルはこれを軽蔑的に、「ゲノム的人間中心主義」と名付けました。しかし、ボールはENCODEを擁護して反論し、「国際的に著名な科学者たちのチームがインテリジェントデザインへの扉を開いたと非難するのは、信仰を裏切ったというイデオロギー的な非難に似ている」(123ページ) と書いています。ボールはこのようには考えていないということです。彼はインテリジェントデザインを却下しながらも、ENCODEの発見を支持しています。しかし彼の言葉遣いは、話を進めるにつれてますますデザインで満ちていきます。
本質的に無秩序なタンパク質についての彼の議論を考えてみましょう。このタンパク質は、ある機能を実行するために必要になる時点で適切な形態になり、それまではほぼ折り畳まれていない状態のままです。ボールは (ポーランドの癌研究者エワ・グジボフスカを引用して)、本質的に無秩序なタンパク質について、それらは「細胞が環境の変化に素早く反応することを可能にし、信号を伝達し方向づける多種多様な経路へのアクセスを与える ― そしてこれが決定的に重要なのだが!― それらはシステムにプログラムされていない」と言っています (164ページ)。しかし、予期せぬ状況に対して、細胞はどのようにしてプログラムされていないやり方で反応する方法を知るのでしょうか?ボールは、1980年代にバーバラ・マクリントックが考慮したような、ある種の細胞による、あるいは分子による認知を示唆しているのでしょうか?彼はそうは言っていません (ただし、後の方でその方向に傾いているように見えます)。彼は再び、非ダーウィン的で親ID的な可能性で私たちをじらしますが、その明白な暗示を単に無視します。
しかし、因果的創発についてのボールの議論になると、秘められた事情が露わになります。彼は因果的創発を「生命の一般的なデザイン原理」(217ページ) と呼んでいます。そして、胚発生における身体パターン形成過程についての議論の中で、このように書いています。
ここで再び、自然界のデザイン原理の1つを見ることができる。すなわち、生物を構築するためのトップダウン、ボトムアップ、ミドルアウトのメカニズムの適切なバランスを見出すことで、適応と変異が起こり、小さな変化に対する危険な感度を産出することなく、イノベーション (「デザイン」という挑戦への劇的な新しい解決策) が可能になるのである (330ページ)。
つまり、自然と生命はデザイン原理を有しているということですか!では、これらの原理はどこから来たのでしょうか?多分、デザイナーですか?ボールはまたもや、これ以上何も言いません。彼は再び、あからさまなデザイン的言語で私たちをじらし、そして次に進みます。
しかしテーマは続く
ボールは続けます。
実際、タンパク質のような単一で機能的な生体分子でさえ、ある意味でその環境を表現している。例えば、ポリペプチド鎖は水中で折り畳まれることを前提に「デザイン」されているし、酵素の活性部位はある意味でそれぞれの標的リガンドを「予期」している。(361ページ)
ボールはここで、引用符を使うことで自分を守ろうと試みています。しかし、実際には両論併記はできません。もしポリペプチド鎖が水中で折り畳まれるようにデザインされているのなら、それは水中で折り畳まれるようにデザインされているのであり、デザイナーがいたに違いありません。もしデザインされていないのなら、それらが水中で折り畳まれる能力は方向性の無い物質的過程の結果であるに違いありません。後者であるなら、なぜ引用符で囲むことでその意味を弱めてまで、わざわざデザインや予期という単語を使うのでしょうか?ボールにとってデザインの証拠に説得力があるのは明らかですが、彼は同時に生物学的正統性への傾倒を維持することを試みなければならず、プレッツェルのように自分を少々ねじ曲げることになります。
もう1つの守備的な一手として、ボールはこのように言っています。
私はここで、細胞が自分の運命を決定すること、すなわち地形のどの谷を下るか選択することについて話してきた。これは非常に擬人化された言葉のように聞こえるが、そうである必要はない。結局のところ、我々は普段から、特に人工知能の分野では、コンピュータシステムも意思決定を行うと話しているのだ。(262ページ、強調は原文)
ボールは本当にこの道を進みたいのでしょうか?コンピュータシステムが意思決定を行うのは、それらが知的な創造者によってそのようにデザインされたからに他なりません。いかなる意思決定コンピュータも、方向性のない物理的過程の結果として生じたことはありません。意思決定コンピュータの存在が知的なコンピュータ技術者の存在を示唆するのであれば、意思決定細胞の存在も同様に、その細胞の知的な創造者の存在を示唆することになります。ボールのアナロジーは、彼の反IDの姿勢を根底から覆す恐れがあります。
さらに進んで、ボールは生物学者デニス・ブレイを好意的に引用しています [訳注: これは、『ウェットウェア 単細胞は生きたコンピューターである』、熊谷玲美/田沢恭子/寺町朋子訳、早川書房、2011、207ページからの引用です]。
生きた細胞には、生き延びるために絶対必要な、環境に対する感受性 ― 周囲の目立った特徴を感知し記録する能力、つまり反射能カ ― が本来備わっている・・・。このような特性は、生きた細胞の分子構造に深く織り込まれている・・・。(263ページ)
ボールは細胞の感覚の可能性さえ排除していません。それでもなお、彼は単純に、科学的な読者からの信頼性を維持するために、蓄積された生物学的証拠によって強いられた明白な結論を、受け入れる気になれないのです。すなわち、ネオダーウィニズムは死にましたが、インテリジェントデザインの可能性はますます高まっています。
生命がどのように機能するかについてのこの躍動的な見解の出現に全面的に向き合おうとするボールの意欲を、私は高く評価します。旧来の遺伝子中心的見解は、当初から死んでいたという彼の宣告は正しいでしょう。たとえそれが多くの方面で、代替案が自然主義にうまく適合しない恐れのために人為的に生かされているとしても。ただ、ボールがインテリジェント・デザインを精力的に否定しているにもかかわらず、『How Life Works』は近年登場したIDの本の中でも重要なものの1つかもしれません。そして、この皮肉は誰にとっても見逃せないはずでしょう。