Japanese Translation of "Science and Culture Today"

https://scienceandculture.com/ の記事を日本語に翻訳します。

特定された複雑性はなぜデザイン検出の鍵になるのか?

This is the Japanese translation of this site.

 

ウィリアム・A・デムスキー

2024/5/6 9:08

 

私が最近書いた「特定された複雑性を簡潔に」と題する記事は、私のブログに載せたものですが、『Evolution News』にも再掲載されました。それは非専門的な読者のために、特定された複雑性とは何か、そしてそれがデザインを検出するためにどのように使われるかを説明しています。しかし、なぜ特定された複雑性が機能するのか、なぜそれがデザインを検出するのにまさに必要なのかは説明されていません。それがこの記事の主眼とするところです。

 

では、特定された複雑性とは何なのでしょうか、そしてなぜそれがデザインを検出することができるのでしょうか?この問いに答えるために、第一原理から話を進めるつもりです。したがってここでは、特定された複雑性の根底にある技術的な詳細やそれを利用する技法を並べ立てるのではなく、そもそも特定された複雑性を定式化するに至った問題を整理し、それを解決するために特定された複雑性がなぜ必要になるのかを示したいと思います。

一般的な問題

特定された複雑性によって解決されることを意図している問題とは、このようなものです。所与のある事象 (あるいは、ある事象によって産み出された物体や構造物) が、どのようにして出現したのか正確には分からない場合、それが知的原因の産物であると正当に考えるに足る特徴は何でしょうか?この問いは私たちに、結果から原因への推論をするように求めています。言い換えると、私たちはある結果を見てから、それがどのような原因によって産み出されたのかを決定することを試みなければなりません。

 

そのため、特定された複雑性が解決しようと試みる問題は、原因から結果への推論を通して設計を検出するのとは異なります。原因から結果への推論では、私たちは既知の原因を目撃し、それからその結果を追跡します。したがって、誰かがハンマーとノミを岩のかけらに当てるのを見てから、矢じりが産み出されるのを目にすることになるでしょう。このようなケースではデザインの検出は明らかです。なぜなら、私たちは岩を削っている人が知的行為者であることを知っており、この行為者が人工物、この場合は矢じりをもたらすのをリアルタイムで見ているからです。

 

しかし、特定された複雑性の場合、デザインされた物体の産出を明らかに目撃されている知的行為者という形で、決定的な証拠を手渡されるわけではありません。むしろ、単純にそのデザインが疑問視されている (岩の塊のような) 何かを与えられ、この岩がデザインの産物であると合理的に考えられる (岩が矢じりの形をしているというような) 特徴を持っているかどうかが問われます。

 

つまり、特定された複雑性が提起する質問は、次のように再解釈することができます。正確な因果関係が不明確な事象があったとして、それの何が、それが知性の産物であるという結論に説得力を持たせるのでしょうか?単純化するために、ここでは事象に焦点を当て、それによって暗黙のうちに、物理的またはデジタルなものをそれを産み出す事象と同一視することにします。物事をさらに単純化するために、この問題に懸かっているものを捉えているある種の例に注目しましょう。

SETIとシャノンのコミュケーション図

そこで、SETI、地球外知的生命体探査の場合を考えてみましょう。SETIの研究者は、古典的なシャノンのコミュケーション図の受信側にいることに気付きます。

この図は、クロード・シャノンの1949年の著書『通信の数学的理論』の中で中心的な位置を占めており、ノイズの存在下で情報源から受信機までの情報を追跡するものです。この図の定式化において、シャノンは情報源が知的行為者であると仮定しました。しかし厳密に言えば、必ずしもそうではありません。信号の源が、確率論的あるいは決定論的過程のような非知的なものだということもあり得ます。したがって、ランダムな数字を生成する量子デバイスが情報源かもしれません。

 

この図の一番端で信号を受信しているSETI研究者は、もう一方の端で信号を発生させている原因の種類を知りたがっています。物事を単純に、ただし一般性を損なわないようにするため、SETI研究者が受信する信号はすべてビット列、つまり0と1の数列であると仮定しましょう。外宇宙からはたくさんの電波ノイズが入ってきます。SETI研究者が除外する必要がある人間が生成した電波信号もたくさんあります。では、外宇宙から来たものであることが検証可能な ― したがって人間が生成したものではない ― ビット列形式の電波信号が与えられた場合、どうすればそれが知性の産物かどうかを見分けられるでしょうか?

 

ここで問題になるのは、映画『ET』のように、体現された宇宙人の知性が実際に地球に降り立ち、自身を直接的に明白にすることではないことに注意してください。むしろ、映画『コンタクト』(カール・セーガンによる同名の小説に基づく) のように、SETI研究者が頼りにしなければならないのは信号だけで、問題はその発信源が知的か非知的かということです。そのような知性が直接的に明白になることはありません。むしろ、そのような知性は間接的に明白になります。言い換えれば、知性は信号、つまり通信手段を通して媒介されます。

 

SETI研究者が直面している問題には、チューリングテストと興味深い類似性があります。チューリングテストでは、人間はメッセージの発信源がコンピュータなのか人間なのかを判断しなければなりません。もしコンピュータが人間と区別できないように振る舞うことができれば、チューリングテストは合格だと言われます。コンピュータは人間によってプログラムされているため、事実として派生知性を構成しており、その出力を人間と混同することがありえるかどうかに関係なく、知的に産み出されたものとみなすことができます。

 

しかしSETIの研究では、ビット列の発信源が知的かどうかを判断することがまさしく挑戦となります。そうでないことが証明されるまでは、その発信源は知的でないと推定されます。それが私たちの既定の選択肢です。それでは、外宇宙から送られてきたビット列の何が、そうでないと私たちを納得させるのでしょうか?現状では、紛れもない知性の特徴を備えているようなビット列はまだ観測されていません。したがって、SETIは現時点では裏付けとなる証拠がない研究プログラムなのです。しかし、だからといってこのプログラムが無意味になるわけではありません。SETIが提起する、そして研究プログラムとして正当化する、より深い疑問は、SETIが成功する可能性があるという反事実的な可能性です。もしそのようなビット列が観測された場合、説得力を伴って知性を示唆するものは何でしょうか?

小さな確率の必要性

そのようなビット列が知性を示唆するための直接的な要件の1つは、可能性の低さです。言い換えると、問題の事象は非常に起こりそうにないか、同じことですが確率が小さくなければなりません。ある事象の確率が小さいということが何を意味するかは、その事象が発生する機会の数、あるいは私の著書『The Design Inference』で確率資源と呼んでいるものに依存します。

 

例えば、コイントスで10回連続で表が出る確率はおよそ1,000分の1です。地球上の全ての人がコインを投げることを考えるまでは、この確率は小さいように思えるかもしれません。コイントスの全ての機会を考慮に入れると、10回連続で表が出ることは、人間の経験からするとありそうにないことでは全くないことが示されます。しかし、100回連続で表を出すのはどうでしょう?それほど多くの表が連続して出る確率は、およそ10の30乗分の1、つまり100万×1兆×1兆分の1です。もしこれまで地球上に生きてきた全ての人間が、人生でコインを投げること以外何もしなかったとしても、それほど多くの表を連続して見ることはないはずです。もし表を1、裏を0として扱えば、コイントスの連続はビット列と等価であることに注意してください。

 

では、あるSETI研究者が次の7ビットからなるビット列、0110001を受信したとしましょう。このビット列は、ASCII (American Standard Code for Information Interchange の略で、キーボードの文字を符号化する方法の1つ) では、文字「a」を表すことが判明しました。さて、私たちは、何らかの方法で英語を学び、ASCIIを知り、文字「a」で始まる首尾一貫した長い英語のメッセージをASCIIで送信し始めた知的宇宙人が存在したと想像するかもしれません。そこで、その宇宙人が次のようなメッセージを送信するつもりだったと想像するかもしれません。「a wonderful day has arrived on planet earth with the delivery of this message that once and for all establishes meaningful communication between our civilizations… (私たちの文明の間に意義あるコミュニケーションを決定的に確立するこのメッセージの配信に伴い、素晴らしい日が地球上に到来しました・・・)」。

 

SETI の研究にとっては不運なことに、この意図された送信は突然打ち切られました。0110001、あるいはASCIIの「a」だけが送信されました。予期せぬ事故により、残りのメッセージの送信が妨げられたのです。そしてその直後、核の大火災がこの異星文明を飲み込み、完全に破壊しました。したがって、この貴重な7つのビット0110001は知性の産物でした。それには不定冠詞を表すという意味がありました。

 

ですが、もしSETIの研究者が0110001というビット列しか持っていなかったとしたら、このビットの配列が知性によって生成されたと結論する立場にはなかったでしょう。なぜでしょうか?この配列はあまりにも短く、したがって可能性が高すぎるからです。SETIの研究者が、このビット列に基づいて『Wall Street Journal』の科学担当編集者に連絡し、宇宙人が不定冠詞を習得したと宣言することは正当化されないでしょう。SETIの研究者たちがモニターしている何百万もの電波チャネルでは、0110001のような短い文字列は観測されても単にランダムな電波ノイズとされるに決まっているでしょう。つまり、外宇宙からのビット列が検出可能なデザインとして適格であるための1つの要件は、それを産み出すかもしれないあらゆる妥当な偶然の過程との関係において、それがありそうにないことです。

認識可能なパターンの必要性

しかし、このようなビット列がデザインされたものとして検出されるためには、別の要件も存在します。極めて可能性が低いだけでは不十分です。非常にありそうにないことは常に偶然に起きます。私がバケツ一杯のビー玉をリビングルームの床に投げ捨てたとしたら、それらの正確な配置は非常にありそうにないものになるでしょう。しかし、そのビー玉が「Welcome to the Dembski home」という綴りになるように配置されていれば、この配置にパターンがあるため、ビー玉がランダムにではなく、そのように組織されたことが即座に分かります。むしろ、そのビー玉のパターンの背後に知性があることが分かりますし、それはその知性の作用の正確な因果関係を知らなくても分かるのです。

 

この最後の点は重要です。というのも、自然主義的な傾向のある多くの思想家は、デザイン推論を正当化するためには、もっともらしい自然主義的物語が用意され、それが十分に明確でなければならないと要求するからです。しかし、このような要求は本末転倒です。何かがデザインされているかどうかは、それがどのようにデザインされたのか、そのデザインがどのように物理的現実にもたらされたのかを知らなくても判断できます。実際のところ、私たちはデザインが実現される可能性のある自然主義的な因果関係の全容すら知らないのですから、純粋に自然主義的な根拠でデザイン推論を受容したり排除したりはできません。したがって、デザインの検出は、デザインを説明する可能性のある正確な因果的要因よりも論理的に優先されます。そのような因果的要因は、デザインが存在するかどうかよりも下流に存在するものです。

 

例えば、石器時代の道具しか持たなかった初期の人類が、突然現代のドバイに運ばれたと想像してください。アーサー・C・クラークの「十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない」という格言に従えば、ドバイを訪れた我らが石器時代人は、幻想と驚異の超自然的領域に運ばれたと思うかもしれません。それでも、彼らにはドバイの技術にデザインを認識する十分な能力があるでしょう。

 

私たちが、高度な3Dプリンターを使って新規の生物を創造する地球外生命体に遭遇した場合を考慮してみましょう。当然、私たちはそのような生物を、そのデザインを産み出す基礎となる技術が機能する方法について何の手がかりもなかったとしても、デザインされたものとして見るでしょう。一般的に、偶然性、必然性、デザインといった因果的説明の大まかな分類を理解する能力は、これらの因果関係の分類に対して一般的に精通していることに起因しており、所与の状況においてこれらの分類に含まれる原因がどのように当てはまるか、あるいは表現されるかについての特殊性に起因してはいません。特に、私たち自身にデザインする能力があるため、デザインを再現することはできなくても、それを評価することはできます。失われた技術は、私たちがそのデザインを認識できないからではなく、私たちにもはや再現できないので失われたのです。

 

そこで、SETI研究のように、シャノンのコミュケーション図の受信側でデザインを検出するには、ありそうにないと同時に認識可能なパターン (ビー玉が「Welcome to the Dembski household」という言葉を綴るのに似ている) を呈するビット列が必要になるようです。どんな長いビット列もありそうにないものです。しかし、その圧倒的多数はデザイン検出可能なものではありません。したがって私たちの課題は、可能性が低いものが存在する際に、あるビット列をデザイン検出可能なものとして印づける、認識可能なパターンを限定するものは何かを詳しく説明することです。

 

ありとあらゆるものが、何らかのパターンを呈しています。私たちが認識可能だとみなすようなパターンに合致しない、完全にランダムなビット列でさえ、何らかのパターンと一致します。どんなビット列も言語で記述することができ (例えば「1が2つ、次に0が3つ、次に1が1つ、・・・」)、そのような言語的記述はどれもあるパターンを構成します。それはデザイン検出できるような認識可能なパターンではないかもしれませんが、それでもパターンではあります。

 

その結果として、私たちはパターンを認識可能にする、したがって可能性が低いものが存在する際にデザインの検出を可能にするパターンの型を定義する必要があります。ここで、哲学者ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインの洞察が関連してきます (『反哲学的断章 文化と価値』、丘沢静也訳、青土社、1999、23ページから引用)。「中国人がしゃべっているのを聞くと、われわれは普通それを、分節化されていないうがいの音だと思ってしまう。だが中国語のわかる人が聞いたら、言葉だとわかるだろう。というわけで私には、人間が人間だとわからない・・・・・・などということがしばしばある」。

 

ウィトゲンシュタインの要点は、デザイン検出に当てはめた際、ある事象におけるデザインを検出しようとするならば、その事象の背後にあるデザインする知性と共通の知識や理解を共有しなければならない、ということです。もしデザインする知性が中国語を話していて、話されているのが自然言語であることすら私たちが認識していない場合、私たちは聞こえているものをランダムな音とみなし、それゆえにデザインを検出することができないかもしれません。デザインの検出は知識に基づく推論であり (無知に訴える論証ではありません)、デザインを担う知性とデザインを検出する知性との間の知識の共通性に依存します。

 

今、シャノンのコミュニケーション図の受信機である信号を目撃したとしましょう。それは長い信号であり、多くのビットから構成されているため、ありそうにないと仮定しましょう。したがって、デザインを検出するためには、信号も認識可能である必要があります。しかし、何かが認識可能とは何を意味するのでしょうか?recognizeという語の語源は、この疑問に答えるのに役立ちます。この言葉はラテン語の「再び」を意味する接頭辞reと、学ぶや知るを意味する動詞cognoscereに由来します。何かを認識するということは、それを再び学ぶあるいは知るということです。私たちが何かを認識するとき、既にそれを見て理解しているという感覚があります。それは馴染み深いものです。私たちの記憶にはその側面が残っています。その結果、私たちの認識の引き金となるのは、検出可能にデザインされた事象なのです。これが私たちにとっての、ウィトゲンシュタインの洞察の教訓です。

二重デザインとしてのデザイン

デザインについての一般的に重要な点を指摘する必要があります。すなわち、知性によってデザインされたものはみな、二重にデザインされているということです。デザインには常に抽象的、観念的、概念的な側面があります。かつ、それには常に具体的、具象的、現実的な側面があります。デザインの初期段階では、想像、意図、計画 (概念化) を意味します。そして、デザインの最終段階では、そのような概念化を物理的に実現された形態、形状、枠組み (現実化) に実装することを意味します。簡単に言えば、デザインは常に思考からものへの移行が関わっており、そこではデザインされたものデザインする思考を表現あるいは近似しているのです。

 

二重デザインとしてのデザインという考え方は、古代にまで遡ります。出エジプト記25章で、神がシナイ山でモーセに幕屋を作るためのひな型 (パターン) を啓示したように、ヘブライ語のt-b-n-i-t (タヴニート、תבנית、母音記号なし) は、何かを作るためのひな型を表します。この語の語根はb-n-h (バーナー、בנה、母音記号なし) で、建てる行為を表します。同様に、ヘブライ語の語根y-ts-r (イェツェール、יצר) は、想像と実現された形態の両方を表し、デザインのこの二重性を捉えています。したがって、ヘブライ語のデザイン理解には二重デザインが内在しています。すなわち、パターンがあれば、そのパターンに従って構築されるものがあるのです。

 

プラトンは『ティマイオス』の中で、この二重デザイン観を論じています。その対話の中で彼は、デミウルゴス (プラトンの世界の設計者) が抽象的なイデアの世界に内在するパターンに適合するように、物理世界を組織した、としました。プラトンはこれらのパターンを形相 (ギリシャ語でεἶδος、翻字するとエイドス、英語の「アイディア」に相当) と呼びました。私たちはこれらのパターンをデザインとして等しく考えることができます。

 

アクィナスはこのアイディアを、範型因という概念でさらに発展させました。範型因とは、パターン化された結果を産み出すために知性によって採用されるパターンやモデルのことです (グレゴリー・ドゥーランの『Aquinas on the Divine Ideas as Exemplar Causes』をご覧ください)。キリスト教神学における範型因の傑出した例は、神の計画による世界の創造であり、その計画は神の精神に永遠に存在するイデアから構成されるものです。

 

新約聖書における天と地、さらには霊と肉の区別も同様に、このデザインの二重性を反映しています。主の祈りにある「御意の天のごとく地にも行はれん事を」を考慮してください。神の意志は天においては完璧に行われますが、地上においてはそれほどではありません。天におけるデザインは完璧ですが、地上における実現は完璧ではないのです。興味深いことに、プラトンの形相はしばしば哲学者によって「プラトン的天国」にあると説明されます。

 

この二重デザインの原則の適切な表現が、ビジネスマンでリーダーシップの専門家であるスティーブン・コヴィーの『7つの習慣』にあります。そこで彼は、あらゆる物事は二度デザイン (創造) されると論じています。最初は精神的なデザインとして、そして二度目は物理的なデザインとして、です。デザインはアイディアで始まり、それが第1のデザインです。そして何らかのもので完結し、それが第2のデザインです。達成されるものは何であれ、まず着想される必要があります。したがって、過程としてのデザインは、一方では着想によって、他方では現実化によって束縛されます。コヴィーにとってのビジネスの失敗は、第二のデザインまで明らかにならないことがしばしばあるものの、第一のデザインに誤解があれば、既に不可避になるかもしれないものです。

 

シャノンのコミュニケーション図は、二重デザインとしてのデザインというこの理解を象徴しています。この図は、情報の伝達には根本的な二重性が伴うことを明確に示しています。すなわち、発出され送信される途上にある情報と、次いで受信され実行される情報が存在します。図の左の三要素 (情報源、メッセージ、送信機) において、情報は着想されるものです。図の右の三要素(受信機、メッセージ、宛先)では、情報は現実化されます。図の左側で起こることが第1のデザインで、右側で起こることが第2のデザインです。

直感的なデザイン検出

通常の生活では、デザイン検出は形式的な考察や技術的な計算なしに直感的に起こります。以下は、シャノンのコミュニケーション図の文脈でそれが機能する方法です。デザインは常に二重のデザインであるため、シャノンのコミュニケーション図の情報源にある知性 (私たちが使っている例では、宇宙人の知性) は、自分が学び知っていることに基づいてパターンを着想します。そして、そのパターンをコミュニケーションチャネルを横断して送信される信号に変換し、その信号は受信機に到達します。次に、受信機側の知性がその信号を目撃し、事前の学習と知識を利用して馴染みのあるパターンを見つけます。それによって、そのパターンは認識可能になります。そして、その信号がありそうにないものであれば、その信号はデザインされたと推論されます。このようにして、デザインが検出可能になります。

 

シャノンのコミュニケーション図のどこにいるかに依存して、二重デザインとしてのデザインの論理は逆方向に働きます。発信源では、知性はまずデザインを概念化し、それから具体化します。受信機では、知性はまず具体化されたデザインかもしれないものを受け取ってから、それに合致する概念化されたデザインを見つけようと試みます。このように、発信側では概念化から現実化へという論理で、受信機では現実化から概念化へという論理になります。

 

受信機でこのような概念化されたデザインを識別することが、デザインが検出される際の認識の決定的瞬間となります。発信源では、原因から結果へという論理になることに注意してください。すなわち、発信源はデザインを考え出し、それを具体的な現実に近い程度に (因果的に) 実現します。しかし受信機では、結果から原因へという論理になります。すなわち、受信機側は、実現されたデザインかもしれないし、そうでないかもしれないものを受け取り、次いで、デザインが実際に存在することを明らかにする認識可能なパターンを思いつかなければなりません (あるいは、そのようなパターンがない場合、デザインが実際に存在するかどうかについては不可知論的立場に留まります)。

 

ここで、デザイン検出の論理は、哲学者が最良の説明への推論 (inference to the best explanation、IBE) と呼ぶものに該当します。しかし、デザイン検出の論理には数学的な基礎があり、一般的な最良の説明への推論よりも強い効果を与えます。それは、特定された複雑性によって、推論がどの程度確証されるかを数値で示すことができるからです。そのような数値が得られる場所の1つは、デザインかどうかが問題となっている信号の可能性の低さです。もう1つは、信号が認識可能なパターンを呈する度合いを測定することです。

 

可能性が低いものが存在する際に、デザインの検出につながるパターンの認識可能性の程度をどのように数値化するのでしょうか?これについては後ほど議論しましょう。しかし実務上は、私たちはデザイン検出につながるパターンの認識可能性を測定しようとはせずに、デザインを検出していることを明確にしておきましょう。通常、私たちはハッとするような認知の瞬間を経験するだけです。それは、シャーロック・ホームズが、孤立した証拠の断片のすべてが突然謎を解くために収束するのを見たときのようなものです。それは、最初は無作為のインクのしみのように見えたものが、突然見覚えのあるものだと気づき、そのデザインが紛れもないものとなり、ゆえにこれが単なる無作為のインクの汚れである可能性が取り除かれるときのようなものです。

 

この最後の点について、下記の画像を考慮してください。もしあなたがすでにこの画像を見たことがあり、何を見るべきかを知っているなら、あるいはそのパターンに馴染みがあって即座に見られるなら、その洞察がない場合に、少なくとも最初は無作為のインクのしみとしてこれを見たらどうなるかを想像してください。これがその画像です。

ハロルド・R・ブーハー、『Origins, Icons, and Illusions』より。

紙にインクを塗る方法は膨大な数にのぼるので、この画像は非常にありそうにないものです。そこにあるもの (woc a fo deah eht s'ti) が見えれば、それが認識可能なパターンであることが理解できるでしょう (それでも見えない場合は、前の括弧内のナンセンスに見える言葉を逆に読んでみてください)。この画像は、私たちが直感に任せてデザインを検出する方法を例証しています。とはいえ、もしデザイン検出が科学的に厳密なものになりつつあるのなら、確率の小さい事象が認識可能なパターンに合致するとは何を意味するのか、もっと正確にする必要があるでしょう。

短い記述長としての認識可能性

デザイン検出の厳密な理論には、パターンが認識可能であるとはどういうことなのかを、正確な数学的用語で定義することが要求されます。その目的のために、先ほどのSETIの例に戻りましょう。私たちは、外宇宙から受信したビット列に関連する可能性の低さが、それらが知性の産物であるかどうかを判断する上で重要であると論じてきました。ただし、計算される実際の確率をここで明確にする必要があります。

 

宇宙人の知性がASCII符号化方式で英語の長文を送信しており、ノイズは影響しないと仮定しましょう。したがって、送信者が送信するものと受信者が受信するものは同一です。そして私たちの側で、ASCIIでは首尾一貫した英文の集合として読める長いビット列を受信したと想像してください。それで、私たちが受け取るのは言葉のサラダではなく、互いに意味のあるつながりを持ち、一緒になって意味のあるストーリーを語る文章となります。

 

私たちが受信するビット列が100単語からなる典型的な段落で、各単語には平均5文字とスペースが必要で、それぞれASCIIで8ビット (通常の7ビットとエラー訂正用の8番目のビット) が必要だとしましょう。つまり、100×6×8=4,800ビットの情報になります。これらのビットを生成する確率分布が一様であると仮定すると (これを第一近似としましょう ― より一般的な技術的議論ではこの仮定を省くことができます)、2の4,800乗分の1、あるいは10の1,445乗分の1の確率に相当します。つまり、分母は1の後に1,445個のゼロが続きます。1兆の1兆倍の1兆倍の・・・。この3点リーダーは1兆倍という言葉をさらに117回繰り返すことを要求しています。

 

これらの計算を踏まえて、私たちは今、「複雑性」という言葉が「特定された複雑性」という用語において何をしているのか、そしてそれがどのようにありそうにないことを指しているのかを説明することができます。複雑性が高ければ高いほど、さらにありそうにないことになりますし、あるいはそれに対応して確率が小さくなります。この関係は次の例で明確に分かります。一様な確率のもとで4,800ビットを達成することは、コインを4,800回投げて、表を1、裏を0とすることに等しくなります。したがって、4,800回のコイントスの特定の配列を得ることは、2の4,800乗分の1、あるいはおおよそ10の1,445乗分の1の確率に相当します。このように、「特定された複雑性」における「複雑性」とは、確率の尺度です。シャノンは彼の情報理論において、確率に底を2とする対数を適用することで確率をビット長に変換し、この関係を明確に描きました。

 

10の1,445乗分の1の確率は極めて小さいものです。しかも、この小さな確率であなたが目撃したビット列は、よく知られた符号化方式で首尾一貫した英語の段落をコード化しているため、明確に認識可能です。ただし、この確率はデザインを検出するために私たちが必要とする確率ではありません。問題は、あなたが受信した段落は、あなたが受信したかもしれない多数の首尾一貫した英語の段落の一つに過ぎないかもしれず、ましてや他の方法でコード化されたり他の自然言語で書かれたりした段落もあるかもしれないということです。

 

これらの段落をコード化したビット列も同様に、あなたでなくとも他の人間にも認識可能でしょう。このように、あなたがデザインとして検出した可能性のあるこれらの付加的なビット列は全て、認識可能であなたにデザインを検出させるに至ったビット列と競合することになるでしょう。したがって、10の1,445乗分の1の確率では、デザインを検出する権利があるかどうかを測るには小さすぎます。むしろ、デザインを検出するに至ったかもしれない他の全てのビット列も考慮に入れなくてはなりません。これらを考慮に入れると、あなたが目撃したビット列だけでなく、それに匹敵する他のビット列を目撃する確率が、デザインが実際に検出可能かどうかを決定するのに必要な確率を引き上げることになります。

 

では、デザインを検出する際に典型的には何が起こるかというと、こうなります (SETIの例で続けましょう)。シャノンのコミュニケーション図の発信源で活動する宇宙人の知性が所与の、例えば4,800ビットのビット列をチャネルに送信します。宇宙人の立場からすると、その配列の確率は2の4,800乗分の1であり、4,800ビットの複雑性に相当します。しかし、そのビット列が地球上の受信者に到着すると (ここでも簡単のためノイズはないと仮定します)、それは英語のメッセージとして認識されますが、他にもありえる多くの英語のメッセージの中の1つです。宇宙人の視点からは、そのメッセージはまさしく宇宙人がデザインした通りのものであり、その確率は2の4,800乗分の1です。 しかし、地球上の受信者の視点からは、メッセージはより広い範囲のメッセージの1つに分類されます。

 

したがって、受信者はメッセージを、「英語のメッセージ」、「ASCIIの英語のメッセージ」、「自然言語のメッセージ」のように記述することができます。これらの記述はそれぞれ、全範囲が確率を持つある範囲のメッセージに対応します。地球上の受信者の立場からすると、デザインを検出するために重要になるのは、メッセージの範囲を網羅するある記述を持つことであり、それをまとめてもなお確率は小さいことです。

 

これが裏目に出てデザイン検出を否定する方法を見るために、ランダムにビットを生成する全ての方法の半分が、よく知られた符号化方式での首尾一貫した英語のメッセージに対応すると (ありえない仮定ですが) 想像してください。その場合、受信したメッセージが宇宙人の知性からもたらされたものだと結論する方法はないでしょう。なぜなら、偶然も同様に、たとえ受信したメッセージが正確なものでなかったとしても、そのようなメッセージを受け取ったことの良い説明になるからです。

 

もちろん、ランダムなビットの配列が、便利な符号化方式 (ASCII、Unicodeなど) で英語のメッセージを形成するというのは、非常にありそうにないことです。つまり、ある範囲のビット列に対応する「英語のメッセージ」という記述は、まとめてみても、非常にありそうにないということになります。ここでは注意の妨げになるかもしれませんが、これらの確率を極めて小さいと推定することには、経験的にも理論的にも正当な理由が存在することに注意してください。

 

この議論において、記述とは正確な識別を意味するものではないことを理解するのは重要です。「ASCIIの英語のメッセージ」という記述は、私たちが目撃したビット列を網羅していますが、それだけではありません。公平なサイコロで6が出て、その結果を「偶数」と記述するようなものです。この記述は結果を絞り込んでいますが、正確に識別してはいません。そうするには、6が出たという記述が必要です。記述によって正確な識別は可能ですが、それによって設定される境界線にはしばしば、観察結果以上のものが含まれます。

 

では、SETIの例で、私たち受信者がこの4,800ビットのビット列を受信すると何が起こるのでしょうか?このビット列がASCIIの首尾一貫した英語のメッセージであることを認識すると直ちに、私たちはデザインされたビット列を扱っていることを知り、デザインの検出に成功したと考えます。さらに、その鍵となる認識の瞬間に私たちは、「わあ、これはASCIIの英語のメッセージだ」と言うでしょう。言い換えると、私たちは「ASCIIの英語のメッセージ」とか「コード化された意味のある英語のテキスト」というような記述を明確にすることになります。

 

しかし次のことに注意してください。これらの記述は全て短く、かつあるビット列がこれらの記述への答えとなる確率は非常に低くなります。では、より長い記述を許容してもいいでしょう。受信したテキストがASCIIでコード化され、ハムレットの独白を構成する262語のうち、最初の100語を含んでいたと想像してください。そして、このビット列についての記述が以下のようなもので、ハムレットの独白の最初の100語が明示的に与えられていると想像してください。

 

ASCIIで次のように読めるテキスト:

To be, or not to be, that is the question:
Whether 'tis nobler in the mind to suffer
The slings and arrows of outrageous fortune,
Or to take arms against a sea of troubles
And by opposing end them. To die ? to sleep,
No more; and by a sleep to say we end
The heart-ache and the thousand natural shocks
That flesh is heir to: 'tis a consummation
Devoutly to be wish'd. To die, to sleep;
To sleep, perchance to dream ? ay, there's the rub:
For in that sleep of death what dreams may come,
When we have shuffled off

 

このような冗長な記述は、単に受信したビット列を読み取っただけであり、ランダムに生成されたビット列を含め、いかなるビット列に対してもそのような記述を形成することができるため、デザイン検出は許容されないでしょう。確かにこの冗長な記述は、問題のビット列を正確に識別し、その結果、非常にありそうにないビット列の範囲 (ここでの範囲は、その1つのビット列だけで構成されている) を表しています。問題は記述が長すぎることです。もし長い記述を許容するならば、私たちは何でも記述することができ、私たちが記述している可能性の低さは、もはやそのデザインに有利にも不利にもなりません。

 

明らかに、ハムレットの独白をコード化したビット列に直面したとき、そのデザインを検出するためにすることは、ビット列全体を繰り返して記述とすることではありません。むしろ、そのデザインを検出するために行うことは、「首尾一貫した英語のメッセージ」や、シェイクスピアに精通していれば、「ハムレットの独白」のような短い記述を考え出すことです。

 

それで、一般的にデザインを成功裏に検出するために許容されないことは、デザインが問題になっている物品を吟味してから、その物品の記述を読み取ることです。それは不正行為です。物品から記述を読み取るのではなく、独自にそれを考え出せるようにしたいのです。デザイン検出に必要な記述が、独立に与えられたパターンとも呼ばれる理由の1つはそれです。パターンが独立しているというのは、デザインが問題になっている物品に触れることなく、私たち自身でそれについて思いつくことができるからです。

 

デザインの二重性に照らせば、この全ては完璧に理にかなっています。送り手がデザインを着想します。その概念化には多くの複雑な詳細が関係するかもしれませんが、典型的には、ある確立された手法や慣例を用いて、簡単に述べられている目的の達成を試みます。したがって、送信されたビット列は、受け取り手によって簡潔に記述することができ、そのような記述がビット列の正確な識別に失敗しても、典型的には、その記述への答えとなるすべてのビット列の集合が共同しても可能性が非常に低くなるような、十分な特定性をもって記述されます。

 

記述長が短いパターンと確率が小さい事象は、特定された複雑性が依拠する2本の柱です。それらが組み合わさることで、デザインの検出が可能になります。デザイン検出における短い記述長の重要性は、いくら強調してもしすぎることはありません。長い記述が許容されると直ちに、それらはあらゆるレベルの特定性を何でも記述できてしまいます。記述長に制約がなければ、小さな確率がデザインの検出で何らかの牽引力となることはあり得ません。そして明らかに、短い記述と認識可能性の間には自然なつながりがあります。つまり、私たちが最も認識しやすいものは、簡潔に記述できるものなのです。過度に長い記述は、認識可能性とは相反する作為性や人工性を示唆します。

 

短い記述長を持つパターンを特定性と呼びます。したがって、あるものが特定された複雑性を呈するとは、下記のようになります。

  1. 特定性に合致すること、つまり記述長の短いパターンに合致すること。かつ、
  2. そのパターンの答えとなる事象の確率が小さいこと。

これは単に観測された結果の確率が小さいという意味ではないことに注意してください。そうではなく、記述長の短いパターンの答えとなるような全ての結果の複合事象が小さな確率を持つことを意味します。このように、短い記述長、あるいは特定性と、小さな確率、あるいは高度な複雑性は、デザイン検出において協働し、相互に補強し合うのです。

結論

特定された複雑性を動機付け、それがなぜデザインの検出で機能するのかを示すにあたり、私は多くの詳細を省略してきました。このエッセイでは、シャノン情報が確率と複雑性をどのように結びつけるかの概要を述べました。しかし、記述長とコルモゴロフ情報との結びつきについては省略しました。これは、特定された複雑性の形式理論が依拠するもう一つの柱です。また、シャノン情報とコルモゴロフ情報がどのように組み合わさって統一された特定された複雑性の測度を形成しているのか、また、この測度がクラフトの不等式として知られる情報理論の深遠な結果をどのように活用しているのかについても説明してきませんでした。これらの詳細の初歩については、私の記事「特定された複雑性を簡潔に」をご覧ください。完全な詳細については、『The Design Inference』の第2版、特に6章をご覧ください。

 

『Substack』の Bill Dembski にクロスポストされました。