Japanese Translation of EVOLUTION NEWS & SCIENCE TODAY

https://evolutionnews.org/ の記事を日本語に翻訳します。

唯物論の限界を感じ始めた生化学者

This is the Japanese translation of this site.

 

デニーズ・オレアリー
2024/1/10 15:49

 

アイルランドの生化学者ウィリアム・レヴィルは、ユニバーシティ・カレッジ・コークの最初の科学公衆認識・理解担当役員です。これはリチャード・ドーキンスがオックスフォードで就いていた類の役職です。『Understanding the Natural World: Science Today』(Irish Times Books、1999年) の著者であるレヴィルは先週、「意識がいずれ科学的分析に対し、ちょうど生命の一般的性質が屈服したように屈服することになると信じるあらゆる理由がある」と語りました。

 

私は少々驚かされました。彼の言う「生命の一般的性質」が科学的分析に屈服したとはどういう意味でしょうか?確かに、私たちは今やあらゆる形態の生命について、以前よりもはるかに多くのことを知っています。しかし、ジェームズ・ツアー同僚の科学者たちとの進行中の討論が証明しているように、生命がどのようにして始まったのかについては、誰も見当がついていないのです。

「深刻な継続中の謎」

それは物理学でも同じです。ちょうど昨日、『IAI.TV』でオックスフォード大学の理論物理学者ティム・パーマーはこのことを認めました。「我々は物理学における何らかの新しいパラダイムを切実に必要としており、見たところそれに到達することはできそうにない。我々はダークユニバースという深刻な継続中の謎をまだ解明しておらず、納得のいく形で統合された量子物理学と重力物理学を未だに手にしていない」。

 

物理学においても生命科学においても、「一般的な性質」がまさしく屈服していません。現在の科学の事情は、意識のようなエーテル的なものが物理主義や他の自然主義的な説明に「屈服」しようとしているという楽観論にとってあまり強力な基礎にはなりません。

 

レヴィルは創発理論に期待して持ち上げています。

 

ほとんどの科学者や哲学者は、意識は創発現象だと考えている。水の「湿り気」は、創発的特性の単純な例である。水は水分子 (H2O) から構成されている。水素や酸素の根本的な特性には、湿り気を予測するものは何もないが、無数のH2O分子が一緒に集まると、湿り気が創発される。

 

同様に、人間の脳には860億個のニューロンが含まれている。個々のニューロンは意識を持つものではないが、創発現象仮説によれば、これら860億個のニューロンとその相互作用の集合的特性が意識を産み出すと予測される。
― ウィリアム・レヴィル、「WILL SCIENCE BE ABLE TO EXPLAIN CONSCIOUSNESS?」、『IRISH TIMES』、2024年1月4日

 

しかし、なぜ860億個の意識のない物質的なニューロンが一緒に働くことで意識が産み出されるのでしょうか?レヴィル博士は、望むならそのような意識の起源を信じることができますが、メカニズムが提唱されていない時点でそれを科学と呼ぶのは恣意的です。

汎心論を考慮する

彼は次に汎心論を考慮します。汎心論は、消去的唯物論とは異なり、非物質的な意識の存在を認め、それがすべての生命や宇宙一般に共有されているとします。

 

汎心論を支持する哲学者は、物理的なものと精神的なものの間には未解明の説明のギャップがあると信じている。ノルウェーの哲学者ヘッダ・ハッセル・モルクは次のように述べている。「私の脳での過程について、物理的な細部まで余すところなく知ったとしても、私であることが何であるかはわからないままでしょう」。また、ネブラスカ大学オマハ校の哲学者ヤンセル・ガルシアは、「物理科学は原理的に、物事の全容を語ることはできない」と断言している。
― レヴィル、「EXPLAIN CONSCIOUSNESS?

 

すべて真実です。しかし、現実の世界では「意識のハードプロブレム」は人間に特有のものです。電子やナマコがある意味で意識を持つとしても、それは同じ種類のものではなく、似たような問題は生じません。

 

レヴィルは、何かが進行中かもしれないと感じています。

 

しかし、非生命の物体がどのようにして意識を持つ精神を形成するのかを明瞭にするという、科学が直面している課題が一見して困難であるからといって、科学者が伝統的な方法で忍耐強く体系的にこの問題を追究することが妨げられてはならない。もちろん、やがて意識が科学による説明に完全に対抗するものであることが判明すれば、よく言われるように、我々は「全く新たな事態」に踏み込むことになる。いずれにせよ、興奮を誘う時代が待ち受けている。
― レヴィル、「EXPLAIN CONSCIOUSNESS?

「伝統的な手法」を追求して

彼はどういうわけか、「伝統的な手法」(唯物論的研究) を限りなく追求し続ける義務を感じています。しかし、彼は少なくとも、それらが失敗し続ける可能性を考慮することは厭いません。そして、彼が言うように、興奮を誘う時代が待ち受けていることは真実です。

 

唯物論的科学は行き着くところまで行き着いたので、私たちが進んで非唯物論的なアプローチを視野に入れなければ進歩することはないでしょう。そうするのは気楽なことではないかもしれません。1つには、進歩が必ずしも同じことのように見えるとは限らなくなります。例えば、意識の理解が深まるということは、意識が環境とどのように関係しているのかについてのより明確な描像を意味するかもしれませんが、意識が現実には存在しないとか、何らかの物理的なものであることを示しているという意味にはならないということです。

 

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