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デニーズ・オレアリー
2024/9/18 6:24
昨年、環境ライターのベンジー・ジョーンズは、なぜ植物に意識があると考える科学者がいるのかについての洞察を与えてくれる、ある驚くべき植物に注意を促しました。
植物生態学者のエルネスト・ジアノリは、チリ南部の熱帯雨林を散策中にある珍しいものに出くわしました。見慣れたチリギンバイカの低木の葉が、明らかに無関係な植物、ボキラ・トリフォリオラタの葉に擬態されていたのです。
普通、ボキラ・トリフォリオラタの葉は3つの鈍系の裂片を持つずんぐりしたものだが、この場所ではチリギンバイカという植物の葉にそっくりだった。まるでB. トリフォリオラタがその葉にカモフラージュしようとしているかのようだった。
彼は、これはまぐれかもしれないと思いつつ、森を歩き回って他のB. トリフォリオラタを探した。注目すべきことに、その日の午後、彼が遭遇したその他のツルの約半数は、他の植物に似た葉を持っていた。単に他の植物というだけでなく、まさに隣に生えている植物に、である。
後にジアノリは、1本のボキラの別々の枝が、近くにある異なる植物に擬態できることを突き止めました。植物学者たちは、この能力はボキラ・トリフォリオラタに特有のものだと考えています。しかし、なぜそう言い切れるのでしょうか?ある植物が十数種類もの他の植物に触れることすらせずに擬態できるなどということを想像した植物学者がいたでしょうか?
なぜボキラはそうするのでしょうか?多分、あまり美味しくない植物に擬態して捕食者を避けるためでしょう。ただし、主な疑問は、擬態しようとして素早く調整する対象が彼らには見えないのに、どのようにしてそうするのか、ということです。
『Wikipedia』は親切にも、次のようにその答えを絞り込んでいます。「擬態が起こる正確なメカニズムはよく分かっていないが、接触した種の識別・擬態には、化学的、匂い、遺伝的、メタゲノム的、トランスクリプトミクス的、プロテオミクス的、メタボロミクス的、エピジェネティクス的、あるいは微生物的なきっかけが関与しているのかもしれない」。
このリストでは、「植物は実際に見ることができる」という物議を醸している仮説については言及されていないようです。
植物はどのようにして見ることができるのか?
その答えを求めて、植物の世界では熾烈な議論が激化している。一方は、厳密で再現可能な研究に根ざした主流の植物学者たちであり、もう一方は、植物は人間を含む動物と多くの属性を共有していると信じる研究者の小さなグループである。後者のグループにとってB. トリフォリオラタは、植物がある形態の視覚と、恐らくそれを処理する脳のような構造さえ持っているというアイディアを支持するものなのだ。
ジョーンズは、植物の視覚が妥当な仮説だと考える植物学者には明らかに冷淡ですが、ボキラのつるが「植物について我々が知っていることの境界を押し広げている」ことは認めています。植物の細胞の一部が単純な目 (単眼) として機能し、それゆえ食物を処理するためだけでなく、環境を解釈するために光を用いているという前提に基づいて、視覚仮説の検証を試みた者もいました。
ヤマシタと共著者のジェイコブ・ホワイト (彼は科学者ではないが、自宅で植物を育てている) は、プラスチックの植物の隣で擬態する蔓を育てて、この仮説を検証しようとした。彼らが考えたのは、もしB. トリフォリオラタがある形態の視覚を使って擬態するのであれば、どんな古いプラスチック植物でもコピーできるはずだということだった。そして案の定、その研究によれば、それは可能であった。「B. トリフォリオラタの葉は人工植物の葉に擬態した」と、率直に記されている。
ジョーンズは、その方法論とアイディア全般をあまりに突飛なものとして信用しない他の植物生物学者を引き合いに出しています。この論文はオープンアクセスです。
問題の深刻な気まずさ
精巧な植物の擬態には、動物を捕獲して食べたり、巧妙な昆虫回避戦略を示したりする植物同様、多くの複雑な行動が関与します。植物がこれらの行動を発達させる過程で、何かが知性を示しているようにも見えます。そのため、植物には知性に関連する性質があるとまで論じる科学者もいます。
それは驚くべきことではありません。今では、細菌にも認知能力があると考える科学者もいます。先に述べたように、知性や意識などの起源をめぐる将来の論争で主に目立つのは、唯物論者対有神論者というよりも、汎心論者対有神論者かもしれません。
そのような知性が自然の内に ― 植物にさえ ― 存在するというアイディアに代わる1つの選択肢は、スティーブン・メイヤーが『Darwin's Doubt』(HarperOne、2013年) や『Return of the God Hypothesis』(Harper、2021年) で論じている、自然の背後に知性が存在するというものです。もちろん、これはさらに物議を醸しています。
いずれにせよ、知性を何ら必要とせず、ランダムな突然変異に作用する自然選択 (ダーウィン的進化) が全てを説明するという従来の説明は、ますます堅持しがたいものになっています。