Japanese Translation of EVOLUTION NEWS & SCIENCE TODAY

https://evolutionnews.org/ の記事を日本語に翻訳します。

大きな神話: 大きな宇宙は宗教にとって問題である

This is the Japanese translation of this site.


マイク・キース
2021/10/12 8:54

 

編集部注: この文章は、新しく発売された書籍『The Comprehensive Guide to Science and Faith: Exploring the Ultimate Questions About Life and the Cosmos (English Edition)』のマイク・キースによる章からの抜粋です。

 

科学の自称スポークスマンは、何十億もの銀河が存在する宇宙が非常に大きいことを、キリスト教を叩く棍棒のように使うことがある。西洋の伝統的な人々は、宇宙が巨大であることを把握するには近代科学が登場するまで待たなければならず、その際には歴史的なユダヤキリスト教的見解を捨てなければならなかったと言うのだ。これは真実ではない。

ビル・ナイ、サイエンティズム・ガイ

ニコラウス・コペルニクス (1473-1543) やブレーズ・パスカル (1623-1662) など、何世紀も前の著名な科学者たちは、宇宙が広大であることを認識していた。彼らは、このことが自らのキリスト教の信仰と矛盾しないと考えていた。しかし、テレビで高名な科学教育者のビル・ナイ (「サイエンス・ガイ」) は、宇宙のスケールの大きさは、人間が取るに足らない存在であることを意味すると提唱する人々の一人である。2010年のヒューマニスト・オブ・ザ・イヤー受賞スピーチの最後の数分で、ナイは科学と全人類を代表してこのように述べ、アメリカ・ヒューマニスト協会を喜ばせた。

 

私は取るに足らない存在です・・・私はもう一つの砂粒に過ぎません。そして実のところ、地球も宇宙的スキームにおいてはもう一つの粒です。そして太陽は目立たない星です・・・そして銀河系は一つの粒です。粒が全くない空間のただ中で、私という粒はある粒の上にあり、その粒はある粒を周回し、その粒は他の粒々の中にあり、その粒々もまた他の粒々の中にあるのです。惨めです。

 

ナイの聴衆は賛同して笑っていたが、それは間違いなく、「惨めです」という言葉が本当に意味するのは、(私たちは惨めではないと教える) 宗教が惨めだということだと信じていたからだ。

 

しかし、ビル・ナイはサイエンス・ガイというよりも、サイエンティズム・ガイである。サイエンティズムとは、客観的な科学を装った無神論的教義のことだ。

C. S. ルイス、「教義と宇宙」について

C. S. ルイスは、1943年に発表したエッセイ「教義と宇宙」で、ナイの考え方を否定した。ルイスは例え話から始めている。医者はある人が毒殺されたことをとどのように決定するかを考えてみよう。「逆にもしも毒がなかったならば内臓がどういう状態だったか、明確な知識がある」ならば、医師は合理的な結論を下すことができる。同様に、巨大な宇宙の中で我々がいかに小さい存在であるかを指摘して神を反証しようとするならば、神が存在するならばどのような宇宙が期待されるかを明確に識別する必要がある。

 

しかし、ルイスはそのようなプロジェクトは失敗すると論じる。「われわれは、どのような宇宙も・・・本質的に三次元として知覚します。そして、三次元の宇宙には、われわれは、限界を思い浮べることができません」と彼は書いている。だから、私たちは自然と宇宙が大きいと感じるのだ。そんな無限にも思える空間に、私たちの太陽と月以外に何も発見しなかったとしたらどうだろうか。ルイスは、「この広大な空虚さは、神の存在に反対する論拠となりましょう」と指摘している。無神論者はその場合、神がそのようなあまりにも広大で無駄な空間を創造するはずがないと論じるだろう。

 

ルイスは別の選択肢も挙げている。「他の天体が発見された場合、その天体は生物が住めるかもしれないし、住めないかもしれませんが、奇妙なことに、どちらの方が正しいと仮定しても、それは、キリスト教を否定する論拠となるのです」。もし居住可能な惑星が何十億個もあるとしたら、それは人間が特別な存在ではないことを意味すると懐疑論者は言うだろう。私たちは宇宙人の群れの中で迷子になってしまう、というわけである。

 

ルイスは続けて言う。「その一方で、地球が実際に唯一独特のものであれば、それは、生命が実際には宇宙に偶然できた副産物に過ぎない証拠であり、やはり、キリスト教が誤っていることを証明するのです」。その場合、無神論者はさらに、神が何兆もの不毛の惑星を創造するはずがない、なんてお粗末なデザインなんだ、と不平を言うだろう。

 

あなたにはこの問題が分かるだろうか?神がどのように宇宙や生命を創造したとしても、懐疑論者はきっと何らかの不信点について不平を言うだろう。ここにあるのは真理の追求というよりゲームの操作である。

宇宙を紡ぐ

無神論者は、宇宙の大きさや容量がどうであれ、神についての信条を嘲笑するような話を紡ぐ方法を見つけるだろう。ビル・ナイの神を叩くような宇宙の物語は、信頼性テストに合格しない。次回、宗教の信者をあざ笑おうとするこの人気のある神話を耳にしたら、このことを心に留めておいてほしい。

 

ユダヤ教徒キリスト教徒の両方にとっては、状況はこうである。私たちは全知全能の無限の神を信じており、現代の天文学的発見は、私たちがそのような創造者にふさわしい壮大な宇宙に住んでいることを確証している。3,000年前、詩篇作者はこのことを正しく理解していた。「もろもろの天は神の栄光をあらわしている」(詩篇19:1)。