Japanese Translation of EVOLUTION NEWS & SCIENCE TODAY

https://evolutionnews.org/ の記事を日本語に翻訳します。

魚の鰭の肢骨についてのダレル・フォークの誇張を明らかにする

This is the Japanese translation of this site.

 

ケイシー・ラスキン
2021/6/3 6:34

 

生物学者のダレル・フォークは、ブライアン・ミラーと私が回答してきた (こちらこちらこちら)、BioLogosでの『Return of the God Hypothesis』についての批判的な書評の中で、スティーブン・メイヤーが「遺伝子の複製と突然変異が新しいタンパク質を生み出す力と、遺伝子制御ネットワークの機能を変化させる方法を十分に理解していない」と論じています。前回の投稿で、メイヤーがこれらの論題を最新の著書と前作『Darwin's Doubt』の両方で広範囲に議論していることを見ました。彼はこれらが動物のボディプランの起源を説明していないことを示しました。フォークは、進化的革新のメカニズムとしての双方の過程に対するメイヤーの具体的な批判には一切触れていません。しかし、彼は解決できそうな一つの「謎」として、鰭がどのように四肢に進化したのかは論じています。フォークはこのように書いています。

 

メイヤーによれば、「ネオダーウィニズムが説明に失敗している」謎の一つは、魚の鰭から陸生動物の四肢への進化的移行である (303ページ)。これや他の似たような課題は、単に彼が考えているような謎ではもはやなくなっている。実際、2016年の [王立学会の] 会議で、最初の話し手だったゲルト・ミュラーはこう書いている。

 

「自然選択がそのような種類のシステムに影響を与えるとき、結果として生じる表現型の変化は、漸進的で連続的なものである必要はない。実際、進化における遺伝子制御ネットワークの動的挙動のシミュレーションは、漸進的な移行よりも双安定的な変化の方が起こりやすいことを実証している。」

扱いやすい問題?

フォークは続けて、鰭から四肢への進化が扱いやすい問題であると期待していると言っています。なぜなら「活発な研究プログラム」があり、「実験が今も本格的に行われている」からです。それについてはすぐに触れますが、まずは『Return of the God Hypothesis』から、ゲルト・ミュラーについて、および鰭や四肢の起源についてのメイヤーの元のコメントの全容を見てみましょう。

 

ネオダーウィニズムが説明に失敗しているのは正確には何だろうか?表現型とは、動物や植物の解剖学的な目に見える形のことである。つまりミュラーは、生命の歴史の中で生じた新しく複雑な解剖学的特徴や構造の起源の説明に、標準的なネオダーウィニズム理論は失敗していると言っているのだ。それは、節足動物、脊索動物、軟体動物のボディプランや、翼、四肢、目、神経系、脳などの新しい解剖学的構造、および脊椎動物の肝臓、消化器系、腎臓などの新しい特殊な器官といった、動物の新規アーキテクチャである。要するにネオダーウィニズムは、生物を定義する最も重要な特徴、実にダーウィン以来進化論が説明すると主張してきたその特徴の起源の説明に失敗しているのだ。

-(『RETURN OF THE GOD HYPOTHESIS』、195-196ページ)

誤った表現ではない

これはミュラーの立場の誤った表現でしょうか?全くそうではありません。ミュラーはスチュアート・ニューマンとの共著で、現代のネオダーウィニズム進化生物学が新規性の起源を扱うことに失敗していることをかなり明確にしています。

 

遺伝子への関心は他のすべての側面を圧倒しており、今日の進化生物学は進化遺伝学とほぼ同義になっている。

 

このような発展により、進化生物学は2番目のテーマであった「生命体の形態と構造の起源」からどんどん遠ざかっていった。生命体の進化において、特定の形態がなぜ、どのようにして現れるのかという疑問は、何が維持されているのか (そして定量的に変化しているのか) ではなく、定性的な意味で何が生成されているのかを問うものである。表現型の性格の起源と革新の根底にある具体的な生成メカニズムに関するこの因果関係の疑問は、おそらく「発祥 (origination)」という言葉に最もよく具現化されており、本巻ではこの意味で使用する。この因果関係の問題の大部分が進化生物学から消えてしまったことは、因果関係の問題に答えを提供すると称する現代遺伝学の意味論により部分的に隠されているが、その答えは主に個体発生における局所的な形態の生成の近因に限られていることがわかる。しかし、現代の胚に生物学的形態をもたらす分子メカニズムは、そもそもこれらの形態が出現するに至った原因と混同してはならない。

- (ゲルド・B・ミュラーとスチュアート・A・ニューマン、「ORIGINATION OF ORGANISMAL FORM: THE FORGOTTEN CAUSE IN EVOLUTIONARY THEORY」、『ORIGINATION OF ORGANISMAL FORM』(マサチューセッツ工科大学出版局、2003年)、3ページ)

 

さらに彼らは様々な「形態学的進化に関する未解決の疑問」のリストを挙げており、その中には彼が「新規性」の疑問と呼ぶものも含まれています。つまり、「新しい要素はどのようにして既存のボディプランに導入されるのだろうか?」 彼らは、「未解決の疑問」には「新しい構造要素は突然変異から生まれるのか?」という疑問が含まれているとさえ言っています。さらに彼は、ネオダーウィニズムには「生殖の理論がない」と述べています。

 

この理論は、それが注力している現象、すなわち集団における形質の変動を説明することはできるが、進化の他の多くの側面、例えば発生の可塑性やエピジェネシス、あるいは同化のような非標準的メカニズムの役割などを置き去りにしている。最も重要なことは、表現型形質や生物の形態の発祥を完全に避けていることである。言い換えると、ネオダーウィニズムには生殖の理論がない。その結果、現在の進化論は、何が維持されるかを予測することはできても、何が現れるかを予測することはできない。[強調追加]

- (ミュラーとニューマン、2003年、7ページ)

 

したがって、メイヤーがミュラーを引用して、「生命の歴史の中で生じた新しく複雑な解剖学的特徴や構造の起源の説明に、標準的なネオダーウィニズム理論は失敗している」と論じたのは、まったく適切なことだと思われます。

『Return of the God Hypothesis』後の論文の引用

前述のようにフォークは、鰭から四肢への進化と称されるものに焦点を当て、進化生物学が生命の歴史における新規の特徴の起源を説明することができるだろうということを希望的な調子で述べています。「表現型の変化は、漸進的で連続的なものである必要はない」、「進化における遺伝子制御ネットワークの動的挙動のシミュレーションは、漸進的な移行よりも双安定的な変化の方が起こりやすいことを実証している」という上記のミュラーからの引用を提示した後、フォークはこう書いています。

 

このことは、2ヶ月前に『Cell』誌に掲載されたある論文に見事に例示されている。その著者らは、2つの突然変異によって、ゼブラフィッシュの鰭の骨が、陸上動物の四肢の主要な2つの骨である橈骨と尺骨に相当すると思われる小さな骨に変わったことを示した。たった2つの突然変異で、その骨が作られただけでなく、筋肉に付着して機能し始めたのだ。さらに、この骨の形成には、魚における既存の潜在的遺伝子発現パターンが影響していた。このパターンは、マウスの四肢の形成に使われているものと同じである可能性が高いことがわかっている。

 

フォークが言及している論文のタイトルは「Latent developmental potential to form limb-like skeletal structures in zebrafish」で、今年の2月に『Cell』誌に掲載されたものですが、これは『Return of the God Hypothesis』が書き終えられて出版社に送られたずっと後のことです。著書が書かれた後に発表された論文を取り上げなかったとしてフォークがメイヤーを非難するのは、あまり公平ではないように思えます。それでも、よく見てみるとこの論文は、示しているとフォークが主張しているようなことは示していません。

鰭と四肢で相同な骨は欠如している

この研究の研究者たちは、脊椎動物の付属肢 (魚類の鰭や四肢動物の四肢) の制御に関与する発生遺伝子vav2とwaslbに突然変異を誘発しました。研究者たちは、これらの変異によって鰭の中に「新しい骨」が生成され、それが「筋系に統合され、関節を形成し、隣接する要素と結合する」と主張しました。たしかに、ゼブラフィッシュの鰭にはいくつかの新しい骨が生み出されましたが、著者らはそれが四足動物の四肢の骨と相同であるとは言っていなかったのです。

 

この研究のささやかな成果を評価する前に、魚の鰭と四足動物の四肢の骨の構造を理解しておきましょう。下の図 (左) は、生きている硬骨魚 (条鰭類) の鰭と四足動物の四肢 (右) を比較したもので、論文の図1を改変して骨を表示しています。

M・ブレント・ホーキンス、カトリン・ヘンケ、マシュー・P・ハリス、「Latent developmental potential to form limb-like skeletal structures in zebrafish」、Cell、184: 1-13 (2021/2/18) の図1をエルゼビア社の許諾により改変したもの。図は必ずしも縮尺通りではありません。

 

左の硬骨魚 (条鰭類) の鰭には、主に3種類の骨があります。近位橈骨 (緑)、遠位橈骨 (赤)、鰭条 (灰) です。右は、四足動物 (ヒト) の腕です。下から上に向かって、典型的な脊椎動物の肢のパターンを示しています。1本の骨 (上腕骨、オレンジ) に続いて、2本の骨 (橈骨と尺骨、茶)、その次に複数の小さな手首の骨 (手根骨、青)、そして指骨 (紫) と呼ばれる細長い指や足指の骨があります。矢野と田村 (2013) は、現代の魚の鰭と四足動物の四肢の間で、対応する相同性のある骨を識別することがいかに難しいかを説明しています。

 

実際、現存する脊椎動物では、鰭の骨格と四肢の骨格の間に対応する要素を見つけるのは難しいかもしれない。四肢の骨格が軟骨性骨 (内骨格) で構成されているのに対し、鰭の骨格はほとんど鰭条 (外骨格) で構成されており、それを支える内骨格は貧弱である (田村他、2008年)。鰭と四肢は形態学的に大きく異なるため、それらを古典的 (形態学的) な意味での相同器官ではなく、あらかじめ確立された遺伝子制御回路の改変によって生じた「深相同性」を持つ器官と見なす者もいる (シュービン他、2009年)。

 

この「深相同性」の意味と、矢野・田村 (2013年) が引用したシュービン他 (2009年) の意味については、すぐ後で調べます。今のところ、四肢と鰭は一般的に相同な構造と考えられていますが、実際に相同な二つの構造の間で特定の骨を識別することは困難です。

鰭を変異させて・・・何を作る?

Cell誌に掲載された論文では、研究者たちは鰭の成長に関わる発生遺伝子を変異させ、特定のケースでは2つの新しい骨を産み出すことに成功しました。しかし、見た目や機能が脊椎動物の四肢のような、あるいは似ているものができたのでしょうか?全くそうではありません。以下のマッシュアップは、この研究で得られた結果のうち、最善のものを示しています。

M・ブレント・ホーキンス、カトリン・ヘンケ、マシュー・P・ハリス、「Latent developmental potential to form limb-like skeletal structures in zebrafish」、Cell、184: 1-13 (2021/2/18) の図2・6・7の一部をエルゼビア社の許諾により転載。

左端 (Figure 7Aとしています) は、条鰭類の魚の正常な鰭を示しています。Figure 7Bは、彼らの研究で産み出されたと論文が主張している2つの新しい骨 (オレンジ色に着色) を強調した様式図です。右の写真 (Figure 2C、Figure 6B、Figure 6F) は、Figure 7Bの骨の具体例と主張されるさまざまな魚の鰭を示しています。見ての通り、彼らは四足動物の四肢やそれに類するものを産み出していません。彼らがしたことはせいぜい、四足動物の四肢の実際の骨との明確な関係性や機能性があったとしても明確ではない2つの骨の、鰭の肢への追加です。図の縮尺はすべて同じではありません。

論文に書かれていないこと

フォークは、この2つの新しい骨が四足動物の四肢の「橈骨と尺骨に相当すると思われる」と主張しています。しかし、そのようなことは論文に書かれていません。Cellの論文のどこにも、魚の発生遺伝子の変異によって産み出されたこの2つの骨が、四足動物の四肢の橈骨と尺骨に相当するとは書かれていません。むしろ著者たちは、これらの新たに構成された「骨」には、実在する四足動物の四肢との明確な相同体がないことを認めています。

 

四足動物とは対照的に、硬骨魚における付属器官骨格の祖先伝来の構成要素の形態学的不同および差異的な保持により (図1A)、中間的橈骨と四肢の特定の要素との間に相同関係を認めることはできない。むしろ我々は、これらの付属器官の中間要素の間には「深相同性」(シュービン他、2009年) があり、それにより長骨が発達できるような中間的領域をHox11遺伝子が確立していると提唱する。このことは、発生プログラムが形態学的境界を横断する柔軟性を持ち、その間の区別を曖昧にする可能性があることを強調している。[強調追加]

 

フォークはさらに、これらの骨は「筋肉に付着して」、「機能し始めた」ことを表していると主張しています。筋肉は骨を中心に成長する傾向があるので、骨が筋肉に付着している事実はおかしなことではありません。しかし、「機能し始めた」とは?どんな機能について語っているのでしょうか?このような変異で骨が増えた魚が、何か新しい機能を持っているかどうかのテストは行われましたか?いいえ、されていません。これらの変異体は実験室で殺され、研究されました。これらの骨によって何か新しい機能、ましてや四足動物の四肢のような機能が追加されたという証拠はありません。言い換えれば、これらの変異が野生で発生した場合に、生存や繁殖に役立つ何らかの機能的有利性をもたらすという証拠はないのです。

 

これらの骨は、魚の発生遺伝子を変異させる実験の興味深い結果を表していますが、脊椎動物の四肢、つまり現在の生物で実際に観察されている脊椎動物の四肢がどのように進化したかを説明することとの関連性があるのかは明確ではありません。フォークはメイヤーに対して、この分野の進歩を控えめに述べていると非難していますが、実際にはフォークはこれらの実験の重要性を過剰に見積もっています。

深相同性か、ネオダーウィニズムの深い悩みか?

先述したように、Cellの論文の著者 (および矢野と田村、2013年) は、シュービン他 (2009年) を引用して、魚の鰭のこれらの変異骨と、四足動物の四肢にある正常な骨を生み出す共通の発生経路は、「深相同性」を示していると主張しています。しかしシュービンらは、「深相同性」という概念そのものが、ネオダーウィニズム的な進化のパラダイムの下では予想外だったデータから生まれたものであることを明らかにしています。

 

過去15年間で最も重要かつ全く予期していなかった洞察の一つは、多様な生物におけるパターニング機構が古代から類似しているという認識である。1997年、私たちは、ハエの羽と四足動物の四肢のように異なる器官の間で遺伝子制御の類似性が顕著であることに刺激され、形態学的にも系統学的にも異なる動物の特徴を構築するために使用される遺伝子制御装置が共有されていることを表現するために、「深相同性」という言葉を提唱した。

 

言い換えると、鳥の翼とハエの羽、昆虫の脚と脊椎動物の脚、昆虫の目とクラゲの目と脊椎動物の目などの例を挙げ、明らかな相同性はなくても、その構築に類似した遺伝子を使用している構造があるというのです。ネオダーウィニズムはこのデータを予測していなかったため、シュービンたちはこの発見を「全く予期していなかった」と述べています。デザインの観点からは、大いに多様な生物に共通の遺伝子プログラムが再利用されているという共通デザインの考えの下で、このデータを予期していたかもしれません。同じように、これらの構造の間に必ずしも進化的なつながりがなくても、魚や四足動物の鰭や四肢の成長を制御するために、類似した遺伝子プログラムが知的にデザインされていたのでしょうか?

「歴史的連続性」?

シュービン他 (2009) は、深相同性は「歴史的連続性を示唆するが、この場合、その連続性は特定の形態ではあまり明らかではない。それは共通祖先から受け継いだ複雑な制御回路にある」と述べています。言い換えれば、類似した遺伝子が、大きく異なる構造 (他に明らかな進化的関係がない構造) の発生を制御・調節するために使われているということです。彼らはこれを「形態学的データだけでは相同性の証明に不十分な場合の、隠れた古典的相同性」と呼んでいますが、これもまた、類似した遺伝子が形態学的に別個の構造を構築するために使用されていることを意味しています。彼らの言葉によると、「形態学的には異なる器官の形成 (および進化) は、相同な遺伝子制御回路に依存している」ということになります。

 

Cellの論文の著者たちがここで言っているのは、このような「深相同性」のことです。彼らは、脊椎動物の四肢に見られる骨を構築したとは言っていません。彼らは、遺伝子を変異させて、四足動物の四肢の不特定の骨と「深相同性」を共有する何かの創造を誘発したと言っています。しかし、「深相同性」という言葉の生みの親が指摘するように、2つの構造に「深相同性」があると言うことは、ハエの足とクジラの鰭のように異なるにもかかわらず、根底にある類似した遺伝的経路によって制御されていると言うようなものかもしれません。「深相同性」を引用しても、実際に構造の起源を説明したことにはなりません。それが意味するのは、同じ遺伝子が全く異なる構造の起源を制御していることを発見したということです。これは、ネオダーウィニズムの下では「全く予期していなかった」遺伝子要素の再利用ですが、共通デザインのような考えの下では驚くべきことではありません。

 

このようなデータが進化的観点からどれほど予想外であるかを理解するために、シュービン他 (2009年) が、目の発生を制御するために類似した遺伝子プログラムが使用されていることについて述べていることを考えてみましょう。

 

すべての目は、同じ構造の多様な形態であるという古典的な意味で、相同性があるのだろうか?そうでなければ、異なる目は全く独立して進化し、たまたま類似した遺伝的要素を使用したのだろうか?それとも、共通祖先が持っていた構造や遺伝子制御メカニズムを発展させて、異なる目が並行して進化したのだろうか?これらの可能性を比較考量するためには、目の発生をより深く検討し、より広い分類群を調査する必要がある。その結果、多様な分類群の間の発生の類似性は、これまで予想されていたよりもはるかに顕著に存在することがわかった。

 

このデータは、彼らの進化論的見解の下では、「多様な分類群の間には、これまで予想されていたよりもはるかに顕著な発生の類似性が存在する」ことを示しています。繰り返しになりますが、デザインの立場から見ると、「深相同性」とは、広範な形態学的多様性があるにもかかわらず、共通の基本的な発生プログラムが異なる生物で再利用されていることを意味します。

「潜在的な」能力か、前倒しされたインテリジェントデザインか?

フォークはこの論文の発見を誇張していますが、進化に関して示唆することについては興味深いコメントを残しています。この論文のタイトルが「Latent developmental potential to form limb-like skeletal structures in zebrafish」であることを思い出してください。この論文では、これらの遺伝的プログラムに言及する際に「Latent (潜在的な)」という言葉が繰り返し使われています (強調はすべて追加)。

 

  • 「かつては四肢にしかないと思われていた潜在的な発生プログラムの存在を、鰭で明らかにする」
  • 「硬骨魚は潜在的に四肢のようなHoxプログラムを持っており、内骨格を精巧に作ることができる」
  • 「我々の発見は、単純な遺伝的摂動によって活性化される、鰭における潜在的な擬四肢パターン能力を明らかにした。」
  • 「我々の結果は、ゼブラフィッシュが、四肢の軛脚に似た、hox11のパラログによって指定される中間的な局所アドレスを持つ構造を形成する能力を保持していることを示している。この潜在的な能力は、単純な遺伝子の変化によって活性化され、鰭から四肢への移行や骨格の発生全般において認識されていない役割を果たしている可能性のある、新規の付属肢パターン化経路を明らかにしている。」
  • 「魚類における潜在的な内在性擬四肢発生プログラム」
  • 「我々の結果は、脊椎動物の付属肢内にある潜在的あるいは創発的な発生の特性が、精巧で関節のある骨格構造を形成することを明らかにしている。」


ちなみに、「潜在的な」という言葉は次のように定義されています

 

「潜在的な」とは、現在はそうではないが、活動的になったり、手近になったりする可能性があるものを描写するときに使う形容詞である。

 

私は、四足動物の四肢のようなものを産み出す「潜在的な」能力が魚類にあることをこの論文が示しているということには大いに懐疑的です。しかし、仮に彼らが正しいとしたら、そうなるのでしょう。そうすると、「なぜ魚は四肢を作り出す潜在的な能力を持っていたのか」という疑問が生じます。ダーウィニズムの下では、進化には先見性がなく、将来の必要性については盲目です。しかし、このような「事前適応」は、しばしば言われるように、生物の生存や繁殖にまだ必要ではないにもかかわらず、特定の機能を産み出すように生物が事前に適応、あるいは前倒ししているように見える「フロントローデッド」デザインの興味深いモデルに合致しています。確かにこの研究は、魚が四肢を産み出すように事前に適応していることを示すものではありません。しかし、この結果が「潜在的な」遺伝的能力を示しているという解釈には、インテリジェントデザインと矛盾しない目的論的な含蓄が伴います。