Japanese Translation of EVOLUTION NEWS & SCIENCE TODAY

https://evolutionnews.org/ の記事を日本語に翻訳します。

現実世界のデータとクロロキン耐性からの教訓

This is the Japanese translation of this site.

 

エリック・H・アンダーソン
2022/2/28 11:38

 

編集部注: 2020年に、マイケル・ベーエは自身のエッセイと批判への回答をまとめた『A Mousetrap for Darwin』を出版しました。生化学教授のローレンス・モランは、ベーエが証拠の解釈を誤り、クロロキン耐性の意義を誤解していると論じました。これは2部構成の回答の2つ目です。第1部はこちら、「進化は実際にどれほどのことを達成できるのか?」をご覧ください。

 

2020年にマイケル・ベーエの著書『A Mousetrap for Darwin』が出版された後、私はポッドキャストのシリーズで彼にインタビューする機会に恵まれました。私たちの議論の中で明確に伝わってきたのは、ベーエがデータに関心を持っているということです。遺伝子の重複、中立的進化、クロロキン耐性に至る具体的な経路など、どのような話であれ、私たちはデータを真剣に受け止める必要があります。何かしらの突然変異が何かしらの結果をもたらすかもしれないという話を作り上げるのは簡単です。それらしい話はありふれており、長い間、進化論的レトリックの定番でした。キリンの印象的な首についての大げさな話であろうと、Plasmodium falciparumのDNAのひも状の部分を構成する極小のヌクレオチドの突然変異についての微視的な話であろうと、データに制約されない限り、その話に関連性はほとんどありません。

 

要するに、クロロキン耐性に至るいくつかの異なる経路を想像できることに疑問の余地はほとんどありませんが、そのような努力はデータを前提にする必要があります。そこで、少し下がって、データに照らして論理的な可能性を検討してみましょう。

 

1つの論理的な可能性 ― 最も単純なケース ― は、クロロキン耐性は容易に得られ、アトバコンの例に当てはまるような1点変異でうまく行くということでしょう。しかし、このような単純なシナリオは、免疫学的データに合致せず、ロバート・L・サマーズらがPNASに書いた論文によって事実上反駁されているので、2014年以降はリストから削除することができます。

 

もう1つの論理的な可能性は、クロロキン耐性には2つの突然変異が必要だということです。単なる2つの突然変異ではありません。それには免疫学的なデータからの堅実な反証があります。しかし、2つの特定の協調的突然変異があれば、データに比較的良く当てはめることがうまく行くかもしれません。ベーエが推定した原虫の突然変異率10-8の場合にはおそらくPfCRTの第3の突然変異を伴って、あるいはローランス・モランが推定した突然変異率10-10の場合には単独で、データは2つの協調的突然変異と合理的に調和させることができます。いずれにせよ、この2つの協調的突然変異の可能性は、野外におけるクロロキン耐性についてのホワイトの推定と大まかに一致しています。

 

大まかに言って、これは本質的に、かつて2007年にBeheが『The Edge of Evolution』を書いた時に提唱したことであることを読者は覚えておられるでしょう。クロロキン耐性の希少性についての最も単純で最も思考節約的な説明は、少なくとも2つの協調的突然変異を必要とするということでした。それに続くサマーズらの研究に基づき、ベーエの予測は正しかったことが判明し、少なくとも2つの協調的突然変異の必要性は、現在では決着しています。

ローマに続く道?

論理的な可能性の3番目は、さらに多くの突然変異が必要であるということで、3つ、4つ、あるいは5つの突然変異が必要かもしれません。そのようなシナリオは、もしクロロキン耐性に至る潜在的な経路が複数存在するのであれば、データともっともらしく合致するかもしれません。サマーズらは、新たなクロロキン耐性には、少なくとも2つの協調的な突然変異が必要であることを示しました。一旦、これらの協調的な突然変異によって最初の利益がもたらされると、その後、付加的な突然変異が、いくつかの異なる経路を通じて耐性を改善することができました。モランが興味を持ったのはこれらの経路で、彼はここでベーエが道を踏み外したと考えています

 

モランは彼のブログ『Sandwalk』で、サマーズらの論文を読んだことに基づいて、「クロロキン耐性を有効にするには、4つの別々の突然変異が必要で、その突然変異は特定の順序で起こらなければならない」と論じています。それから彼は、「突然変異のその組み合わせが、耐性に至る恐らく唯一の可能な経路である」と述べ、譲れない一線を主張したのです。

 

これはベーエに浴びせる反論としてはかなり奇妙なものです。ベーエは確かに、複数の突然変異が必要になることや、一部の批評家が論じたように、耐性獲得は些細なことではなく、利用できる経路が多数あることに同意しています。

 

読者のためにモランの発言を明確にしておきますが、彼はあらゆる有益な結果を得るためには4つの突然変異がすべて必要になると主張しているのではありません。もしそうであれば、クロロキン耐性のハードルは1040のオーダーに急上昇し、データに真っ向から矛盾することになり、活発で繁殖の早いPlasmodiumでさえ克服できないハードルになってしまうでしょう。

 

一方でモランは、個々の突然変異がそれぞれPlasmodiumに有意義な選択的利益をもたらすとは論じていません。なぜなら、それはサマーズらと矛盾することであり、目下の問題とはほとんど無関係になるからです。私の知る限り、ベーエは、ダーウィン的過程において、その経路の1つ1つの段階が生物にとって有意義な利点をもたらすなら複雑な特徴を築けないと論じたことはありません。問題になっているのはそれではありません。ここで問われているのは、個々の中間段階がそれぞれ有利でない場合にシステムを構築する合理的な能力を進化が持っているかどうかということに尽きます。

 

「有効な」クロロキン耐性のための4つの突然変異にモランが言及しているにもかかわらず、モランは再度、自分はクロロキン耐性の希少性について反対しているのではなく、それがどのようにして生じたかについてのベーエの説明に反対しているのだと、読者に思い出させています。モランがベーエの主旨には賛同しつつも、副次的な問題には屁理屈をこねるのを見ていると、進化論への批判に賛同しない場合の原理にしたがってベーエに反論する人をまたしても目撃しているのかと勘ぐっても許されるでしょう。

 

ケイシー・ラスキンは次のように指摘しています

 

『The Edge of Evolution』におけるベーエのより重要な主張は、CCC [クロロキン複雑性クラスター] が必要とする突然変異が1つか、2つか、あるいは50個の異なる遺伝子における50個の突然変異かということに依存していませんでした。彼は、CCC は「多分」同時に2つの突然変異を必要とすると言いましたが、それは彼の論議における決定的な項目ではありませんでした。

 

ベーエの論議は単純に、ホワイトの公衆衛生データに基づいて、クロロキン耐性が1020個の細胞に1個の割合で生じることを観察したということです。これがデータポイントです。それから彼は仮説的な質問をしました。もし、1つのCCCが1020回の複製を必要とするなら、「二重のCCC」のような複雑な形質があったらどうなるでしょうか?そのような形質が生じるには、1040個の細胞が必要であり、これは地球の歴史の経過で生きてきた細胞よりも多いとベーエは論じました。このことはダーウィニズムにとって問題を提起すると彼は結論しました。

 

モランは、ベーエの「進化の端」についての主要な点を認識しながら、クロロキン耐性を付与するためには複数の突然変異事象が必要であるというベーエの (正しい) 予測を軽視し、代わりに「有効な」耐性には4つの突然変異が必要であると主張しています。モランは、木を見て森を見ずのように見えます。

ネズミは未だ捕らわれている

モランは、ベーエが進化の力を過小評価していると考えているようです。中立進化という考えに熱中しているモランは、「最初の突然変異が事実上中立 (あるいはほぼ中立) であれば、2回の突然変異を必要とする効果はありふれたことになり、それがクロロキン耐性の本当の教訓である」と書いています。

 

残念ながら、モランの熱意とは裏腹に、これがクロロキン耐性の本当の教訓ではないことは確実です。

 

サマーズらは、(ベーエが論じたように) Plasmodiumで有益な効果を達成する前に2つの突然変異が実際に必要であることを示しました。しかし、Plasmodiumの場合、膨大な数の生物と速い生殖サイクルを扱っており、しかも、かなり単純な生物学的変化を扱っていることを忘れてはなりません。進化の問題は、限られた数の生物で限られた時間内に、精巧な生物学的システムを構築しなければならないことです。(進化的物語には他にもさらに問題が、より深いものもあるのですが、ここでは楽観的な進化的物語の中でも進化が達成できるとされていることに焦点を当てています。)

 

本当に持ち帰るべき教訓は、進化はその最良の日においても、当惑するほど貧弱な過程であるということです。現実世界のデータに直面すれば、この物語を助けるためにどのような考えを壁に投げつけようとも、進化的手段でささやかな成果を達成するためには、迅速な繁殖サイクルを持つ膨大な数の生物が必要であることは明らかです。「有効な」クロロキン耐性を、ちょうど4つの突然変異を必要とすると定義すべきかどうかを議論することは可能です。突然変異が有益なものか中立的なものかを議論することもできます。数学について討論して、1桁以上の誤差が生じることもありえます。しかし、これらはどれも、現実世界のデータが進化論に突きつける重大な挑戦を軽減するものではありません。

 

これがクロロキン耐性の本当の教訓です。これがベーエの本当の要点です。そして、この点を認識すると、ベーエと彼の批評家たちとのやりとりはほとんど滑稽なものになり下がります。討論のレトリックや装飾的な数学、威圧的な生物学的用語法をすべて取り除き、このやりとりにおける肝心な点に目を向けると、次のようになります。

 

ベーエ: Plasmodiumがクロロキンに対する耐性を進化させるのは困難でした。もし協調的な突然変異が必要であれば、進化のメカニズムはあまり有効ではありません。それで、生物学で見られることを説明するには、進化はあまりうまく機能しないようです。

 

モランと友人たち: そうですか?では、進化がうまく機能しないことを示す追加の経路を紹介しましょう。これでどうだ!

寄生虫に耳を傾けよう

クロロキンに対する抵抗性のような比較的単純な形質を獲得するのに (どのように獲得したにせよ) 1020個の細胞といったものが必要であるなら、進化的物語は悲惨な窮状にあると論じるベーエは全く正しいのです。モランの名誉のために言うと、彼はクロロキン耐性を発達させることは、「進化の端に近い事象である」ことを正しく認識しています。今や彼は立ち止まって、進化的物語への示唆を評価する必要があります。

 

生物学では、クロロキン耐性と同じほど複雑で達成するのが難しい機能はあるでしょうか?もちろんあります。生物界を少し見渡せば、そうでないと考えるのは非合理的であることを確認できます。ベーエの批評家たちは、Plasmodiumがクロロキンへの耐性を発達させたことを、進化の力を示す輝かしい例として容易に感銘を受けているようです。しかし、私たちは新しい器官やボディプランの形成、新しい分子機械の構築、新しい制御ネットワークの構築、あるいはたった一つの新しい遺伝子についてさえ話していないことを忘れないでください。ベーエが冷ややかに観察しているように、私たちは「既存のタンパク質におけるいくつかの粗末な点突然変異」について話しているに過ぎません。

 

しかし明らかに、進化に期待できるのはこの程度なのです。