Japanese Translation of "Science and Culture Today"

https://scienceandculture.com/ の記事を日本語に翻訳します。

オックスフォード大学の生理学者デニス・ノーブル: ネオダーウィニズムへの異議は「転換点」を越えた

This is the Japanese translation of this site.

 

ダニエル・ウィットデイヴィッド・クリンホファー

2024/7/10 6:40

 

『Forbes』が先日、「Evolution May Be Purposeful, and It’s Freaking Scientists Out」という人目を引く見出しの記事を掲載しました。『Evolution News』の読者たちはそれについて、直ちに私たちにメールを送り始めました。進化とインテリジェントデザインの対決に関連するあらゆることについて、かつて『Forbes』は、恐らくは他の多くの主流の出版物よりも、IDへの軽蔑的な攻撃で頼りになったものでした。時代は変化しているようです。科学ジャーナリストのアンドレア・モリスによるその記事は、大半が引退したオックスフォード大学の生理学者デニス・ノーブルとのビデオインタビューに基づいており、一部の科学者たちが注目させようとしている「テレオノミー」(内的な目的性) の証拠を浮き彫りにしています。

 

そろそろその時期です。私たちは、マサチューセッツ工科大学出版局の2023年の選集『Evolution “On Purpose”』に収録されているエッセイのような、最近の難解な学術書でなされた (しばしば非常に劇的な) 主張が、いつ大衆メディアでより大きな話題になり始めるだろうかと不思議に思っていました。それらのエッセイとノーブル自身の視点は、インテリジェントデザインを支持していません。しかしそれらは、言い過ぎでなければ、「IDに隣接している」と言えるかもしれません。インテリジェントデザインの文献を追っている人々には、多くのテーマが馴染み深いでしょう。

 

しかし、その前向きな進展とは別に、この記事と付随するインタビューには、ここで詳しく取り上げる価値のある別の点があります。それは、ノーブル博士が言うところの「非常に奇妙な心理」で、これがネオダーウィニストたちに、誰であろうとネオダーウィニズムのパラダイムに疑問を呈する者に頑として抵抗し、激しく非難する原因となってきました。

 

ノーブルは、一部の進化生物学者が、形成されたコンセンサスからの逸脱を試みた同僚の科学者たちを活発に迫害してきたと証言しています。(まさか、誰に想像できたでしょうか?) しかしノーブルによると、ダムは決壊し、異議はもはや抑えられないとのことです。

迫害?何の迫害ですか?

ダーウィンの擁護者たちは、IDの推進者たちからの「迫害の主張」をいつも決まって嘲笑し否認してきました。ですからモリスのインタビューで、2004年に遡って状況がどうだったかについてのノーブルの説明に注目してください。

 

モリス: では、それは真実なのですか・・・あなたが簡潔に言及されましたが、学術界ではこれらのアイディア、異端的なアイディアについて語るのは非常に難しいと。そして、2004年に引退されるまでは、この運動の先頭に立って活動し始めることはできないと感じていらっしゃいましたか?

 

ノーブル: 2004年は、私が大きな研究室を運営する教授職を引退した年です。そのため、それ以降はもはや、私のグループの人々の給与を支援するための助成金を研究機関に申請する責任がなくなりました。そのため私はもはや、私自身の異端的な見解が私の研究室で働く人々のキャリアを損なうかもしれない立場ではなくなったのです。それが、私が2004年にようやく執筆を始めた理由です。そして、最初の出版物である『生命の音楽―ゲノムを超えて システムズバイオロジーへの招待』は、標準的なネオダーウィニズム的な総合説に異議を唱えることについて実のところ非常に明確です。ですから、2006年からずっと、私はそのことについて非常に明確だったのです。もしも私が――実のところ、的確な表現であればこの問題について最初に「公表」して最初の10年ほどは、私は中傷されました。かなり強い言葉で、です。もしそれが、チームの給与を支援する助成金を得ることが難しくなるほどに私の評判を損なったなら、私は事実上、進化についての見解を表明するという自身の行動によって、彼らのキャリアを損なったことでしょう。それほど単純なことです。私にはそうすることはできませんでした。

 

それがひどいと思うなら、ノーブルはダーウィン的進化の現実を否定したり、方法論的自然主義という一線を越えたりしたわけでもないという事実を考えてみてください。その見解は、ダーウィンを愛する一人の自然主義者から別の自然主義者への、現在の進化論についての単なる批判でした。しかし、それでもあまりにも大きくて扱いきれなかったのです。

 

次いでモリスは、懐疑主義者であることをノーブルが公表した後、ネオダーウィン主義者から受けた「卑劣な攻撃」について触れています。質問中のビデオの背景には、比類なきジェリー・コインによる、「Famous physiologist embarrasses himself by claiming that the modern theory of evolution is in tatters」というタイトルのブログの投稿が表示されています。ノーブルは、2016年のロンドンの王立協会での、進化論を再評価する会議が、ネオダーウィニズムの原理主義者たちによってほぼ中止されそうになった経緯を共有します。

 

ノーブル: 2016年に、他の2人の科学者と2人の哲学者と共に、私はイギリスの最高学術機関であるロンドンの王立協会での会議を組織しました。この全てにおける社会科学の側面を担うイギリス学士院も加わり、「New Trends in Evolutionary Biology」についての会議を組織したのです。その会議は、ネオダーウィニズムの総合説の指導者たちから大きな抗議を引き起こしました。会議の開催を阻止しようとする抗議が実際にあり、王立協会の会長への署名入りの手紙という形式で、「どうか、協会をこの会議に関わらせないでください」と書かれていました。ただ、その会議は予定通り開催されました。そこには、私たちが立ち入る必要のない歴史がありますが、それはかなり困難な歴史でした・・・私は、例えば2016年の王立協会での会議で私たちが経験したような、緊張や膠着状態を緩和する方法を是非とも見つけたいのです。その会議にいたネオダーウィニストは少数でしたが、剣闘士が対決しているかのようでした。そして、私はそれが不要だと考えています。

迫害にもいろいろあります・・・

繰り返しますが、ノーブルはID推進者でもなければ、そのようにして許容範囲を完全に逸脱するような人物でもなく、ましてや有神論者でもありません。モリスは彼を「宗教的な問題については中立」と呼んでいます。事実、彼は方法論的自然主義者です。そして彼は非常に著名な科学者であり、尊敬に値するとさえ言えるでしょう。彼はオックスフォード大学で実り多いキャリアを楽しみました (1960年代にはリチャード・ドーキンス氏の博士論文審査員でした)。でもでさえ、中傷、激しい非難、そして露骨な抑圧から無事ではありませんでした。

 

ダーウィニズム全般、ましてやその取り組み全体の根底にある唯物論的世界観に異議を唱えることなく、現代の進化論を批判することを望んだだけの、非常に尊敬される自然主義者でさえこのような状況にあったなら、さらに踏み込んだり、キャリアが不安定だたらいする人々にとってはどれほど困難なことか、想像してみてください。

 

分子生物学者でインテリジェントデザイン推進者であるダグラス・アックスも、2016年の会議にいました。彼がその経験について後に書いたことは次のとおりです。

 

子育ては重要であるのと同様に、一時的な取り組みであるべきです。それがついに終わるときには・・・その最終結果は努力に十分見合うものです。私たちは皆、それが終わらない残念な事例を見てきました。大の大人が親からの承認を不健全に必要とし続け、高齢の親がその種の長引く依存を助長しているのです。

 

その不健全な状況のプロフェッショナル版を目撃したという鮮明な印象と共に、私は最近のロンドンでの王立協会の会議「New Trends in Evolutionary Biology」を後にしました。そこにいた旧来のネオダーウィニストたちは、数は少なかったものの、まるで成長した子どもの関心事を取り仕切る横暴な親のように、その存在感を示していました。質疑応答の時間中、これらの親のような人物たちに対して感情的な不満が述べられ、全体的な抗議の雰囲気を自発的な拍手が伝えていました・・・。

 

会議では私は自分が抗議者たちに味方していることに気づきましたが、その後すぐに、もしかしたらその「親たち」には緊張の責任は部分的にしかないのかもしれないと思うようになりました。私はある参加者が、質疑応答の時間に、その抗議の姿勢の特異性を明確に識別したことを思い出しました。彼はその姿勢を体現した講演者の一人について取り上げ、この教授と彼女の同輩たちが、終身在職権、資金提供、出版実績、編集委員会の地位など、学術的な成功にとって鍵となる全ての要素を完備した、良い学術的地位を享受していることを指摘しました。では、なぜ不平を言うのでしょうか?・・・

 

事実、進化論の硬直したバージョンだけでなく、それを誕生させたより大きな自然主義的思想の流れに挑戦する科学者たちは、ロンドンでの会議で表明されたいかなる不満よりも、はるかに正当な不満を抱いています。学術的成功の鍵となるそれらの要素を危うくすることなくして、このより大きな流れに逆らって進むことはできません。最近数十年で独善的な単一文化と化した学術界は、誰であろうとそれに反して行動する者に精力的に反対します。

 

多分この遺憾な状況はいつか変化するでしょう。

転換点を越えて

アックスの「多分」は多分楽観的ではなく、彼の「いつか」は暗黙のうちにはるか遠い将来にあるようでした。しかし、2016年以来、既に大きな転換の兆しが見られます。インテリジェントデザイン仮説は、ほとんどの界隈で未だに忌み嫌われているかもしれませんが、受け入れられている進化的パラダイムへの批判はもはや退けられていません。ノーブルによると、

 

興味深いのはこのことです。すなわち、その会議以来、私はもはや攻撃されていません。相手側からの沈黙は耳をつんざくほどです。数週間前に私が書いた『Nature』のレビュー、非常に挑発的なタイトルの「Genes Are Not the Blueprint for Life」に対して、何か反応はあるでしょうか?誰も返答していません。私は返答を期待しています。しかし、2016年の王立協会での会議の後、2017年に発表された記事に対しても、何の返答もありません。そこに転換点があったのだと思います。

 

2000年代初頭にデニス・ノーブルのような人がタブーを破った結果、2024年の今日では、厳格なネオダーウィニズム的パラダイムに教育されず、そこから自由に逸脱できる若い科学者たちがいます。そのような科学者の一人が、生命の起源研究の新星、ジョアナ・ザビエルで、モリスは『Forbes』の記事でノーブルに加えて彼女にもインタビューしました。ジョアナ・ザビエルはネオダーウィニズムのパラダイムに我慢ならないことを表明しており、ましてや新しいアイディアを提示しようとする者を侮辱し、キャリアを傷つける門番たちに対してはさらに我慢なりません。彼女は攻勢に出ることを主張してします。「彼らに恥をかかせる必要があります」と彼女は言います。「申し訳ありませんが、私たちはそうします。」

 

ザビエルは興味深い事例であり、いくつかの壁が崩れつつあることの尺度になっています。ペリー・マーシャルへの、スティーブン・メイヤーの『Signature in the Cell』についての彼女のコメントはこちらをご覧ください。そのIDの大著は、「疑問点を本当にはっきりさせているという点で、私が読んだ最高の本の一つ」であり、「私は実際に、できる限り全員に、『ねえ、あの本を読んでみて。インテリジェントデザインを串刺しにして燃やしたりしないで。彼らの言っていることを理解して取り組みましょう』と言っています」。

 

実際、科学ジャーナリストとしてのアンドレア・モリス自身にも興味が無いわけではありません。IDへ言及する際の彼女には微妙な面があり、「還元主義者、遺伝子中心モデルは・・・インテリジェントデザインや超越的な知的デザイナーとの関連性のため、目的のような自然現象を放棄する」と述べています。ノーブルとの会話において、彼女は率直です。「私は神を信じていませんし、ほとんど何も信じていません。しかし、生命、そしてその過程は魔法のようです」(57:28)。ただし、彼女の記事には、「ノーブルは目的、創造性、革新が進化の根幹であると信じている」という一文があります。ふむ。「目的、創造性、革新」は、一言一句、『Discovery Institute』の一文から成るミッションステートメントからの語句です。

 

何でしょう、ある種の秘密の握手でしょうか?彼女は私たちの資料を読んでいたのでしょうか?実際、そのように思えます。ノーブルが2016年の王立協会の会議について話す際、彼女は『Evolution News』のこちらの記事の画像を例示しています (1:07:30)。

 

それはそうと、ザビエルが言うように、自称検閲官をこれ以上容認する理由はありません。既に転換点を越えて、古いコンセンサスは後退しています。より多くの科学者が機会を捉え、ネオダーウィニズム的構造の外へ踏み出すほど、その構造が土台ではなく牢獄であったことが明らかになるでしょう。

 

そして多分、他の構造も疑問視され始めるでしょう。

 

ノーブルは言います。

 

今、何を見出すでしょうか?私の大学や他の大学で研究をしている若い人たちと会うのですが、彼らはネオダーウィニズムのパラダイムとは全く異なるパラダイムの中で研究しています。彼らはそうすることができるのでしょうか?

 

はい、できます。