Japanese Translation of EVOLUTION NEWS & SCIENCE TODAY

https://evolutionnews.org/ の記事を日本語に翻訳します。

進化は実際にどれほどのことを達成できるのか?

This is the Japanese translation of this site.

 

エリック・H・アンダーソン
2022/2/25 6:20

 

編集部注: 2020年に、マイケル・ベーエは自身のエッセイと批判への回答をまとめた『A Mousetrap for Darwin: Michael J. Behe Answers His Critics』を出版しました。生化学教授のローレンス・モランは、ベーエが証拠の解釈を誤り、クロロキン耐性の意義を誤解していると論じました。これは2部構成の回答の1つ目です。

 

2007年、生化学者のマイケル・ベーエは、大胆にもある質問をしました。この質問は、ダーウィンの羽ペンのインクが彼の原稿上で初めて乾いた時から、すべての生物学者が繰り返し、切実に問い続けてきたはずのものです。すなわち、進化は実際に何を達成することができるのでしょうか?

 

この質問は、合理的であると同時に、進化の物語にとって極めて重要です。しかし、進化的思考の歴史において、ほとんどの場合に無視されてきました。ほぼすべての進化論者が、進化はすべてのことができるという前提を堅持しています。結局のところ、私たちはここにいるのではありませんか!だから、この問題を問うことにほとんど意味はないのです。確かに、何十年もの間、この問いかけに対して時折リップサービスがなされることもありましたが、典型的にはそのような努力は、単に進化にはこの偉大な創造力があるに違いないと仮定する論点先取の演習に陥ります。繰り返しになりますが、私たちはここにいるのですから、たとえ進化のメカニズムを正確に理解していなくても、まだ詳細を補おうとしているところだとしても、まだ発見されていない進化のメカニズムがあるのだとしても、単に進化にはこの偉大な創造力があるに違いないのです。

 

古生物学者のスティーブン・ジェイ・グールドはこの戦術を使い、たとえ進化の仕組みを正確に理解していなくても、進化を事実と見なすべきだ、なぜなら、物事は進化してきたのだから、と論じたことで有名です。フィリップ・ジョンソンは、グールドのこの利己的かつ循環的な試みについて適切にも声を大にして、ジョンソンの慎重な分析によって、グールドの言う進化の「事実」が理論以上の意味を持たないことが判明しました。

 

進化の循環論議やいい加減な推論に満足せず、ベーエは現実世界のデータに対して質問を投げかけることを決意しました。実際の証拠は、進化に何ができることを示しているでしょうか?ベーエはこの問題に様々な角度からアプローチしました。彼の分析で最もよく知られているのは、単細胞のマラリア原虫、Plasmodium falciparumへのクロロキン耐性の出現です。

非常に多い細胞

簡単に言うと、抗マラリア薬のクロロキンが、他の多くの薬よりも寄生虫に対してはるかに成功しており、クロロキンに対する耐性は、マラリア研究での専門家として良く知られている免疫学者ニコラス・ホワイトの推定によれば、およそ1020の寄生細胞のうち1つしか生じないことに注目しました。このような数を把握するのは難しいですが、比較のために述べると、私たちの天の川銀河には1011から1012個の星しかないと天文学者たちは推定しています。

 

ベーエの2007年の著書『The Edge of Evolution』の時点では、クロロキン耐性の分子的詳細は曖昧なままでしたが、当時利用できたマラリアのデータに基づいて、ベーエは、クロロキン耐性には2つの協調的突然変異が必要かもしれないことを示唆しました。(他のある薬剤で見られたような) 単一の変異、あるいは個別には有益な一連の変異であれば、ホワイトの1020という推定値よりもはるかに頻繁に生じているはずです。データが単純にそのようなアプローチに当てはまらないので、ベーエはより思考節約的な説明として、2つの協調的な突然変異が必要であると指摘しました。

 

予想通り、進化論者はうろたえました。ジェリー・コインとショーン・キャロルは、物事の原理からしてベーエは間違っているに違いないと主張しました。本質的に彼らは、ああ、そうだ、クロロキン耐性も、単一の有益かつ段階的な点的突然変異の連続によって生じ得るのだ、と論じました。平たく言ってデータと矛盾しているそのような主張は的外れでした。

 

注意深い観察者たちは、Plasmodiumが実際に進化的手段によって二つの協調的突然変異を獲得できたとベーエが提案していたという皮肉を分かっていました。しかしコインとキャロルは、「進化には一度に小さな一歩を」という伝承を維持することに熱心で、2つの協調的突然変異というベーエの提案を避けました。創造的ではあっても奇妙なある種の逆ギャンブルで、彼らは、「あなたの2つの突然変異を見たらそれを1つにしてみせよう!」と賭けたのです。

 

その後、数年にわたって論争は行きつ戻りつし、印刷所の不器用な見習いよりも多くのインクが討論者によってこぼされました。しかし、知恵比べを傍で観察していた私たちは、定義のあら探し、数学についての戦い、そしてベーエが進化の本当の仕組みを理解していないに違いないという度重なる非難にもかかわらず、ベーエの基本的な疑問が厄介にも彼の批評家たちによって答えられないままであることに気づきました。すなわち、進化は実際にどれほどのことを達成できるのでしょうか?

モランとくじ運

ベーエの論議をもっと積極的に批判しているのが、トロント大学の生化学教授であるラリー・モラン博士です。モランは広義の進化的物語に賛同しているようですが、自分がダーウィニストであるとは考えていません。ベーエが『The Edge of Evolution』を出版する少し前に、モランは彼のブログ『Sandwalk』に、「Evolution by Accident」と題して彼の見解の詳細な説明を投稿しています。モランは、ジャック・モノーの「進化という奇跡的な構築物の根底には、純粋に単なる偶然が・・・ある」という論議と、グールドの有名な「生命テープのリプレイ」のアナロジーを基に、進化についての非ダーウィン的な見解についての主張を展開しています。

 

進化のランダム性についてのモランの評価にほとんどの部分で同意している私が第一に難癖をつけるなら、モランは進化論における偶然性の役割、特にいわゆる選択的事象の役割を十分に認識するに至っていません。ダーウィンの選択のメカニズムも、よくよく分析すると、大部分は偶然に基づく出来事に落ち着きます。ですから、ランダムな進化を受け入れることによりダーウィンの影と距離を置こうとする努力は、かなりの程度、差異のない区別です。しかし、これはニュアンスの問題であり、また別の機会に、いつかモランとパブで折り紙付きの酒を飲む栄に浴すときにでも議論しましょう。

 

ここで読者にとって重要なのは、モランが進化についての偶然中心の見解で武装して、クロロキン耐性をめぐるベーエとの論争に飛び込んでいったことです。2014年夏を通じてのモランとベーエの (そして彼らの支持者と反対者による) 行き来は、ここで詳述するには多すぎるほどでした。それから、(少なくともこの特定の前線では) 相対的に平和だった数年間に続いて、戦いは改めて始まりました。

 

ベーエは、彼が批判に回答していないという偽りの非難を黙らせるためもあって、2020年11月に、これまでの3冊の本への批判に対する数々の反論を集めた『A Mousetrap for Darwin』を出版しました。『Mousetrap』にはモランに対するいくつかの回答が含まれています。モランは早速ペンを取り、自身のブログ『Sandwalk』に急ぎの回答を書きました。要するに、ベーエはクロロキン耐性がどのように出現したかについて間違っており、進化のメカニズムについても誤解しているというのです。

ベーエの誤解か、ベーエを誤解しているのか?

意義深いことに、モランはベーエの論議の主旨を認め、次のように指摘しています。

 

ベーエは、ある極めてありそうにない進化事象を正しく識別しました。すなわち、マラリア原虫におけるクロロキン耐性の発達です。これは進化の端に近い事象であり、この種のもっと複雑な事象は進化の端を超え、自然には起こり得ないということを意味します。[強調追加]

 

これは非常に重要な認識であり、『The Edge of Evolution』の読者はモランに 「こちらへようこそ!」と言うかもしれません。

 

むしろ、モランの主な反対意見は (P・Z・マイヤーズやケネス・ミラーやその仲間に何度も説得されて)、マラリア耐性がどのように生じたかについてベーエが誤解しているということのように見えます。モランは、「我々の誰もこの見積り (マラリア細胞の複製1020回につき1回) に深刻な問題があるとはしていないが、我々の何人かはベーエがそれを解釈している方法に異議を唱えた」と認めています。

 

2007年へ回想していくと、クロロキンへの耐性が極めて稀であることの最も単純な説明は、少なくとも2つの協調的な突然変異が要求されることだとベーエが示唆していたことが思い出されます。これは、例えばアトバコンのように、要求される変異が1点で、しかも平均的な人が「Plasmodium falciparum」の発音を覚えるよりも早く耐性が生じる薬剤とは、著しく対照的でした。

 

ケイシー・ラスキンは、ベーエが「同時に」という言葉を使ったことに対して、ベーエの何人かの批評家たちから多くの憤慨が集中したことを観察しましたが、『The Edge of Evolution』の思慮深い読者なら誰でも、ベーエが、正確に同じ生殖サイクルの中で、2つの突然変異が一挙に同じ瞬間に生じなければならないと主張したことがないのは明らかでした。ベーエの論点は、2つの突然変異がいつ生じたか、どちらの突然変異が先に生じたかに関わらず、必要な利益をもたらすためには、それらの突然変異がやがて、ある特定の細胞内のある特定の時点で一緒になる必要があるということです。ベーエの何人かの批評家たちとは違って、必要な利益を提供するためには突然変異が同時に一緒にならなければならないというベーエの論点をモランが認めたことは称賛に値します。モランの関心は、クロロキン耐性に至ることが可能な経路の方にありました。

合理的な推測は何だったか?

2007年当時はまだ、そして私の理解では現在でも完全にではありませんが、ヒトのマラリア原虫が野生の状態で利用できる突然変異の経路や、この問題に関係しうる他の要因や差異のすべては、正確に明らかではありませんでした。モラン自身、「複雑で未知の変数がたくさんある」ことや、私たちが「推定はできる」が「正確な計算はできない」ことを述べています。

 

2007年、より決定的な研究を待つ間、誰もができる最善のことは、耐性に至る正確な経路について、経験に基づいて推測することでした。問題は、マラリアのデータに照らして、合理的な推測は何だったのか、ということです。

 

そして2014年、サマーズらによる重要な論文が、クロロキン耐性の発現にさらなる光を当てました。研究室でカエルの卵母細胞を用いた実験に限定されたものでしたが、この研究は、関係する特定の突然変異を詳細に示す堅固な実験的証拠を提供しました。研究者達は、クロロキン耐性に至る初期経路を2つ識別しました。それらはさらに変異が加わると「完全な輸送活性の達成」に至ります。ベーエの批評家たちは、これがベーエの論議の抜け穴になり得るかのように飛びつきました。2つ以上の突然変異の組み合わせによるものも含めて、クロロキン耐性を獲得する様々な方法があるという可能性を読み取ったのです。

 

ベーエとしては、この新しい研究がむしろ彼の主要な論議を支持していることを正しく指摘しました。実際、サマーズらの重要な成果の1つは、クロロキン耐性が複数突然変異事象であり、識別された耐性に至る経路が始まるにはいずれも「最低2つの突然変異」を必要とするというものです。クロロキン耐性は、個別に有益な一連の変異の結果ではなく、複数の突然変異事象を必要とするというベーエの2007年の予測は、正しかったことが判明しました。しかし、批評家たちはそれでも、持ち帰るべき宿題が別のところに見いだされると断言しました。

 

この返答の第2部では、データおよびより広い進化の物語に対してクロロキン耐性が示唆するものについて検討します。