Japanese Translation of "Science and Culture Today"

https://scienceandculture.com/ の記事を日本語に翻訳します。

「新しい総合説」についてのもう1つの呼びかけ

This is the Japanese translation of this site.

 

ダニエル・ウィット

2024/5/1 6:31

 

私は最近、生物学者ピーター・コーニングの「相乗効果仮説」への批判的な投稿を書きました。その後、コーニング博士から連絡があり、彼の新しい論文「Cooperative Genes in Smart Systems: Toward an Inclusive New Synthesis in Evolution」という論文を考慮するように助言を受けました。

 

もちろん私は喜んでそれを読みました。そして、彼がそれを指摘してくれたことを嬉しく思います。というのも、この論文はインテリジェントデザインの視点からの批判には一切触れていないのですが (正直なところ、もしそうであったなら、私にとっては快い驚きでした)、ID/ダーウィニズムの論争にはかなり関連しているからです。

 

この新しい論文でコーニングは、ネオダーウィニズムの総合説を捨てる時が来たと論じています。彼は、数年前に一部の生物学者たちによってなされた「拡張された総合説」についての呼びかけよりもさらに踏み込んでいます。総合説を拡張する必要があるのではなく、置き換える必要があるのだ、と彼は書いています。

 

この論文は、オックスフォード大学のデニス・ノーブルによる『Nature』の記事に密接に追随するものでほぼ同じことを論じており、その記事をケイシー・ラスキンはこちらでレビューしています。ラスキンはこう書いています。

 

生物学についてのノーブルの未来像は、教義が捨て去られ、新しいアイディアが考慮され、主体性と目的が認識され、細胞はコンピュータや機械よりも複雑で、タンパク質は小型の変圧器のようで、生物がゲノムを制御しているというもので、インテリジェントデザインと非常に親和性が高いでしょう。過去100年間の生物学的思考よりもはるかに親和性が高いのは確かです。これは、生物学が正しい方向に進んでいることを意味します。

 

コーニングは論文の中で、ノーブルの意見に自分の意見を付け加えています。コーニングはノーブルを引き合いに出し、進化において遺伝子は「わずかな役割しか果たさない」と論じています。むしろ、多くの因子が生命の進化を導いているとのことです。進化は複雑で予測不可能であり、「生物学的進化は物理学に還元できるものではない」と彼は書いています。

 

コーニングは、「遺伝子中心の現代総合説と利己的な遺伝子の進化モデルを廃する時が来た」と宣言しています。新しい総合は、「まだ発見されていない影響があるかもしれないという事実を認識し、より包括的で制限のない総合」であるべきだとのことです。

 

コーニングは、現代総合説が無視している進化におけるいくつかの要因を識別しており、以下が含まれます。

  • 遺伝的変化のエピジェネティックな誘導
  • ラマルク進化 (親の習性によって導入された遺伝形質)
  • 遺伝子の水平伝播
  • 共生 (あるいは「協力効果」、「相乗効果」)
  • テレオノミー (内的な「目的性」)

彼は、より控えめな形式ではあるものの、パンスペルミア仮説さえ挙げています。最初の生命をやがて形成した化合物は、隕石によって地球に播種されたというアイディアのことです。

もしラマルクにできるなら・・・

これら全てが、IDの立場にとって重要な真実を指し示しています。すなわち、「現代科学の確実な結果」は永遠に確実ではないかもしれないということです。

 

遺伝子中心モデルはその明確な例です。私たちは、「利己的な遺伝子」は揺るぎないもので、疑うのは宗教的原理主義者や変人のみだと信じることになっていました。ID理論家がそれを却下したなら、それは彼らがよく言えば偏見を抱いているからであり、悪く言えば密かに反科学的だったから、でした。

 

しかし今や、それはパッと捨てられたもう1つのモデルに過ぎません。

 

あるいは、ラマルク進化を取り上げてみましょう。コーニングによれば、古いラマルクがある意味で返り咲きしつつあります。ただし、私が初めて生物学を学んでいた頃、ラマルクの理論は学生に対して、論破されたダーウィン的進化の歴史的代替物に他ならないと提示されたので、後から考えると、少々馬鹿馬鹿しく感じられます。(それはつまり、物事がいかに早く変化し得るかということで、理解していただくために言うと、私は9.11を覚えていません)。

 

ある理論が科学史の埃にまみれ、忘れ去られた棚から帰ってきて、生物学誌のページに舞い戻ることが可能なのであれば、別の理論にも可能でしょう。どんな理論も、単に科学的な「コンセンサス」が反対しているために即座に退けられるべきではありません。同様に、いつか捨てられることがないほど確立された理論も存在しません。

問題は存在しない、そして問題は解決された

コーニングのような生物学者が新たな総合について呼びかけている事実があるとしても、それ自体は必ずしもダーウィンの理論に欠陥があることを示唆しているわけではありません。そう、それはダーウィニズムの現代的な定式化が失敗しており、帰依者たちが修復や代替に躍起になっていることの徴候だと解釈することはできます。しかし、それとは異なるひねった解釈もできます。ダーウィンのメカニズムはうまく機能しているものの、他の多くの進化手段もうまく機能している、ということです。新たな総合への呼びかけは、単に生命が進化する方法が実際には多数あることを示しているのかもしれません。

 

コーニングの著書『Synergistic Selection』にある、「ダーウィンの理論は生物学的複雑性の増大についての説明を提供していない」という陳述は、前者の見解を支持しているように思えます。ところがこの論文では、コーニングが新たな総合を呼びかけているという事実にもかかわらず、彼は無誘導の進化にかつて何らかの大きな謎や説明のギャップが本当にあったとは述べたくないようです。私の推測ですが、そうすることは、ID理論家やダーウィンの理論の批判者にも一理あったと認めることになるでしょう。そのような告白をすると、査読付きの科学誌に掲載するのは難しくなるでしょう (コーニング自身、そうしたくはないかもしれません)。

 

これは悲しい皮肉です。人は往々にして、十分な反論を思いついたと思った後で初めて、自分の立場に対する反論に何らかの真価があることを認めます。最初に、問題はない、あると考えるのは無知なのだ ― そして次に、何の段階も挟まずに、問題は解決済みだ、と聞かされるのです。

 

[編集部注: ケイシー・ラスキンは皮肉を込めて、このお決まりの振る舞いを「無知の遡及的告白」と呼んでいます。ラスキン博士はこのように書いています。「数年前、私は進化の文献の修辞において繰り返される現象を認識し始めました。科学者たちは、科学ジャーナリストにも模倣されますが、彼らのモデルの問題やアイディアへの挑戦を、彼らが解決策を見つけたと思った時点で初めて認めるのです」。例えば、こちらをご覧ください。]

試合をせずに勝つ?

もちろん、引き金を引いてフェーズ2の「問題は解決済みだ」に進もうとしているなら、本当に問題は解決済みであると確信している方がいいでしょう。私は、「新しい総合」がまだ真の主流になれていない主な理由は、そのさまざまな仮説が、IDの論議によって提起された問題を実際には何一つ解決していないからではないかと思っています。

 

実際には、それよりも悪い状態です。彼らはその論議に全く触れていないようにさえ見えます。

 

ある論議に対して、それに言及せずに効果的に反論するのは難しいでしょう。この論文とそれが推進する仮説は、ある意味でIDの立場への反論であるかのように提示されています。ところが、この論文にはIDの論議への言及が (間接的にも) 存在しません。情報が勝手に生じることの数学的な困難さについては触れられていません。自然選択ではなく先見の明だけが、相互に作用する部品が一体となったシステムにおいて所与の適応的特徴を創出する確率を高めるという事実は触れられていません。地球の46億年の歴史の中で、真に建設的な突然変異が偶然に1つでも起こることはありそうにないと実証されていることは触れられていません。選択圧が、構築するよりもはるかに速く破壊する傾向があることは触れられていません。

 

新しい総合説の立案者たちが、インテリジェントデザインの論議について、Wikipediaで学べる以上のことを知っている証拠を示さないのであれば、ダーウィニズムの擁護者たちが、この総合説を生物学的複雑性の新しい権威ある説明として取り入れることを渋るのも不思議ではありません。大きな声で言われることはめったにありませんが、要点は単に複雑性を説明することではありません。デザインなしに複雑性を説明することなのです。そしてそのためには、悲しいかな、実際にデザイン論議 (ちなみに、その全てが自分で考えることができるほど明白というわけではありません) に取り組まなくてはならないこともあります。

 

反対派を単に無視することは、魅力的かもしれませんが、古い総合説ではうまくいきませんでしたし、新しい総合説でもうまくいかないでしょう。やがては、新しい総合説が十分に長く存続するなら、その推進者たちは、無誘導の進化が直面する挑戦への自分たちなりの答えを思いつかなければならなくなるでしょう。